遠い遠い隣の席

狛咲らき

想いの方向

 俺には好きな人がいる。


 きらきらと輝く金髪にサファイアブルーの美しい瞳。空を悠々と飛べそうな大きな翼。それに対してちょこんと小さく生えた2本のツノ。

 アニメや漫画のキャラクターではない。こちらがコメントを送れば向こうはそれを読んで笑ったり、話を広げたりする少女。


 そう、俺が好きになってしまったのは所謂Vtuberってやつだ。


 数年前から様々な動画サイトで活動を始めたVtuberは、二次元のキャラクターのようなアバターを用いて日夜ゲームや雑談などの配信でリスナーを楽しませてくれている。最初は数える程しかなかったけれども、企業の積極的な参入や個人の参加の敷居の低下により今では1万人を超えているらしい。

 人気Vtuberを集めたイベントも多く、黎明期より注目され続けているコンテンツといえるだろう。


 しかし、俺の心を掴んで離さないあの子は、お世辞にも誰もが知っているような人気なVtuberとはいえなかった。


 配信した時に集まる視聴者は多くても60人程度。デビューして半年で、それも企業ではなく個人でやっていることを鑑みればかなりすごい事なのかもしれないが、1度に数千数万と集める人達と比べればどうしてもコメント欄に寂しさを感じてしまう。手当たり次第に友達に勧めても結局は有名どころに行ってしまうので歯痒い思いをするばかりだった。


 あの子に惹かれたきっかけは単なる偶然だった。適当に動画を観てたらオススメとして彼女の配信が表示されたので、ちょっと開いてみただけだった。


 別に見た目が好みとか、声が刺さったとか、そういうのではない。ただのほんのちょっとした好奇心。ちょうど発売されたばかりのゲームをプレイしてたからどんな感じなんだろうと思っただけだったのだ。


 だから俺が『初見です。このゲーム面白そうですね』とコメントしたのもほんの気まぐれのことで。


 あの子がそれを見て、


「あっ初見さんいらっしゃい! このゲーム面白いですよ〜。たとえばね〜――」


 と、そのゲームの好きな点を優しく丁寧に紹介してくれたのも、あの子にとっては当たり前のことで。



 ——そして気付けば、俺は彼女のチャンネルやSNSのアカウントをフォローしていて、次の配信を楽しみに待つようになっていた。


 特別ゲームが上手い訳でも、トークが面白い訳でもない。しかし彼女が配信するたび心が湧き上がるのを感じる。

 初見で感じた以上に優しさが溢れているところとか、ゲームに限らずいろんなものの長所をパッと言えるところとか。


 きっと外面だけでは取り繕えない、そういう根幹的な部分に魅入ってしまったのだ。


 だから俺はあの子への『推し事』を始めることにした。


 SNSの発信をフォロワーと共有したり、配信に高評価やコメントしたりして少しでも人気動画として他のユーザーの画面に表示させようとしてみたり。

 そして配信を追い始めてから1ヵ月経った頃には、配信で面白かった部分をまとめた切り抜き動画を作ってみたりもした。


 ——あの子の人気は本当はこんなものじゃない、もっとあの子の魅力を知ってもらいたい。


 そんな思いを抱いて、ただ好きという情熱に心を燃やし、目に見えて増えていくファンの数に喜びを感じていたのだった。





「——おはよう!」


 休日にまた切り抜き動画を1本投稿した満足感に浸りつつ、朝を迎えて登校し、教室に入った俺はいつものように隣の席の女の子に挨拶をした。


「おはよう」


 彼女も俺を見て小さく笑みを浮かべた。


 苗字は知っている。でも名前は知らない。

 その後何か会話をしたりはしない。教室に来て開口一番に挨拶するだけの間柄という奇妙な関係。始業式から続いているのだが、どうして続いているのかは自分でもよく分からない。けれども向こうも返してくれる辺り疎まれていたりはしないらしい。


 それに俺としてもこの関係を止めたいとは思っていない。急に止めるのも何か変だし、何より彼女の声がどことなく毎夜配信で聴くあの子の声に似ていて、辛い平日の朝の楽しみとなってしまったからだ。


 無粋ではあるがVtuberにはそれを演じる『中の人』が存在する。中の人、つまり演者の動きをアバターに反映させて配信を行うことでこの界隈は成り立っている。フィクションの住人が活動している訳ではなく、さながら着ぐるみのように、視聴者はその表面的な部分を楽しんでいるにすぎないのだ。


 とはいえ俺はあの子の『中の人』が毎日挨拶を交わす彼女である、なんてご都合主義極まる偶然を信じてはいない。ただ俺の好きな人がインターネットの世界を越えてすぐ近くにいる、そんな妄想に浸れる程度には彼女とのたった4文字の会話が俺の中で大きなものとなっていることには違いなかった。



 キンコンカンコン、と授業を告げるチャイムが鳴った。


 先生がガララと扉を開け、学級委員長の号令と共に生徒全員が礼をする。

 そうして皆が着席したのを見届けた先生が授業を始めた後、俺は机の上に用意していた教科書とノートの他にもうひとつ、罫線も何もない無地のノートを取り出した。


 ぺらぺらと捲られたページにはあの子の配信で特に面白かった・あの子らしさが出ていた場面やどのような動画が伸びるのかを調べたメモの数々が並び、あの子の名前を広めるためのアイデア案がいくつも書き殴られている。


 そんなノートの後半ページには、まるで子どもが描いたような下手糞な絵も描かれてあった。

 もちろんあの子の努力が前提とはいえ日頃の推し事の甲斐もあってか、俺が最初に配信観た時よりもずっと多くの人があの子を見てくれるようになった。

 けれどもまだまだ足りない。あの子の良さを広めるために、もっと俺にもできるはず。


 そういった思いから、俺はファンアート制作にも着手したのだ。だが絵なんてまるで素人なものだから、どうすれば良い絵が描けるかも分からず、少し前に初めて描いた絵をSNSに投稿してみたのだがほとんどと言って良いほど見てもらえなかった。


 これでは何の意味もない。練習して、描いて、描きまくって、あの子を知らないたくさんの人のところまで届くくらいに上手くならなければ!


 そんな精神の元、俺は大して面白くもない授業の中で絵の勉強を楽しんでいるのだった。



 ——思えば、俺の生活は彼女を中心に回っているようだ。一日中あの子のことを考え過ごし、次の配信に想いを馳せている。

 一般的に推しに恋愛感情を抱く者を『ガチ恋勢』と呼ぶそうだが、どうやら俺もそのひとりとなってしまったらしい。


 どうしてあの子を好きになってしまったのだろう。アバターという皮を被って、顔も名前も年齢も、ともすれば性格や声や性別さえも偽っているかもしれない相手に、どうして夢中になってしまったのだろう。



 俺が好きになった部分も、本当にあの子のものとは限らないのに。



 先生の授業を聞き流しながら俺は白紙のページに想い人の姿を描く。


 あの子は今何を考え、何をしているのか。


 普通の片想いなら甘酸っぱく感じるはずのこの妄想にどこか薄っぺらさを覚えてしまう。


 俺はあの子が好きだ。好きだからこうして推し事をしている。


 けれども、俺はあの子のことを知らなさすぎる。

 誰よりもあの子への情熱を持っていると自負しているのに、肝心なところは何も知らないのだ。


 Vtuberには中の人がいる。だからといってその人物を探るのはエンタメとして無粋であり、野暮な行為に他ならない。



 でもやっぱり、本当は。



 鉛筆で描かれた稚拙な絵を見てこう思う。





 —— 一目で良いからその姿を見てみたいと思うのは、果たして度が過ぎた欲求なのだろうか。









 私には好きな人がいる。


「おはよう!」


 そういって毎朝挨拶をしてくれる男の子。


 ほとんど話したことがないけれど、その声を聞くだけで嬉しくなってしまう。


 なぜなら、ある日ふと授業中に横目で見て気付いてしまったのだ。


 彼が私の、正確には私が演じるVtuberのファンアートを描くほどの大ファンだということに。それもよく見ると私の配信の切り抜き動画をたくさん投稿している人と同じ絵柄だということに。


 彼が私の配信で面白かったところをたくさんまとめてくれたおかげで、私の動画のチャンネルや配信を見に来てくれる人が何倍にも増えた。


 Vtuberを始めて数ヶ月、全然人が来なくて心が折れかけていたところを、彼は救ってくれて、今でもずっと私を応援してくれているのだ。



 そんな感謝してもしきれない彼が、隣の席にいるなんて——!



 授業中、私のイラストを描くその横顔に何度も打ち明けようと思った。『応援してくれてありがとう』って、その一言が言いたくて仕方がなかった。


 でも私がそのVtuberの『中の人』です、なんて言ったら彼はショックを受けるに違いない。

 みんなが見たいと望むのはVtuberそのものなのだから、きっと彼も私を求めてなんかいないのだ。



 だから、ぐっとその言葉を飲み込んで。


 彼の横顔だけを見つめ続けて。


 そうやって時間だけが過ぎていって。





 ——気付けば、私は彼に恋をしてしまっていた。





 きっとこれは彼にとって気持ちの悪くて、傍から見てもドン引きされるような恋心なのだろう。友達に相談でもすれば「そんなこといいからさっさと告っちゃいなよ」って笑われるに違いない。


 でも、やっぱり彼には打ち明けられない。


 私のために時間を割いて、私のために努力してくれて、私の存在をみんなに伝えてくれる。

 恩人だからこそ、好きだからこそ、彼がショックを受けるようなことなんてできないのだ。


「——おはよう」


 私は彼に挨拶を返した。



 彼を見るたびに胸がドキドキする。


 彼と挨拶を交わすたびに自然と笑みが生まれる。


 彼が私の絵を描くたびに頬が熱くなる。





 ただこれは、ひっそりと心の内に。

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