第8話 やっと新競技選考
何度同様の競技場を訪れたことか、幾度となく自身の限界にチャレンジし、幾度となくライバルを破り、破られたこの地。
二度とこの場所に立ちたくないと心が痛み、その痛みを自覚しながらもここで戦った。その日々を振り返り名付けるなら、そう。
「青春」と呼ぶ以外にない。
楽しいだけでは無かった。どちらかと言えば苦しいばかりの競技人生だった。けれどこうして競技場に立ちタータン(競技場地面の合成ゴム)の感触を足で感じると体が高揚してくるのは何故だろう。自然と口角が上がるのは何故だろう。
足の腱を伸ばす、競技場の形に切り取られた空を見上げればそんなものには興味が無いと無関心に雲を遊ばせている。
瞳を閉じると無人の観客席からは聞こえないはずの歓声が聞こえてくる。
あの時の緊張が蘇り神経が研ぎ澄まされ、世界が先細って行く感覚。
「奈緒ちゃん生地少なくな~い?」
「陸上競技のユニフォームなんてこんなものですよぉ。ほらっちらっ」
「うわぁ~おっ!堪らんつ。え~い」
「いあだぁ~局長さん変なところに指入れないでくださいよぉ~」
うん、先細った世界の先で馬鹿二人の猥談が明瞭に聞こえて来ちゃう。
「おらっ!びちぐそ共が神聖なグラウンドで何さらしてんだ!コッチ来い」
一喝された柴山と松下が反省の色も無く絡み合いながらへらへらと日村の元へ寄ってきた。
松下に鋭い視線を投げると、さすがに体育会の上下関係だけあって表情を正したが、柴山がいたずらしている下半身だけがクネクネと踊っている。
巻き込んだ手前これ以上強くも言えず、眉間を押さえて日村は説明を始めた。
「今日は新競技の選考を実践してみながら選考を行いたいと思います。まず最初の候補は後ろ走り40m走ですが、局長そんなに浮ついていて大丈夫ですか?ケガしても知りませんよ」
柴山は先程まで尻を撫でていたとは思えないようなシリアスな表情で首を斜めに傾げた。
「専心お前は、マイルス・デイヴィスにトランペットをしっかり吹けますかと質問するのか?」
「いや、しないっすね」
「だよな、今お前がしている質問はそれと同じだ、酔っていようが女抱いていようが俺には問題無い。俺にとって運動はマイルスのトランペットだ」
後ろ走りを屈んが姿勢からクラウチングスタートで軽快に走りだした柴山はすかさず転倒すると勢いそのままに後転して顔面を引きずった。
まるで後ろクラウチングスタート飛び込み競技のように一連の流れで転んだあと、
即座に立ち上がると両手で✖を作って「却下」と即決した。
その先で松下が楽々とゴールして戻ってくる。
「先輩これ楽しいかもです」
嬉々として報告する松下の後ろで柴山が頬に両手を当てて涙ぐんでいる。
「松下後ろ見てみ」
「あら!転んだんですか?痛そう」
柴山は唇を噛んで涙を拭った。
「マイルスは、、マイルスは琴を弾けない」
日村と松下は声を合わせて「はぁ」と答えた。
柴山は大いに機嫌を損ね、スポーツシューズを脱ぎ捨てトラックの中央にタープを立てると日村にアイスコーヒーとサンドイッチを買ってこさせ、管理人にビーチチアを持って来させると3人で並んで横になった。
柴山は両手を腕枕にして、大きなサングラスに無人の競技場を反射させながら咥え煙草で紫煙を吐いている。
煙草が短くなるとそのままペッと吐き出してアイスコーヒーを煽った。
完全にやる気を無くした様子だ。
日村と松下が柴山の表情を伺うと口を開いた。
「歴史は繰り返すと言う月並みな言葉があるが、きっと今もそうだろう。先人達は様々な陸上競技を広く普及させる為に試行錯誤を繰り返して今日に至った。その過程で生まれた様々な競技があれども追い詰められ、結果を焦った末に生まれたのが競歩と言う競技なのだろう。私たちはその過ちを繰り返してはならない」
事務局長と言う立場の人間があまりにも敵を作る発言を清々しく言ってのける。
関心すらするわと日村はストローを噛んで続きを待った。
「ただし、先人が培った柔軟な思考は見習うべきだ。後ろ走りは私にケガを負わせた罪により却下だが、競歩が良いならなんでも有りだと言う視点で新競技について案を出してみようや」
「はいはいはい!」松下が元気に挙手をする。
「はい!奈緒ちゃん」
「四足走!犬みたいに走る競技!」
「うん。ダメ。こけたら顔から行くから却下」
「はい!専心」
手を挙げていない。どうやら他薦も有るようだ。
「え?んじゃ、木登りとか」
「惜しい!!」
『何がだよ』
「はい!」松下。
「スーパーボール投げ」
「楽しそう!」
「はい!」松下。
「雑巾がけリレー」
「ん~なんかTVで見たことある!」
「ぬはははは~白熱の議論をぶつけあって会議するのは実に有意義だなぁ。専心サンドイッチ取ってくれ。ツナなツナ」
日村はツナサンドを手渡しながら愚痴った。
「こんな適当してたら絶対に決まらないですよ」
「そうだな、みんな着眼点は良いけど派手さが無いよな。陸上競技全般に派手さが足りないな。もっとバーンとやってドーンってなってビッとなる競技がいいなぁ」
柴山は雑にサンドイッチを開けると半分にちぎってほうばり、もう半分を松下に手渡した。
「バーンドーンビッですか、、、あっ!閃いた!」日村が小さく挙手。
「ふぁいふぃむらぁ」柴山がサンドイッチをもごもっごさせて指さす。
「階段駆け下り20mはどうっすか!」
柴山は慌ててサンドイッチをコーヒーで流し込むと一声を発した。
「それだ!正にバーンドーンビッの体現!無茶すりゃヒーロー着地も夢じゃない!」
「そうですよ!何段も飛ばして降りて来るヤツや転がり降りて来るヤツも現れて、全速力の前傾姿勢降下とか!」
「階段にポールとかコーンとか置いて、障害物階段ってのも有りだな」
「みてぇー!」
二人は声を合わせて叫び立ち上がってお互いの手をハイタッチした。
決まったなと言う雰囲気の中、松下が「死人が出ますよ」と有ってはならないことを口にした。
空は青く誰に対しても平等だ。乾いた風が競技場を抜けて行く。
誰もしゃべらない陸上競技場って静かなんだなぁと日村は改めて思った。
ホットパンツって絶対男が考えた名前だよな、だってホットなのは男からの見た目だけだもんなと柴山は松下の太ももを見て思った。
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