番外編 はじめてのバレンタイン

※前置き。正規ルート(灯花と付き合う)。時系列、高一の冬のお話です。


 ◇


 彼女いない歴=年齢。苦節十六年を経て、俺は初めての彼女ができた。

 でも、バレンタインにチョコをもらうのは、実は物心つく前からだったと思う。


 高一の冬。初めての彼女と迎える初めてのバレンタイン。チョコをもらえるとわかっているのにそわそわしてしまうのはなぜなんだろう。

 そんな、世界で一番幸せな浮遊感に包まれながら、俺は一日中マスクの下で口元を緩ませていた。


 いつものごとく親が留守なのをいいことに、夜は灯花が泊まることになっている。付き合い始めて数ヶ月にしてこの充実っぷり……ますますにやつきが止まらない。


 こんな日に限ってバイトがないなんて、そわそわを紛らわせるのに苦労してしまう。

 塵ひとつないほど部屋を掃除してソファで呆けていると、インターホンが鳴った。通販なら注文した覚えがないのだが……


「はーい」


 不思議に思って覗き込むと、そこには見慣れた黒髪美人のJDがいて。寒さに頬を赤くしながら、その寒さを吹き飛ばすような笑顔で手を振っていた。


「やっほやっほ〜! よかった、ゆっきぃいた!」


 俺は急いで玄関を開ける。


「むつ姉!? どしたの急に。寒いでしょ、中入りなよ」


 白い息を漏らす様子にたまらず促すと、むつ姉はにこっと笑って靴を脱いだ。


「じゃあちょっとだけ、お邪魔しまぁ〜す」


 何度も来ているせいか、勝手知ったる従姉弟の家だ。むつ姉は慣れた足取りでリビングに向かい、俺もいつも通りにお茶を用意する。ちょうど、灯花が来るからと思って買っておいた甘めのフレーバーティーがあるんだ。むつ姉の口にも合うといいな。


 暖かい紅茶を手にふたりしてソファに腰掛ける。ほっと息を吐いて、開口一番に、むつ姉は紙袋を差し出した。


「ゆっきい。これ……」


「!」


 見ればわかる。俺はこれを、毎年、2月14日にもらっているから。


「今年は恋人がいるけど……受け取ってもらえたりするのかな?」


 この毎年のプレゼントに特別な意味があると知ったのは、つい数ヶ月前の出来事だ。その好意を受け取りながらも身を引かせてしまったのも、昨日のことのように覚えている。

 だから驚いた。むつ姉が、今年もバレンタインにプレゼントをくれるなんて。


「バレンタインチョコは……浮気じゃないよね? ほら、親族枠ってことでさぁ」


 ほんのり頬を染めるむつ姉から包みを受け取る。いつもながらの手作りクッキーは市松模様や猫の形などとても手が込んでいて、これに愛情がこもっていないわけがないのが一目でわかった。


「彼女からも貰うとは思うけど……」


 もじもじと今にも引っ込みそうな手を掴んで、俺は半ば引き寄せるようにそれを受け取った。

 だってこんなの、受け取らない選択肢なんてないよ。もし俺が受け取らなかった、この可愛いクッキーたちはどこへ行ってしまうんだ? 『ゆっきぃへ♡』ってアイシングで書いてあるんだぞ!?


「ありがとう、むつ姉」


 ずっとずっと、小さな頃から……

 同じ想いを込めて、これを作ってくれていたんだね……


 掴んだ腕からむつ姉の熱が伝わってくる。もしもらったのがチョコだったら、溶けてしまいそうな熱さの……


「気づくのが遅くてごめん。でも俺は、むつ姉のクッキー、毎年楽しみにしてたんだよ」


 女子からチョコを貰うなんてイベントについぞ縁のなかった俺だが、バレンタインは嫌いじゃなかった。むしろ楽しみだったのだ。だって、むつ姉が毎年クッキーをくれるから。

 親族枠の義理だとわかっていても嬉しくて、楽しみで。今年はどんなのだろうって……バカだよなぁ。義理じゃなかったことに、十六年経って気がつくなんて。言われるまで気がつかないなんて。


 だから、せめて……

 むつ姉が俺を想って作ってくれるコレは、変わらずに受け取りたいと思った。


 バレンタインにプレゼントを受け取った程度で、灯花は絶対に浮気だなんて思わないし、言わないだろうけど。もし万が一にこれで『浮気だ!』と騒がれて別れることになったとしても、俺は絶対にコレを受け取る。それくらい、俺もむつ姉のことが……


「むつ姉。俺のために、ありがとう」


 こんな風に、いまだに想ってもらえて、俺の幸せのために身を引かせてしまったにも関わらず、変わらず仲良くしてもらえて……


「俺、世界で一番幸せだよ。」


 そう零すと、むつ姉は目を見開いて、両手で口元をおさえた。頬を染めて、ほんのり瞳を潤ませて、こくりこくりと何度も頷く。

 そうして最後に、ふわりと笑った。


「いま、私も、世界で一番幸せ」


 好きな人の幸せを、この手で作れて……


 そう、顔に書いてあった気がして。

 思わず涙が出そうになる。


 そんな空気を察したのか、むつ姉はぱっと顔をあげて、一変してひまわりのように笑みを咲かせる。ぎゅーっと、いたずらっぽく腕に抱きついて……むしろ挟まれているこの状況。あかん。これ以上は色々あかん。


「ねぇねぇ、ゆっきぃ。来年も、クッキー渡していい? 久しぶりに作ってたら、色々試したい種類があってね。ブールドネージュとか、紅茶味のやつとか、作りきれなかったんだよぉ」


「え? も、もちろん嬉しいけど……そういえば、どうしてクッキーなの?」


 尋ねると、むつ姉はクッキーを一枚摘んで、口に咥える。それを、そっと俺の唇に近づけて……


「こうやって……プレゼントできるから?」


 強引に、俺の口に咥えさせた。


「なぁんてね♡」


 ぺろりと口の端を舐めるむつ姉が、今日も心臓によくない……

 てゆーか、今までこんな渡され方したことないのに。ちょっとした意地悪のつもりなのか!? 俺が鈍過ぎたから? イタズラのレベルが高すぎる! トリックオアトリートの季節は過ぎてるし……!


 ばくばくと早鐘を打つ心臓も、これだけ密着されていると隠しようがない。なす術もなく顔を赤くしていると、むつ姉はさも満足そうに。


「バレンタインってさぁ、普通はチョコを渡すでしょ? でも、ゆっきぃは大きくなったら沢山の子からチョコを貰うだろうなぁって思ってて。被りたくなかったの」


「蓋を開ければ貰わなかったよ。全然」


 真顔で返す俺に、むつ姉は楽しげにころころと笑う。そうして、もう一枚、チョコレートでコーティングされたクッキーを咥えた。


「一目見たら私からのプレゼントだってわかる……ゆっきいの記憶の、『特別』になりたかったのかもしれないね♡」


 丁寧に塗られたチョコレートが互いの熱で溶けていって、甘さを強引に流し込まれる。


 そうして、半分こに割れたクッキーを互いに頬張って、むつ姉は囁く。


「ゆっきい。ハッピーバレンタイン♡」


「…………」


 あああ……その目……

 ハートに染まったその目を、隠さずに、もう少し早く向けてくれたなら……

 いや、向けてくれなくても。


 ハッピーすぎるバレンタインだよ。むつ姉。


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