後日談 第29話 愛妻

 バイト先の後輩が、女なのに男として育てられているっぽい……

 もしくは、そういう演技をしているのか。


 いずれにせよ、見た目だけでは判断がつかないし、指摘するのも野暮というもの。

 そもそも荻野はこのことに気づいているのか?

 確認しようにも、荻野は別のバイトで今日は帰って来ないし、聞いたところで「どっちでもよくね?」で終わりそうな感じもある……


 悩んだところでどうしようもないとは思いつつ、それでも悶々としながら俺は帰宅した。

 だって気になるんだもん。


「ただいま~」


 夜十時過ぎ。玄関を開けるとふわりとあたたかい匂いが漂ってくる。

 どうやら今日はクリームシチューらしい。

 でもって、当番は――


「あ。ゆきくん、おかえり」


 灯花だ。

 愛妻(仮)エプロンに身を包んだ灯花が、おたまを片手に、にこっと顔を出す。

 うむ。百点満点。愛らしい。

 料理するためか高めの位置でまとめたポニテが新鮮でいい。プラス百。

 俺が帰宅するタイミングを見越して、シチューを温め直してくれるその優しがプラス千。合計1200点だよ、灯花。


 とてとて、とスリッパを響かせて寄ってきた灯花は、イタズラっぽく問いかける。


「お風呂にしますか? ご飯にしますか?」


「もちろん、灯花で」


 ぎゅう、っとハグすると、腕の中でくすぐったそうに天使が笑う。一億点。

 灯花は「はぁい♡」と返事をすると、遠慮がちに唇にキスをした。

 ほんの少し触れる程度の、そよ風レベルのキスを。

 ……もはや採点どころではない。


「今日は綾乃ちゃんも涼子ちゃんも夜いないんだって。シチューあっためたから、一緒に食べよう? サラダには何のドレッシングかける? ごまか和風か……」


 するり、と腕の中から抜け出してリビングへと足を向ける。

 小気味よく揺れるポニテとその下のうなじに思わず視線を奪われて……


(……えっ。これで終わり?)


 俺は割と本気で「灯花で」と言ったのに。冗談にしか思われていないらしい。

 つまりは、お預けだ。

 正直、ドレッシングどころではないんだが。


「ま、待って灯花。せめてお風呂……一緒に風呂入ろうよ」


 上機嫌な背に声をかけると、振り向いた瞬間、くぅ、と小さな腹の虫が鳴いた。

 灯花は、「あっ」と頬を染めて――


「……ご飯じゃだめ?」


 と。恥ずかしそうな上目遣いが七億点。

 断れるわけもなく、俺たちはふたり揃って席に着いた。


「――でね、残ったシチューは明日ご飯にかけてドリアにしようと思うの。ゆきくんは明日、学校とかバイトは? お昼一緒に食べれる?」


 そう問いかける口の端にちょこっとついたシチューを舐めたいと思っている時点で、俺は食事を味わえてはいなかった。作ってくれた灯花には申し訳ないし、絶品シチューにも伏して詫びるべきだと思うが、灯花が可愛いすぎるのがいけない。


 早々に食べ終わってしまった俺に、灯花が「お腹空いてたの?」と目を丸くするが、おかわりなんぞ無論いらない。でも、久方ぶりのふたりの食卓を楽しそうに過ごす灯花を急かす気にもなれないし……


 結局、居ても立っても居られずに先に風呂に入り、悶々と時間ばかりが過ぎていった。

 こんな、風呂上がりに仲良くアイスとか食べてる場合ではない。どうしようもなく灯花を抱きたい……

 そんな日に限って愛する彼女は「映画見ようよ!」とか言うし。あ、それ。こないだ俺が気になるって言ってたやつじゃん。マジ天使……


 屈託なく「私も気になってたの!」と笑う彼女にNOとは言えない。俺はソファに腰掛け、灯花を後ろから抱っこしたまま、小さな頭に顎を乗せて映画を流し見る。

 ……あったかい。お風呂あがりで良い匂いがする。幸せだ。


「ゆきくん、職場で何かあった?」


「え?」


「だって、ゆきくん今日ちょっと口数少ないし、映画全然見てないでしょう?」


 ……速攻でバレた。付き合って五年ともなれば、まぁそうなるか。以心伝心。

 灯花に今更隠しごとなんて必要ないし、ちょっとくらいは相談してみてもいいかも。

 俺は、正直に打ち明ける。


「バイト先の後輩がさぁ、男の娘かもしれなくて」


「えっ?」


「むしろ逆かもしれなくて」


「どゆこと??」


「あと、灯花のことめっちゃ抱きたい」


「ふえっ……////」


 ひとつ、先に謝っておくよ。ごめん東雲。

 お前のことはめちゃくちゃ気になるんだけど、彼女の可愛さを前にしたら、割とどっちでもよくなってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る