後日談 第27話

 荻野先輩によって『性格の構造改革』を課題とされた僕は、閉店間際の閑散とした時間帯、走り書きでいっぱいになったメモ帳を見返していた。


 翌日への引継ぎ業務を終えた荻野先輩が、それをちらりと覗き込む。

 ふわりと揺れる銀髪が思いのほか近くて、いい匂いで。肩が飛び跳ねる。


「なに? 別に取って食ったりしないって。そんなビクつくなよ~」


「あ。いや、その……すみません……」


「ほらソレ! 意味もなく謝るの禁止! も~、癖になってんなぁ。にしても、案外真面目なんだね。ちゃんと復習してて、えらい、えらい!」


「わっ。頭くちゃっとしないでください、帽子取れちゃいます……! てか近いですよ!?」


「わははっ! なんか懐かしいっぷりだなぁと思って」


(……女の人に撫でられるの、初めてだ……)


 正真正銘の、生まれて初めてだと思う。

 母親は、僕が物心つく頃にはいなかったから。


(……なんか、あったかい……)


 でも、荻野先輩は多分、『母親』っていうより『親分』の方が合っていると思う。


 そんな荻野先輩は、バックヤードの壁に貼り付けられたシフト表を見て、「わぁ、明日は真壁と佐渡かぁ~。いいなぁ、佐渡。最近、真壁は佐渡とばっかりだもんな~!」と声をあげる。


 佐渡は、僕より少し早くバイトを始めた新人で、同学年の女の子だと聞いている。

 僕にとっては同僚となる子。気さくでオタクに偏見がなく、趣味の合う子――もしくは、弩級の美少女だったら嬉しいな……なんてふんわりと夢想しているのだが、その夢は秒で打ち砕かれた。


「うぁ~! 新人は教育も兼ねて先輩と組むことが多い……それはわかるんだけどさぁ、佐渡はさぁ、真壁に色目使うから困る~!!」


 ……どうやら色ボケな後輩らしい。


「飲み込みも早いし、器用で可愛いし。接客的には即戦力だと思うんだけど、如何せんやる気がありすぎて~!」


「やる気があるのは、いいことなのでは?」


「佐渡はぁ、真壁にいいとこ見せたい一心でやる気全開なの! 女のあたしにはわかるの! こないだシフト被ったときも、『真壁先輩ってぇ、どういう女の子がタイプだと思いますかぁ~?』とか聞いてきて!! くあぁ~! ナマイキ~! でも可愛いから許す!!」


「へぇ……可愛いんだ……」


 ぼそっと期待に満ちた呟きを、荻野先輩は聞き逃さなかった。

 カラコンの蒼い瞳が、爛々とこちらを覗き込んでくる。


「おっ。なに? 東雲は彼女募集中?」


「はい。まぁ……万年募集中ですけど……」


 できれば年上の美人(美鈴さん)がいい。

 でも、もし万一彼女になってくれる――こんな僕を好きになってくれる人がいるならば、その気持ちには応えたいとか思ってる。夢のまた夢だけどさぁ……


「へぇ~! いいじゃん! 佐渡にしなよ!!」


 にこっ! と笑みを浮かべた荻野先輩に、僕は後日――


 ◇


「ナイ! ナイ、ナイ!! あいつだけはナイですよ!! 何なんですかあの失礼千万、面食いメンヘラ野郎はぁっ!!!! 略してメンメン!!」


 出勤早々、バックヤードで出くわした荻野先輩に、僕は異議申し立てる。

 季節は初夏――気づけば、バイトを始めてから二か月近くが経っていた。

 荻野先輩は「うはは! パンダみたい!」と軽く笑って、僕の肩を叩く。


「聞いてください! こないだ、初めて僕と佐渡だけで遅番を組んだんですけど……あいつとんだ猫かぶり野郎ですよっ!! 真壁先輩の前だと猫みたいな甘い声だすくせに、僕の前だとドスがきいてる! 不愛想! 『体調悪いの?』って心配して聞いたら、『あんたとふたりだから』って!! なくないですか!? いくらなんでもナイでしょう!!」


 忘れるものか。

 あの、ごみを見るような琥珀色の瞳も。長い睫毛も。

 華奢で愛らしいフォルムも、ピンクに染めたゆるふわ髪でさえ……


 なにもかもが台無しだっっっっ……!!


「性格がクソすぎます……! いや、僕みたいなやつ、誰かをクソとか悪く言う筋合い無いんですけど、本来だったら言いたくないんですけど……でも言いたい! これだけは言いたい! あいつはナイ!!」


「あはは。佐渡は、ちょっとくせが強めだからなぁ~」


 バックヤードへ遅れてやってきたのは、僕よりも少し背の高いバイトリーダー。真壁先輩だ。


 真壁先輩は慣れた動きで制服に着替え、少し長めの前髪を隠すようにして帽子をかぶる。

 僕は男だからいいものの、荻野先輩の前で堂々と着替えだしたときはちょっと驚いた。よもや二人は特別な仲なのではないかと。

 でも、距離が近すぎる割に恋人ってわけでもないらしい。謎。コミュ障な僕にはちょっと踏み込んで聞きだせないオーラが、ふたりの間にはあった。

 だからこの光景はもはや、日常茶飯事ではある。


「今日は遅番、俺と東雲だな。よろしく。荻野、ちょっと早いけどキリよさげだったらもうあがっていいよ」


「え~? 三人で仕事しようよ~。早番ひとりで回したあたしへのご褒美でさ~」


「だからもうあがっていいよって言ってんじゃん……?」


「うえ~? あたしも真壁と仕事したいぃ~!」


「わかります。真壁先輩といると安心できるっていうか、『もう自分要らなくね?』ってなりますよね。僕も真壁先輩大好きです」


「愛されすぎかよ~! 真壁のタラシ~~!!」


 べー! と舌を出し、謎の捨て台詞を吐きながら荻野先輩は退勤していった。

 僕は早々に着替えて、予定よりも少し早めに店先に出る。

 僕は、雑談ばかりで気が付けばバイト開始時刻を過ぎてしまっているアイツとは違うんだ。見せてやる。佐渡と僕の、格の違いってやつを……!


 勤勉な態度に、真壁先輩は「東雲はやる気があっていいなー」と、呑気に微笑んだ。





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