後日談 23話
「さすって、くれる……?」
ひと気のないバックヤードに、懇願するような囁き。その瞬間、俺は全てを理解した。
(ああ、そういうことだったのか……)
どこか元気がないのも、こんな風に誰かに縋り付かなきゃいけないのも。とんだ勘違いをしていたのは俺(と荻野)だったってわけだ。
俺は、よろけるように縋り付く英子さんを、そっとバックヤードの長椅子に座らせ、呼吸が落ち着くのを待った。そうして、言われるままに滑らかなお腹をさすってあげる。
この期に及んで他意はないけれど、やっぱり、彼女でも荻野でもない美人さんのお腹を撫でるのはなんだか緊張する。どこかおずおずとした手つきに、英子さんはふわりと優しい笑みを浮かべた。
「……ふふ。真壁くんの手はあったかいね。私は冷え性で手先が冷たいから、とっても助かるなぁ」
「このこと……誰にも話してないって――?」
尋ねると、英子さんは寂し気に視線を伏せて。
「ごめんね、心配かけちゃって。人手が不足しているのは事実だけど、雰囲気的に言い出せないとか、そういうのじゃないの。店長の美鈴さんとは公私共に仲良くさせてもらっているし、職場の皆は優しいし。けれど、だからこそ相談しづらいというか――だって美鈴さんは、『お腹に赤ちゃんがいる』なんて言ったら、絶対に次の日から仕事を休ませてしまうでしょう?」
「目に浮かびますね。慌てふためいて、喜んで、お祝いの準備をして。急いでシフトの調整に駆けずり回る店長が」
「――そう。美鈴さんは優しいから、優しすぎるから。きっと空いた私の分まで自分のシフトで埋めてしまう。でも、さすがの美鈴さんもそれだと身体がもたないわ。それにね、これは私のただのワガママなの……まだ、ここにいたいって」
ふわ、と申し訳なさそうに笑みを浮かべる英子さん。その笑みはどこか儚くて――
俺は、せめてできることをしたいと思い、そっとお腹をさすった。どこかこわばっていた英子さんの表情は次第に和らいで、つられて安堵の息を吐いてしまう。
「英子さん。安定期とか身体のこととか俺にはわからないけれど。無理だけは、絶対にしないでくださいね」
「……うん。ありがとう、真壁くん。――でも。ここらが潮時だとは思っているの。体調の悪さを隠しきれなくなってきて、皆の助けに甘えてしまって、余計な負担をかけてしまう。それは嫌なの。だから、今度美鈴さんに相談してみようと思うんだ」
穏やかな決意に満ちた英子さんは、ふぅ、と短く息を吐き、「聞いてくれてありがとう、真壁くん」ともう一度笑みを浮かべた。
「誰かに話せてすっきりした」と、「決心がついた」と、そう言ってもらえるだけの大それたことなんて何もしていない。けれど、話を終えた英子さんは、ふと尋ねる。
「ねぇ、真壁くん。真壁くんには、『将来家族になりたいなぁ』って人はいるの……?」
(……!)
俺は思わず顔を赤くして、もぞもぞと口を開いた。
そう言われて頭に浮かぶ女性なんて、この世にひとりしかいない。
「……はい。高校生のときから付き合っている、彼女がいます」
「まぁ! 素敵!」
「今はまだお互い学生だし、将来とか…………子どもとか。遠い未来のことのように感じてしまいますけれど。結婚して家庭を築くなら、俺には彼女しかいないと思っています」
「彼女さんも、それを知って――?」
「……おそらくは。恥ずかしくて、未来のことなんてはっきりと口にしたことはないですけど、気づいてくれているとは思います。俺も、専門学校を卒業して就職が決まって、仕事が落ち着いてきたらプロポーズしたいなぁって、漠然と思い描いていて……彼女はきっと、それまで待ってくれる人だと思うから」
(むしろ、うかうかしてたら先にプロポーズされちゃいそうだし、男としてそこは先にキメたい……!)
「それに、最近では仲のいい友達と『自分たちで店を開きたいね』って、それこそ夢みたいな話をしていて。彼女なら、それもきっと応援してくれるって信じていて……あっ。ごめんなさい、こんな、俺の話ばっかり」
「ふふっ、全然かまわないよ。むしろ夢に溢れて素敵だなぁって、私まで元気をもらっちゃった♪ 涼子ちゃんも、大学卒業したらお兄さんの仕切る新店に所属するんだって。詳しい職種は教えて貰っていないけれど、『自由にできるから気が楽だ』って楽しそうに話してくれたよ」
「ははっ、あいつ何言ってんだ。いつも自由に好き勝手してるくせに……」
……そっか。卒業、かぁ……
いつまでも、このあたたかい
『アイス屋の同僚』が唯一の繋がりだった俺と荻野は、お互いあの家を出ていって……
「真壁くん?」
問いかけに顔をあげると、英子さんは唐突に俺の頭を撫でた。
ふわりと、幼い子にするみたいに。
「……寂しそうな顔してるよ。大丈夫?」
「ははっ。英子さん、それ反則ですよ……」
……母性がやばい。
首を傾げたままなでなでしてくれる英子さんの手を振り払うこともなく、その優しさにしばし甘える。すると、夕方からシフトに入っている荻野が出勤してきて――
「……!? 真壁っ!? なにして――」
現場を見られた。
「ちがっ――! これは、別にそういうんじゃなくて――!」
「?? なんで飛び退くの、真壁くん?」
「あっ、いや。決してやましい意味ではないですよ!? 『荻野タイミング悪いなぁ』とか『もっと遅刻して来いよ』とか思ってないですからね!?」
「思ってんのかよ。スケベマカベ」
「だから違うってば――!!」
そうして、かくかくしかじかと。英子さんは荻野にも自分が妊娠していることを明かした。荻野は驚きと歓喜に目を見開いて、興味津々に英子さんのお腹に手を伸ばす。
「ふふ、まだ動かないよ。小さいからね」
「でも、脈動が……生命の息吹を感じる……!」
「それは英子さんの脈だ、ばーか」
「ふふふふっ!」
そうこうしているうちに来客を告げるベルが鳴り、英子さんは即座に出ようとする俺を制して立ち上がった。
「私がいくよ。おかげでお腹もあったまったし、体調も回復したから」
「でも……!」
「あ。クレープが注文されたときだけはお願いできる? だって真壁くんの作るクレープが一番美味しいんだもん。さすがパティシエの卵だね!」
そう言って笑みを浮かべた英子さんは、バックヤードを出る直前に、俺に耳打ちをする。
「……涼子ちゃんと、話したいことあるんじゃない?」
「!」
「寂しいとか、そうじゃないとか。話さないと伝わらないこともあると思うし、私は真壁くんに話せてすっきりしたから……真壁くんも、ね?」
(ああ、英子さんはさすが大人だなぁ……なんでもお見通しってわけだ)
「……ありがとうございます」
礼を述べると、英子さんはふわりとまとめた髪を揺らして――
「私、落ち着いたら絶対にこの職場に帰ってくるから。でも、『待ってて』なんて言わないよ。真壁くんたちは、夢に向かってがんばって。私は、その背中を応援できる――疲れたときに笑顔にしてあげられるような、そんな
その笑みに、俺と荻野はハモってしまう。
「「英子さん、マジ
そうして、取り残されたバックヤードで、俺は荻野に向き直った。
卒業後のこととか、なんとなく思っていることはあるけれど、実は前から聞きたいと思っていたことがあったんだ。
「荻野さぁ……」
「なにー?」
「そういや、加賀美さんとはどーなったの?」
問いかけに、荻野はきょとんと目を丸くした。
なぜか、ほんのりと頬を染めながら。
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