後日談 22話 触ってくれる?

「英子さん……! なんか最近、元気なくないですか?」


 まだるっこしいのは苦手だ。一息に問いかけると、英子さんはなぜか、夕暮れにも負けないくらいに頬を染めて――


「えっ。そ、そんなことないヨ……?」


(はぁ~、もう。うそ下手すぎてため息でるわ……いい意味で)


「隠してもバレバレですよ。力仕事でもなんでもないときに呼吸を整えたり、どこかぼーっとしていたり。久しぶりにシフトが被った俺ですら『なんかおかしいな』って思うんですから」


「あっ。その……ごめんなさい。接客業失格よね……?」


「そうじゃないです。元気がないなら相談してくださいって話ですよ。俺はたくましい方じゃないけど一応男ですし、力仕事なら率先して代わります。接客だってふたり体制なんですし、体調が悪いならなるべく俺がやるようにしますから……って、そうじゃなくて。単純に心配なんですよ。英子さんに元気がないと俺が落ち着かない」


「……!! 真壁くん、いい子すぎて好きになっちゃいそう……」


「ふぇあっ!? なんでそうなるんですか!? ……それに、荻野も心配してましたよ」


「涼子ちゃんが……? ヤダ恥ずかしい。皆に迷惑かけちゃうなんて……」


「『迷惑』じゃない。『心配』です」


「でも、本当になんでもないの! ただちょっと、体調(?)が悪いだけで。風邪とかそういうのでもないから! ごめんね、心配かけて……」


 そう言って、かぁぁと更に頬を染める英子さん。

 端的に言って怪しすぎるし、エロすぎる。

 それに。どう考えても『ご無沙汰』だろコレ……!


 つられて赤面しながら視線を逸らすも、閑散としたフロアに俺たちの鼓動だけが響いているような、そんな錯覚に陥ってしまう。


(どうする? 聞くか? もう少しつっこんで……『ご無沙汰性的欲求不満』が理由じゃないことも十二分に考えられるわけだし……)


 うん、聞こう。ここで遠慮してたら、それこそ職場仲間の名が廃る……!


 俺は、僅かに深呼吸してから問いかけた。


「英子さん、俺じゃあ相談相手になれませんか?」


「!」


 まっすぐな問いに、英子さんは夕暮れに染まる瞳を大きくさせる。

 わかっているんだよ。この聞き方はって。

 こんな聞き方をされて断ったら、『俺を信頼していない』みたいじゃないか。

 だから、英子さんは断れない。


 英子さんが俺のことを信頼しているかしていないかはともかく、英子さんは少なくとも、俺へのそういう配慮ができるくらいには聡くて優しい人だから。


 想定通り、英子さんはふわりと、困ったような笑みを浮かべた。


「真壁くんはすごいなぁ。……うん、すごい。職場の皆が真壁くんのことを好きな理由、わかるよ。もちろん私も好き。そんな真壁くんに、隠しごとはできないよね……?」


「!」


(わ……さすが人妻。『好き』って言葉をこんなためらいもなく……! う、嬉しいやら恥ずかしいやら……無論、この『好き』が『人間として』っていう意味なのはわかっているんだけどさ。でもやっぱ、恥ずかしいな……)


 大学生の俺にはまだ、こんな余裕で恋人以外の誰かに『好き』なんて言える度量はないよ。


「真壁くん、心配してくれてありがとうね」


(うああ、そんな風に柔らかく微笑んじゃダメです英子さん……! 絶対勘違いする奴出てきちゃうからぁ……!)


 現に、俺だって気を抜いたら陥落しそうな勢いですし。


(ダメだダメだ、俺には灯花っていう天使な彼女が――! そもそも英子さんは人妻で――!)


「えへへ……じゃあ、ちょっと頼っちゃおうかな?」


 そう言って、気の緩んだような笑みを浮かべる英子さん。


(えっ、何? 英子さんて「えへへ」とか笑うタイプなの……? わ、うわぁ〜……今のは完全に不意打ち。可愛すぎる……!)


 ともあれ、ふたりで協力して半端になっていた仕事を片付け、俺たちはバックヤードに移動した。さすがにフロアじゃあ話しづらいこともあるだろうからな。

 幸いレジカウンターには呼び鈴がある。お客さんが来たのなら、それが鳴ってから対応すればいい。

 バックヤードに足を踏み入れがてら、英子さんは頬を染めながらぽつりとこぼす。


「職場で相談するのは真壁くんが初めてなの。皆には内緒にしてくれる……?」


「もちろんですよ。英子さんがそう言うなら――」


 ――「内緒にします」と言いかけた俺の胸元に、ふわりと女性特有の甘い香りが届いて。次の瞬間、一歩踏み出した英子さんが縋るように胸元に抱きついていた。


(――え?)


「はぁ、はぁ……真壁、くんっ……!」


「!?!?」


 縋り付いた瞳は潤んで、英子さんは『何か』に耐えるように睫毛を濡らしている。

 漏れる息は熱く、心なしか身体も火照っているような……


(えっ……あれ? 英子さん?)


 もしかして、もしかしなくても。

 やっぱり『ご無沙汰欲求不満』だったの……?


(う、うそ……どうしよう……!)


 たしかに、相談に乗るとは言った。

 頭のどこかで「ご無沙汰かな?」とかも考えたし、英子さんは絶世の美女さんだから、そうだったらエロいなぁなんて邪な考えもあったけど……


 実際にこうなるとは思っていなかった……!


「真壁くん……ごめ、んね……っ」


 謝りながら俺の胸元に埋もれる英子さん。しなだれかかって倒れそうになる身体を、俺は受け止めることしかできなくて。

 それがただひたすらにエロくて……


 瞬間。俺は人妻がなぜエロいのかを理解した。


 日々の欲求不満が抑えられなくて昂っちゃって、職場で唯一の男である俺にこんなことしちゃう、みたいな構図がもうエロい。

 好意のあるなしの問題じゃないんだ。要はシチュエーション。

 明確に『配偶者だんなのもの』であるはずの彼女が、こんな風に『配偶者以外』とそういう雰囲気になる――そこにある背徳感と高揚感……


(ダメだ……!)


 理屈ではわかっているのに、思考もうそうが抑えられない。


 あたたかい笑みで子どもにアイスを渡す彼女が、家ではこんなエロい表情で旦那と致しているのか? 結婚しているんだ、少なくともその回数は一度や二度ではないはず。

 きめの細かい肌、柔らかな吐息……普段は旦那に向けるその視線を、今、彼女は俺に向けている……?


「はぁっ……真壁、くん……」


 呼びかけに、思考の淵から引き戻される。


「え、英子さんっ……! 具合っ――具合が悪いんですか? 体調不良? どこが痛いの――?」


 しどろもどろに問いかけると、英子さんは潤んだ上目遣いで答える。


「…………お腹」


「お腹……」


 ……それって腹痛? それとも、子宮ナカ……?


「触って……」


「え――?」


「さすって、くれる……?」


 ひと気のないバックヤードに、懇願するような囁きだけがこだました――





※先日公開した『閑話(本編関係なし) 設定・創作秘話、振り返り』を近況ノートに移動させました。コメントくださった方々、ありがとうございました!

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