後日談 21話 ご無沙汰な人妻

 真冬のアイス屋に客はあまり来ない。


 その日、俺と荻野は閑散としたフロアにおしゃべりが響かないようひっそりと、無心でショーケースを拭いていた。


 暇なんだよ。冬のアイス屋は。

 ぶっちゃけクリスマスのアイスケーキシーズンが過ぎたら、客足なんて一日二桁いくか?みたいな心境で。さすがに二桁はいくけど、夏に比べれば云十分の一なんだ。


「で。話ってなに?」


 これ以上綺麗にならない(無駄に)ぴかぴかのショーケースを拭きながら問いかけると、荻野は短くため息を吐く。


「最近さぁ、英子えいこさん元気なくない?」


「英子……さん……」


 ……誰?


 じゃなくて! 英子さんは俺たちよりも少し後に入った、店の中では比較的ベテランな主婦パートさんだ。

 当たり前だが、年齢は俺たちよりも少し上。俺はシフトがほとんど被らないので詳しくないが、夏休み明けの打ち上げなどで何度か顔を合わせたことがある。たしか、店長の口ぶりだと二十代後半の主婦さんだったかな。

 夫の転勤でここらに越してきて、『ウチに足りない午前人員をカバーしてくれる救世主!』なんて言われて即採用されてたっけ。


 今となっては『午前中の番人』なんて、わけのわからない二つ名までついちゃって、店長の美鈴さんとも大人の女性同士話が合うみたいで――言い方は悪いが、要は人妻さんなのだ。すごく美人でおだやかで、その上アイスがめちゃくちゃ似合う端正なお方。

 英子さんが子どもにアイスを手渡している姿を見ると、つい「今日も世界は平和だ……」なんて、『ぽわわ』とした気持ちになってしまう人だ。


 でも――


「英子さん、最近シフト被るとしょっちゅう無意識にため息吐いててさぁ。さすがに接客には響かないようにしてるみたいだけど、それでもから元気なのが丸わかり。真壁、なんか知ってる?」


「いや、何も」


 ぶっちゃけ、俺は学校の兼ね合いでほぼ夕方からのシフトだし。英子さんとは数回シフトが被って話した程度。一方で荻野は二、三限がないだとか大学がアイス屋から近いだとかで、シフトは結構不規則。だから、英子さんとはそれなりに仕事したことがあるらしい。


 でも、英子さんはたったの数回一緒に仕事した俺でもわかるくらいには人の良さが滲み出ている美人だったから、元気がないなら心配だ。


「なんだろう? あたしにゃとんとわからないけど、いわゆるマリッジブルーってやつ?」


「いや。マリッジブルーってたしか、結婚前後の人がなるやつだろ? 英子さんは俺らが高校生のときには既に結婚してたから違くない? 仮にあの頃新婚だったとしても、もう五年くらい経つんじゃないか?」


「じゃあやっぱ、旦那さんとご無沙汰なのかなぁ?」


「……!?」


 ……思った。俺も一瞬「そうかな?」とは思ったけど……!


「下世話!! もう少しオブラートに包めよ、荻野!」


「え~? 今はウチらしか店にいないんだし、よくない? それにさ、英子さんすごい美人じゃん。あの色白端麗フェイスで物憂げにため息吐かれると……なんつーか、エロいよね」


 それには激しく同意。

 人妻ってすごいよな。なんなんだろな、あの色気。


「そ、そりゃあそうだけどさ……でも、仮にご無沙汰だったとして。それこそ俺らにはどうしようもなくね?」


「でも、英子さんには元気になって欲しいし……」


「俺もだよ……」


「「…………」」


 その絶妙な沈黙が、瞬きの間に嫌な予感をさせた。

 俺と荻野は、既にそういう空気で色々と感じられる仲なのだ。


(あ。コレ。絶対無茶ぶりが――)


「真壁、聞いてみてよ」


(来たぁぁ~…………!)


「明日、数か月ぶりに英子さんとシフト被ってんじゃん? 休校だとかなんとかで」


「二ヶ月ぶりに被ったシフトで『最近旦那さんとご無沙汰なんですか?』なんて聞けるわけね~だろアホ~……! 仮に毎日被ってても聞けねぇよ~……!」


「いや、他に言い方あるでしょ」


「お前にだけは言われたくない」


「じゃ、任せたからね。乙女心完全掌握プレイボーイ真壁!」


「サイッテーのあだ名!!」


 そんなこんなで無茶ぶりをして、荻野は颯爽と夕方であがっていった。


 ◇


 翌日――


「あの……英子さん……」


 午前はやばんのシフトも残り数十分。夕暮れが近づいて学生バイトが交代にやってくる時間帯。

 俺は、うっすらと夕陽に染まる悩ましげな人妻さんに声をかけた。

 英子さんはあがりの支度のために引継ぎのノートを書いていて、帽子からわずかにはみ出たおくれ毛を耳にかけながら顔をあげる。その、ふとした仕草がどこか色っぽい。


「なぁに? 真壁くん」


「あ。えっと、その……」


 言い淀む俺に、英子さんはハッとしたように口元を抑える。


「あ、ごめんね。この職場じゃあ真壁くんのが先輩だよね? えっと……『くん』じゃなくて、『真壁先輩』の方がよかったかな?」


「いや、そういう意味でドモってたんじゃないです。全然フツーに『真壁』でいいですよ」


 いくらシフトが被らないとはいえ、何年も同じ職場で働いているんだ。そういう風に、ちょっとした冗談を交えて会話できるくらいに俺たちは仲が良かった。


「でも、真壁くんは私が入りたての頃、色々教えてくれたでしょ? シフトはあまり被らなくて、今日はなんだかご無沙汰な感じだけど……」


「ご無沙汰……」


 い、いかんいかん。コレはそういう意味じゃない。

 でも、ついその単語に反応してしまって……


「私、真壁くんと涼子ちゃんには感謝してるんだ。ふたりは、年上のくせに何もわからない新人パートだった私に、とっても親切にしてくれた大先輩だもの。今日も、思いがけないお客さんラッシュのときにテキパキと手助けしてくれてありがとう。真壁くんはさすがだね」


 にこ……! と夕暮れに染まる大人びた笑み。

 それがとっても綺麗で、でも飾り気がなくて、どこか可愛いとすら思えて……


 つい一瞬、思ってしまったよ。

 「旦那羨ましいなこんちくしょう」って。


(うう、英子さんなんていい人なんだ……! 店長、採用センスありすぎだろ!)


 だからこそ、なんで元気がないのか、知りたい。

 助けたい。


「英子さん……! なんか最近、元気なくないですか?」


「え……?」


 まだるっこしいのは苦手だ。一息に問いかけると、英子さんはなぜか俯き、夕暮れにも負けないくらいに頬を染めたのだった――


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