バッドドリーム・デッドエンド⑤(完)
俺は、いつもと変わりない日常を刻む時計の音に耳を傾けながら、国語の授業を聞き流す。日本人なんだから、国語なんてできて当たり前だろう。今更太宰治だの人間失格だのといわれたところで何がどうなるっていうんだ。
先生の好きな名著の紹介?そんなものが、将来的に何の役に立つ……なんて。
ごめん、先生。言い過ぎた。好きなんだよね、太宰治。わかったから、起きている生徒の率が半数以下なことにそんな悲しそうな顔をしないでくれ。このタイミングで人間失格なんて題材を取り上げたことにちょっとチクっとなっただけ。八つ当たりです、ごめんなさい。
でも、授業の最初に「このクラスは進みが早いので、テストには関係ありませんが今日は私のオススメを紹介します」なんて、テストに出ない宣言をした先生も悪いと思うよ。……なんて。人間が何をどうすれば失格なのかなんて、結局は個々人の考え方なんだよなぁ。
俺が愛を言い訳に三股をしてしまったように、物語の人物にも『失格』になってしまうようなその人なりの考えや境遇があったのかもしれない。ましてや、人の行いが善か悪かなんて、見方が変われば認識も変わるし……って、それこそ言い訳か。
(はぁ……)
頬杖をつきながら、夏風にゆられる木々に目を向ける。珍しく涼しい今日は窓から吹き込む風が気持ち良くて、ついうとうとしてしまって。ぼーっと、昨日の出来事が頭に思い浮かんだ。
(白咲さん、めっちゃ良かったなぁ……)
端的にいうと、俺達は身体の相性が抜群に良かった。
結局あのあと、白咲さんに連れられてホテルに入った俺は三股という罪を犯し、白咲さんを抱くことになった。あんな説得をされて「キミはダメ」なんて言える権利俺にはないし、白咲さんは可愛いし。結果として、俺はとても満足してしまった。昨日の今日で白咲さんのことを忘れられないくらいには、身体にその存在を刻みつけられてしまったのだ。
無論、荻野や坂巻とするのも例えようがないくらいには気持ちいい。
荻野はどこで学んだかものすごいテクニシャンだし、坂巻は一生懸命なところが可愛いし。でも……
(はぁ……白咲さん、よかったなぁ……)
例えようがないと言いつつ敢えて例えるならば、荻野は楽しいホッピングシャワー。他では味わえないようなわくわくを与えてくれて、尚且つ行為後のあっさりとした感じはダイキュリーアイス。涼やかで、気心の知れた親友なせいか後腐れがなさすぎて、かえって「ほんとに俺のこと好き?身体目当てじゃない?」とかメンヘラみたいなこと聞きたくなるくらいのビターな爽やかさ。
で、坂巻はストロベリーチーズケーキかな。甘いんだけど、たまにくる初心な酸味がイイっていうか可愛いっていうか……見た目ギャルのくせに処女だったし。あんなにぐいぐい来つつも、恥ずかしがって「電気消して」とか顔隠したりだとか、「今更?」って感じ。でもそこが可愛くて。
でもって白咲さんは……
キャラメルリボンかな。
甘い。とにかく甘い。そして可愛い。
なんと言えばいいのか。白咲さんは――めちゃくちゃに甘かった。
声も吐息も、身体の柔らかさも。俺のことを「ダメな人間」とわかりつつも、それでも欲してくれる心さえ、何もかも。
今すぐにでもリピしたいレベルには俺のことを甘やかしてくれて、天使みたいにふわふわに包み込んでくれて。
それらの味の違いが、癖になりそうで……
(……また、したいなぁ……)
ふと、そんなことを考えて首を横に振る。
(だ、ダメだ。ダメだ。ダメだ。そろそろここらで足を洗わないと――!)
いくらなんでも三股はヤバイ。
しかし、無情にもポケットのスマホは揺れて、新着通知を教えてくる。
――『ゆきさん、また会いたいです』
――『俺も、そう思ってたところだよ』
つい即答するくらいには、俺はすっかり白咲さんにハマってしまっていた。
これが狙いか? いや、まさか。白咲さんにかぎってそんな……
乙女の魅力、恐るべし。
その日の放課後。バイトを終えた俺は、塾帰りの白咲さんと待ち合わせしたホテルの前にいた。
◇
――『先にお部屋で待ってますね』
そう言われて、スマホを片手にエレベーターであがる。
(ええと、402、402は……)
あった。四階の角部屋だ。
コンコン、とノックをしてドアノブを回す。鍵をしていないなんて不用心だなぁ、注意しておかないと……。と思いつつ扉を開けると、そこには見慣れた黒髪の美少女が立っていた。
にこにことした大きな瞳に、フリルのブラウスの上からでもわかる豊満な胸。ノースリーブからのぞく二の腕が真っ白で、ふわりと香るシャンプーがいい匂いで……
俺が、見間違えるわけがない。
「え? あれ……? むつ姉……?」
――なんでここに?
バレた? チクった? 白咲さんが?
なんで? どうして? なんのために?
昨日はあんなに「気持ちいい。私、幸せです……」って言ってくれたじゃないか。
「どうして……?」
尋ねると、目の前のむつ姉がふわりと俺に抱き着く。
「……ゆっきぃ。大好き」
「……!?」
まさか、四人目……!?
ブスリ、と鈍い感覚がして、俺は自身の胸元に抱き着くむつ姉を見おろした。
むつ姉は、従弟に向けるソレとは異なる感情を浮かべて、幸せそうに頬をすり寄せるばかり。一方で、床にはどす黒い血だまりがじわりじわりと広がっていく。
咄嗟の出来事に、何が起こったのか理解できない。それはまるで、脳が目に映る光景を
(……あ。俺、刺されたんだ――)
包丁か、ナニカで。
なぜだろう、不思議と痛みはない。きっと脳が
でも……これが現実だ。だってさっきから足元がぬめってしょうがない。うっかりすると、転びそうなくらいには。
(え……? あれ? 俺……死ぬの? どうしよう……)
どうしよう。
無念もない。それらしい後悔も思い浮かばない。
きっとそれだけ俺の心には、快楽と一緒に罪悪感も積もっていたと思うから。
こうなって当たり前だって、どこか納得してしまって、最期の最期で言葉が出てこない。
(ああ、せめて……最期に「○○、愛してる」って、一言で呟ける人間になりたかった……その「愛してる」をひとりに決めれる人間に……)
血の気が引いてぼーっとする頭には、ふと、先日読んだ漫画の一ページが浮かんで。「死ぬなら美人に殺されたい」だったかな……?
うん。その気持ち、わかったよ。
(こういうことか……)
「……わっ。ゆっきぃ、大丈夫?」
ふらり、と豊満な胸に抱き止められて、俺は意識を失った。
『ゆっきぃ、ゆっきぃ……!』
遠退いていく声に、耳を澄ませる。
……ああ、なんて心地がいい。
最期に聞く声が、むつ姉だなんて、最高だな……
◇
「ゆっきぃ、ゆっきぃ……!」
ぺしん! と頬を叩かれて、俺は意識を取り戻した。
見上げると、見慣れた天井をバックに大きな瞳から涙を零すむつ姉が俺を見下ろしている。
(あれ? ここ、バイト先の
「むつ姉……?」
問いかけると、むつ姉は声をあげて俺に縋り付いて。
「わぁあああん! 目ぇ覚まさなかったらどうしようかと思ったよぉ! 大丈夫!? ゆっきぃ、バイト中にフラっと倒れて気を失っちゃって! 店長が、熱中症なんじゃないかって。室内でも熱中症ってなるんだよ!? ほら、お水飲める?」
「ん……」
「あっ。無理して起き上がらなくていいよぉ。飲ませてあげるから」
そう言って身体全体で俺の上半身を支え、ペットボトルを口に押し当てるむつ姉。
俺は、ふと尋ねた。
「……ねぇ。むつ姉って……俺のこと……好き?」
「へっ――!? ふえっ……!? どしたの急に!?」
顔を真っ赤にして慌てるむつ姉に、「ただ、なんとなく」と口にする。
そうして――
「さっき、夢で……むつ姉に『大好き』って言われて……」
――刺された。
するとむつ姉は口元を隠しながら――
「……う……す、好きだよぉ。当たり前でしょ? 昔っからずーっと一緒の、大事な
「……従弟だから? 好きなの?」
アレは。あの目は。そういう『好き』?
「ゆ、ゆゆゆ、ゆっきぃのことは……その……うん……好き、だよ……」
俯いていてぼそぼそと口にするむつ姉は、さんざん迷ったあげくに「か、家族として……」と付け足して、俺を安堵させた。
「とにかくっ! 今日はもう店長に任せて、私と早退しよう? 熱中症にはビタミンB1がいいんだって。豚の生姜焼き作ってあげる。ゆっきぃ、好きでしょ? それとも食欲ない?」
「いや、もう回復してきたよ……むつ姉の生姜焼き、食べたいな……」
――ああ。夢か。夢だったのか。
荻野や坂巻、白咲さんと三股したことも。
むつ姉に「大好き」って言われたことも……
全部……夢かぁ。
死ぬかと思った。
……死んだけど。
俺は、バックヤードのソファでむつ姉に膝枕されながら天井を見上げる。
(ああ、こないだ荻野とここでキスしたから――)
だから。こんな夢を見たのか。
(ファーストキスが、荻野か……言えないなぁ。むつ姉には……)
「どうしたの? ゆっきぃ?」
「んーん。なんでもない」
「大丈夫?」
「ん。もう大丈夫」
――俺、浮気しない。絶対に。
そう心に決めた、ある夏の出来事だった。
(バッドドリーム・デッドエンド編 完)
※あとがき
そういえば、あと少しで星1500に届きそうです!まだ星入れてないよ〜って方は追い込みで入れてくださると嬉しいです!ぜひよろしくお願いします。
すでに入れてくださっている方、いつも応援してくださる方々、おかげさまでここまでこれました!本当にありがとうございます!
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