バッドドリーム・デッドエンド④

 俺は――クズだ。


 だって、意志薄弱の名のもとに流れ流され、バイト先の同僚とクラスメイトとセフレという関係を結んでしまったのだから。端的に言ってクズだと思う。


 けど、あれだけ捨てたかった童貞を卒業してセフレがふたりになっても、日常はいままでと変わりなく続いていく。つまらない授業、そこそこ好きなアイス屋のバイト、いつも可愛いむつ姉……そんな日々の中に時折届く、スパイスのきいたLINE。


 『明日……会える?』


(今日は坂巻か……)


 こうして向こうから誘われると、いかにも『望まれている』と思えて、それだけで俺の心は満たされた。


 俺は性欲があるのかないのか、それとも覇気やら気力やらがないのか。童貞も一度卒業してしまうと「こんな感じかぁ」という感想で終わってしまって、それ以降は荻野や坂巻の要望に応える意味合いが大きかった。多分、肉体的な快楽よりも精神的な充足により満たされる人間なんだと思う。それでも、いわゆる二股という関係に対する背徳感は大きい。


 だが、一度したんだ。二度も三度も変わらんだろう。

 なによりふたりは許してくれる。喜んでくれる。だからいいんだ。


(ええと、『別にいいけど』と……)


 返事をしようとスマホを手にしていると、その文面を掻き消すように通知が届いた。俺は思わず、差出人を二度見する。


(え……?)


 ――『白咲さん:もしよければ明日の放課後、会えませんか?』


 白咲さんとは、デズニーでひと悶着あって以降、何度かアイス屋で会いはしたものの、デートに出かけたことはない。こうして個人的に「会おう」と誘われるのは二度目。でも、デズニーでは「他に好きな人がいるから」と、いわばフッてしまったような形になってしまった。正直、今会っても何を話せばいいのやら……


 にも関わらず、いまだにこうしてLINEしてくれるのは素直に嬉しい。それに、白咲さんから用があるなんて珍しいし……


 俺は結局、坂巻の誘いはまた今度ということにしてもらって、翌日は白咲さんと会うことにした。


  ◇


 翌日。白咲さんを助けた駅前広場に呼び出された俺は、他校の女子と待ち合わせするという得も言われぬ特別感にそわそわしながら、しきりに時計を確認する。

 荻野と坂巻とは一線を越えてしまったせいなのか、妙なのようなものがあって、こうしたいい意味で浮足立つような気持ちはなんだか久しぶり。それがこそばゆくて、あったかくて……


(あれ? 俺……白咲さんに会うの、こんなに楽しみだったっけ……?)


「ゆきさん!」


 すこし向こうから、にこっ!と手を振るセーラー服の女子高生。

 こげちゃの髪をふわりと揺らして、「待たせちゃいましたか?」と上目遣いで睫毛をしばたたかせる。

 改めて見ると……やっぱ可愛いな、白咲さん。


「あれ? ゆきさん? 私の顔に何かついてます……?」


「いや……ま、待ってないよ。俺もさっき来たし……」


 しまった。ついガン見してしまった。照れくさくなって視線を逸らすと、白咲さんは「よかったぁ」と微笑んで近くのカフェに移動した。

 白咲さんのお気に入りだというはちみつ入りのホットカフェオレを二人分。それを手に、学校であったことや最近食べた美味しいアイスの話をする。なんでもない時間がなんだかとてもあたたかくて、心が落ち着いて……


(ああ。こういうのもいいなぁ……)


 女子とのデートは、身体的接触がすべてじゃないよ。うん、そうだ。


 ……と、思っていたのは、俺の方だけだったらしい。


「ねぇ、ゆきさん? 私……こないだ見ちゃったんです。ゆきさん、女の子とホテルに入りましたよね?」


「え゛っっ……」


 思わず、カフェオレを吹きそうになる。


(なんで知って……? え? 見た? 見られた?)


 てゆーか……


「白咲さん、そんな遅い時間になにやって……?」


「た、たまたまですよ! 決してストーカーとかではないです! その日はたまたま、塾の先生に遅くまで勉強を教わっていて。親に迎えに来てもらうところだったんです……! そしたら、通りの向こうにゆきさんと女の子が見えて。路地の先の、ホテルに入るところが見えて……」


 もじもじと顔を赤くする白咲さん。あいにくこっちはそれどころじゃない。心臓がバクバクと嫌な音を立てて、止まらなくなる。


(え? それ……荻野と坂巻、どっちだ? いや、問題はそこじゃないか。どう弁解を……)


 てゆーか、弁解するべきものなのか?

 白咲さんは彼女じゃないぞ。しかもまだ、(公認)二股とバレたわけじゃな――何を焦ってるんだ、俺は!!


 でも……


 正面を伺うと、白咲さんは悲しそうな目をしていて。泣きそうとまではいかないけど、それでも、見ているこちらの胸を締め付けるには十分すぎる顔をしていた。


「私はダメだったのに……あのベージュの髪の子はいいんですか……?」


(あ。坂巻か……てか、そうだよな。白咲さんとはデズニーのあと「ホテルには行けない」という話をしていていたのだから。そんなところを目撃したらそう思うのも無理はない……)


「しかも、違う日は違う子とホテル入ってましたよね? 銀髪で綺麗めな子……」


(……え。白咲さん、目撃し過ぎ……?)


 ――じゃなくて。改めて、俺、なにやってんだ……

 俺のことを好きな子の想いに応えたくて。あんなことして。

 同じように俺のことを思ってくれる子にこんな顔をさせて……


「ねぇ……私……そんなに魅力、ないですか?」


「へっ――?」


「あの日から、ゆきさんに振り向いて欲しくて、お洒落も髪も今までよりずっと気にするようになって。アイス屋さんに行こうって日は、肌のお手入れも念入りにして、お化粧もきつくならない程度にがんばって……胸だって、毎晩マッサージしてるのに……」


「し、白咲さん……?」


「ねぇ、ゆきさん。私は……ゆきさんにとっては、可愛くないですか? 女の子として見ることはできませんか?」


 うるうると見つめる瞳が宝石みたいに揺らいでいて……

 切実に自分を求めるその視線が、好ましくないわけがない。

 しかも、俺に好かれるためにそこまでしてくれる子のことが――


「可愛くないわけ、ないでしょう……」


「!」


「なに言ってんの……白咲さんは可愛いよ。だから駅前であんなナンパとかされるんだ。知らないの? 白咲さんがアイスを買った後に男子高校生とかが来ると、『なに今の子、チョー可愛い』とか『アレどこの制服?』とか、そんな会話されてるんだよ? 傍目に見ても白咲さんは可愛いし、俺だって幸せそうにアイスを頬張る白咲さんのこと、ずっと見てたいなって思う日もあるのに……」


(――ハッ!)


 俺は、なにを言って……

 こんな誤解させるような言い方してどうする。

 これじゃあ逆に――


「ねぇ、ゆきさん……」


 はっとして顔をあげると、安堵したような笑みと目が合った。


「……嬉しい。お世辞だとしても、とっても嬉しいです。私……がんばってきてよかった」


 そう言うと、白咲さんはおもむろに席を立って俺の隣に立つ。


「でも……私、ゆきさんのことちょっと見損ないました」


「!」


「私のこと可愛いって思っているなら、どうしてあの日、断ったの? 好きな人がいるからでしょう? だったらどうして、それを最後まで貫けないの? あの子はよくて私はダメなの? その違いは何? しかも二股じゃないですか」


(ああ、ダメだ。ぐうの音も出ない……)


「ゆきさんは、どうしようもない人です」


 一変して見下げ果てたような眼差しが、俺を突き刺す。だが、俺はどこか安堵した心地でその言葉を聞いていた。


(……うん。フツーはそう思うよな。それが当たり前だ。二股でもいいなんて……荻野や坂巻、俺がどうかしてたんだよ……)


 少なくとも責められてホッとするくらいには、俺にも罪の意識はあったようだ。俺は、きっとこうやって俺のことを引き止めて、罰してくれる誰かを望んでいたのかもしれない。


 だが。白咲さんは何を思ったか、俺をふわりと抱き締めて――


「え……?」


(なに? まさか、刺され――――)


「……ッ!?」


 ギョっと見上げると、大きな瞳からぽろぽろと、真珠のような涙が零れだしていた。


「でも……それでも……どうしようもないくらい好きなんです……!」


(……!?)


「たとえゆきさんがクズでも! 私にとっては……あの日、危ないところを助けてくれた恩人で、騎士様で、王子様でもあるんですから……! アイス屋で素敵な笑みを浮かべてくれるゆきさんも、女の子と二股するようなゆきさんも、どちらも変わらずゆきさんなんですから! それがどうしようもなく悔しくて、でもこの『好き』は変えられなくて……選ばれない自分のことがただ悔しくて、悲しくて……それこそどうしようもなくて……」


 周囲の客がなにごとかと息を潜め始めるなか、白咲さんは頬を伝う涙を拭うと、だらりとぶらさがったままの俺の手を握った。


「――ゆきさん」


 その声に、びくりと肩が震える。


「ついてきて……」


「?」


「私のこと、ちゃんと可愛いと思ってくれているなら、ついてきてください」


 そうして俺は――


 また、罪を重ねた。



 

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