後日談 10話

 俺は幼い頃から、鍋に馴染みのない子どもだった。


 両親は留守がちで手料理とは縁遠い人間だったし、食べるとすればむつ姉のところでお夕飯をいただくときに何度か、といった感じ。

 灯花と付き合い始めてからは、冬に小さな土鍋をふたりでつつくことはあったかな。それで一時期は水炊きにハマったりして。でも、食べた回数自体はそこまで多くはない。


 だから、こんなん初めてだよ。


 俺は、思わず椅子から立ち上がって、真っ黒に染まった鍋から肉を取り出しながら怒声を浴びせる。


「荻野ぉっ! てめぇ鍋にチョコレート入れるとか頭イカれてんのか!?」


「えぇ〜。だって、世の中にはチョコポテチとかあるし、甘い方が美味しいかなって……」


「甘いだけが正義じゃねぇだろ!? お前、ダイキリーアイス食いながら『甘さと爽やかさのバランスが神』って言ってたじゃねぇか!?」


 って。それどころじゃない!!


 少しでもチョコが付着する前に、肉と野菜を助けないと!


「あ〜もう。どうすんだよ、食えねぇよぉ……」


「は? 食うに決まってんでしょ。てか、こういうのが闇鍋の醍醐味じゃん。あ、綾乃ちゃん七味とって〜」


「あーい」


 そう言って、荻野は平然とチョコのかかった豚肉を箸で摘んだ。


「ん。塩気と甘みのバランスがなかなか……ね? 灯花ちゃん?」


「ん〜……私的には、ナシかなぁ。でも食べられなくはない。感覚的にはチョコフォンデュに近いけど、白菜の水気が残ってるのがなぁ……」


「うっそぉ!?」


 白菜ナシでもナシ寄りのナシだろ!?


「私はキライじゃないよ。大根とチョコの相性はまぁまぁ。野菜スティックに、砂糖たっぷり甘めのマヨネーズ付ける感覚に近い」


 ……なわけなくない?

 坂巻の例え、もはや意味不明だし。


「あ。シイタケにチョコはアリかも! きりたんぽなんてフツーに美味いね。おはぎみたい。新しい発見〜」


「だよねぇ!!」


 坂巻の思わぬ好感触に、荻野はこくこくと頷く。

 そうして、俺に向かってチョコのかかったきりたんぽを差し出した。


「真壁。ほら、あーん」


「え? いや、俺は、その……」


「なに? 照れてるの〜?」


「なわけないだろ」


 フツーに、チョコがけきりたんぽに拒否反応を示していただけだが。そうやってニヤリ、もといしたり顔をされるとカチンとくるわけで。


 俺は目を瞑って、口を開いた。


「ん。……! ん……!?」


 う、美味い……だと……?


 驚きに目を見開くと、坂巻と灯花も競うようにして「あーん」してくる。


「やめっ。やめ……! シイタケは嫌だ!」


 などと。


 こんなに賑やかな鍋、生まれて初めてだよ。


 騒がしくって、きりたんぽ以外はお世辞にも美味いと言えない鍋だけど。

 得体の知れない具材を突きながら、わぁわぁ笑っている三人を見てると……


(……悪くない、かな……)


 と、思ってしまった。


 ◇


 夕食を終えてソファでくつろいでいると、風呂からあがったのかほかほかと頬を上気させる荻野が、タオルで髪を拭きながらやってきた。


 寝そべる俺を上から覗き込むように、「わっ!」と声を出す。

 俺は、半分場所を空けようと起き上がる。荻野は当たり前のように、空いたスペースに腰掛けた。


「なに。どしたん?」


「いや別に。真壁いるな〜と思って」


 ……ほんとにそれだけ?


 ならいいが。


 灯花の『お触り推奨令(俺の人権度外視)』は、三人の中ではいまだ継続中らしく、荻野もナチュラルに距離が近い。

 だからついつい身構えてしまう。


 なんだかんだでファーストキスは荻野だったしなぁ。あの不意打ちはずるいだろ。


 だが、荻野は存外、打算のない笑みを浮かべた。


「あは。好きな人と一緒に暮らすのって、いいね!」


(……!!)


 荻野の蒼い瞳は、まっすぐに俺のことを見つめて『好きな人』と言い切った。

 楽しそうに、爽やかに揺れる濡れた銀髪。


 思わず、顔が赤くなる。


(うわ……荻野は、これだから……)


 自分の気持ちにまっすぐで、感情表現もストレートで……


 つい、嬉しくなってしまう。


(てか、『真壁いるな〜』で声かけるとか、構って欲しかったんか? それとも呼びたかっただけ?)


 どっちにしろ、俺のこと好きすぎだろ……


 照れた顔を隠すようにそっぽを向くと、「なんで向こう向くのぉ!」とか拗ねるし。

 可愛すぎか?


 そんな荻野は、ふと俺に尋ねる


「真壁さぁ、夕飯のあとキッチン立ってたじゃん? 何作ってたの?」


「え? ああ、今度のコンテストに出そうと思ってる、チョコレートの試作だけど」


「だから冷蔵庫にあんなにチョコあったのかぁ!」


「おまっ……まさか、さっきの闇鍋にクーベルチュール使ったのか!? アレ板チョコよりも高いんだぞ!?」


「いんや。入れたのはクランキー」


(あのサクサク、おこげの残骸じゃなくてクランキーだったのか!?)


 色んな意味で動揺を隠しきれない俺。

 しかし、荻野は何を思ったか、生地が薄くてがばがばなタンクトップの胸元を仰いで、ちら見せしてきた。


「は!? おいやめ……」


「やっぱ、彼女以外でもどきどきするんだ?」


「ちが……」


「でも顔、赤いよ?」


「……ツ」


 赤いのくらい自分でもわかってる。ぐうの音もでない。

 だが、次の瞬間。


「隙あり……!」


(!?)


 荻野は俺をソファに押し倒して、唇を舐めた。


(なっ……はぁ!?)


 やばいやばい。


 荻野の舌ピが俺の口の端舐めてる……!


「おい、やめ……!」


 上に乗られて、尻も当たるし胸も当たるし、洒落にならん!!


 だが、荻野にとってはちょっとしたイタズラのつもりだったらしい。俺の口の端に残った、試食したときのチョコレートの余りを舌先につけて。


 荻野は笑った。


「ん……美味しい」


 なんか、どっかでみたことある光景だ……


(ああ、そういえば。ファーストキスのときも、こんな感じだったっけ……)


 懐かしい。


 あのどきどきと、暗闇でふたり。

 「好き」って言われて「二番目でもいい」って……そんなこともあったっけ。


 まるで心を読んだのか、荻野は問いかけた。


「覚えててくれた? あたしと真壁のファーストキス」


「……忘れるわけ、ないだろ……」


 あんなキス。


 赤面したままそっぽを向くと、荻野は珍しく、ふわりと口元を綻ばせた。 

 それはまるで、自分の中の大切な思い出に想い馳せるようで……


「あたしも、忘れたことないよ」


 寂しそうな色を浮かべたかと思うと、瞬きののちにパッと明るい色になる。


「サイコー! だったよね! ん〜。やっぱ真壁好きっ!!」


 そう言って、荻野はちゅう、と強引に一回だけキスをした。

 「大丈夫、灯花ちゃんジャッジは、キスまでなら浮気じゃないから」という囁きが、ふわふわした頭の奥で響いてる。


「たまにはいいでしょ? こーいうの」


「……よくないとは思うけど、どきどきはしてる……」


「ははっ! サイコーの答え!」


 そういって、荻野は銀髪を揺らしながら颯爽と部屋に帰っていった。


 その爽やかさと無邪気な顔といったら……


 怒る気が、なくなっちまったじゃんか。


 俺の負けだ。

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