第76話 愛妻プレイと修羅場

 翌朝。昨晩のことは何もなかったかのように、俺と坂巻は家を出て、学校に向かった。

 さすがに、学校の人に一緒に登校しているのを見られるわけにもいかないし、それは坂巻も同じらしく、「俺、ちょっとコンビニ寄るわ」と言うと、坂巻は察したように先に学校へ行った。


 念のため、「約束どおり、今日は自宅に帰ること」と、LINEで釘をさしておく。既読はついた。これでよし。


 ◇


 当初の予定どおり、放課後はバイトに向かい、そわそわとした心地で塾帰りの白咲さんと待ち合わせる。

 ナンパ広場で待たせるのは危険なので、アイス屋の入ったテナントの、一階のベンチで待ち合わせ。

 到着すると、セーラー服姿の白咲さんは、にこりと微笑んで手を振った。足が自然と喜び勇み、俺は小走りで駆け寄る。


「ごめん、待ったよね?」


「いいえ、全然。心の中はうきうきでしたよ。ふふっ!」


 ……ッ。マジ天使っ……!


 しばし脳内で悶絶し、俺は白咲さんの手を取った。


「行こっか」


「はい……!」


 駅前のスーパーはありがたいことに夜十時まで開いているから、買い物を済ませて、少し遅いけどこれから楽しく晩餐だ。


 ……と、その前に。

 俺たちは玄関に入った瞬間、我慢の糸が切れたかのようにキスを交わした。


 いくら泊まりが許されているとはいえ、翌日に学校を控えた平日はさすがにそんなことしない。家でゆっくり会えるのは久しぶりで、人目を気にせずイチャつけるのもおよそ一週間ぶりだ。

 手にした買い物袋を廊下に置きざりにして、靴を脱いで。俺たちはそのまま、廊下に座り込んで抱き合って、しばし睦みあった。


 何度もキスを交わして、身体も息も熱くなってきて。ちょっとこれ以上はマズイ……となりかけたところで、白咲さんは糸の引く唇を離す。


「……と、とりあえず、お夕飯にしましょうか?」


 「私もちょっと、これ以上は……」と、艶っぽく潤んだ瞳に絆されて、俺は頷いた。

 これより先は、夕飯を食べたあと、ゆっくりベッドですればいい。

 俺としては、できれば今すぐシたいけど、万一途中でお腹が鳴ったら恥ずかしいし、台無しだしな。

 そう納得し、白咲さんとキッチンに向かう。


 圧力鍋を使えば、ビーフシチューだってあっという間。待っている間に、サラダを用意したり、風呂を沸かしたり、洗濯物を畳んだり。まるで新婚みたいに穏やかで甘い時間を過ごしていると、圧力鍋が完成の合図を出した。

 ルーを入れて仕上げして、お皿に盛りつけていると、白咲さんがふと囁く。


「ゆきさん。私、今日……すごくエッチな下着つけてるんです」


「……!?」


 俺は、思わず手にした皿を落としそうになる。


「ど、どうしてソレ、今言ったの……!?」


 服の上から触っただけじゃあ、わからなかったよ。

 おかげで、ビーフシチューどころじゃあないんですけど。


 震える口を開くと、白咲さんは。


「いいスパイスになるかなぁって……ふふふっ!」


「いいスパイスって……」


 今日はビーフシチューだよ。カレーじゃないよ。

 ……そういう話でもない。


 俺は困ったようにため息を吐いた。


「もう……白咲さんってば……」


 清楚系に見えて、結構こういうとこあるんだよなぁ。

 小悪魔かよ。可愛すぎる。


「そうだ、ゆきさん。そういえば、まだ下の名前で呼ばれたことってなかったなぁと思って。試しに、灯花ともか、って呼んでみてくれませんか?」


「え?」


 名前呼び……そっか。俺たち、恋人同士だもんな。言われてみればそうだ。白咲さんはいつも俺を下の名前の『ゆき(にさん付け)』で呼んでくれるから、いままで気づかなかった。

 さっきもつい口癖で、「白咲さん」なんて呼んじゃったけど、本当は、ずっと前から名前で呼んで欲しかったのかもしれない。


 俺は頬が熱くなるのを感じながら、小さく、「灯花……」と呟いた。

 すると白咲さんは、まさに花にあかりを灯したように微笑んで。


「はい、ゆきくん♡」


 ……なんて。

 ヤバい。にやけすぎて顔が溶けそう。


 そんな俺たちが幸せいっぱいに夕食を並べていると、突如としてピンポンが鳴った。


「こんな時間に……?」


 再配達なんて頼んでないぞ。

 不思議に思って玄関を開けると、そこにいたのは坂巻だった。


「……ご、ごめん。来ちゃった……」


「なんで」


 絶句しながら問いかけると、坂巻は、消え入りそうな小声で。


「だってぇ、今ごろ真壁が彼女とよろしくヤッてるのかと思うと、なんか我慢できなくてぇ……!」


「なんで」


「ごめん……!」


「え。なんで」


 もう、バグってそれしか言葉がでてこない。

 そんな最悪のタイミングで、白咲さん(今は悠長に下の名前で呼んでる場合じゃない!)が何事かと覗き込んできた。


 瞬間。白咲さんと坂巻の目が合う。


 俺は、「終わった――」と、思った。

 だが、苦し紛れの坂巻が、起死回生の一言を絞り出す。


「あ、あはは……真壁くんの、義妹の坂巻です……こんばんわ……」


 その一言に、白咲さんは、きょとーんと固まった。

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