第85話 一回だけでいいんです!あたしとキスしてくれませんか?

 荻野は、むつ姉が好きだ。

 むつ姉を愛している。


 ちなみに、俺のことも「押し倒したいくらい大好き」らしいが、その辺は触れると(貞操が)危険なので、あえてスルーした。


 荻野のむつ姉に対する想いは、荻野が俺に抱いている感情と同じく、「恋人とか、伴侶パートナーとか明確な言葉にできる関係じゃなくてもいい。ずっと一緒にいられればそれでいい」という、相手と自分の繋がりを望み、幸せを最大限に願うものだった。


 正直に言えば、むつ姉が自分以外の誰かとイチャコラすることに妬みというかやっかみというか、羨ましい気持ちがゼロというわけではないらしい。

 だが、むつ姉は異性愛者――ノンケだし、突き詰めて考えると、女である自分はどう頑張ってもむつ姉を肉体的に満足させることが難しいのでは? と、常思い悩んでいたという。


 『六美さんの最大の幸せを願う……それがあたしの、愛のカタチ』


 そうキメ顔で納得した荻野は、俺との共同戦線、『キューピッド作戦(仮)』を受諾した。


 夏本番にどうにかこうにか間に合う形でバイト先のアイス屋が営業を再開し、荻野と俺が、むつ姉と荻野の兄貴をくっつける『キューピッド作戦(仮)』を始めてから数週間。


 蓋をあけてみると、俺たちの拙い作戦なんてどうとでもないと言わんばかりに、荻野の兄貴とむつ姉は仲を深めていった。


 どうやら荻野の兄貴は、今でも心のどこかでむつ姉に対する想いを引きずっていたらしく。(荻野いわく、『兄貴はで、六美さんへの初恋を忘れられないままでいた』らしい)


 兄貴が実家にいる日に、荻野が作戦どおり、それとなく(わざと)リビングのテーブルに置いていったシフト表を「ふーん」と眺めては、むつ姉が遅番で入っている日に、これまたそれとなく通うようになった。


 兄貴はもとから職場ではかなり売り上げているせいか、時間の融通や多少のわがままは利くらしく、むつ姉と一緒に帰るために、個人の判断で早めに仕事を切り上げたりできるようだ。


 そうして、「危ないから一緒に帰りましょ!」と忠犬の如く迎えに来ては、バイト先から自宅までの道を送り届けたり、一緒に夕飯を食べて帰ったり。

 むつ姉のご家族にも、『親切で美人な女友達』だと思われているらしい。


 兄貴は、むつ姉に女装のことありのままを受け入れてもらえたのが相当嬉しかったらしく、加えて、むつ姉がヘンな兄貴のファンに絡まれないようにする変装の意味も兼ねて、結構な割合で女の姿のままアイス屋に来ることが多かった。


 そんな風に、手を繋いで(見た目だけ)百合ん百合んに帰宅する日々が何週間か続いて。ご飯を食べて帰る日が増えて、ご飯のあとにホテルに寄ったりする日ができて、荻野の実家とは別の、兄貴の住む都内のマンションの合鍵を貰うようになって……なんてことをしていたら、あっという間にふたりはデキていた。


『俺は、六美さんが望むなら、男にでも女にでもなりますよ。性別でもなんでも、愛で飛び越えてみせます……!』


 かつてない愛のカタチ――告白と、ふたりを見守る俺たちの視線に、むつ姉は、全部を受け入れたんだとさ。


 ◇


「へぇ……で。今日、兄貴はむつ姉と、グッチに伊達メガネ買いに行ってるってわけか」


「そうそう。六美さんが、眼鏡フェチだからってさ〜」


 ……伊達メガネ。十中八九、俺のせいだよな?


(むつ姉、いまだに眼鏡フェチなんだ。う、嬉しいと思ってしまったのは、内緒にしておこう……)


 バイト先でアイスディッシャーの手入れをしながら、マスクの下で、思わず頬を緩ませる。


「つか、こうまであっさり上手くいくと、逆になんかな〜。ムカつく、とは言わないけど。あたしらのそわそわは何だったの?って。見た目が(超上級者向けの)百合じゃなきゃ、後ろから蹴り飛ばしてやりたいくらい」


「まぁまぁ。気持ちはわからなくもないが、そこはふたりとも二十歳過ぎの大人なわけだし。恋愛に関しても、俺たちとは色々と順序や感覚が違うんだろ。にしても兄貴、さすがの手練手管だよなぁ。手口が鮮やか。誘い方が自然すぎる」


「ちょw 手口てw 言い方ww てか六美さん、あんな風に絆されて、男についてっちゃって大丈夫なの? にこにこ手ェ引かれたら、にこにこついてっちゃうの。優しすぎでしょ。今までアレで貞操守ってきたってんだから、逆にどうなってんの?」


「いやほら、むつ姉は聖女オーラが出てるから。高嶺の花子さんだから。狼共も、簡単には寄り付けなかったんだろ」


 実際には、「想い人(俺)がいるから」って、ガードがかなり固かっただけらしいんだがな。話すと拗れるから、荻野には内緒。


「あ~……聖女オーラ。それはある。だって六美さんだもん。ってか、今はか。ぐへへへ……おねえちゃん……響きが良すぎる。涎でる……」


「きったね。涎は拭けよ。拭いとけよ」


 ほんと、美人なのにこういうところ勿体ないよなぁ、荻野は。

 欲望の塊っつーか、なんつーか。


「ぐへへへへ……おねえちゃ~ん♡ むつ姉~♡」


 と。荻野は満面でろでろの笑みで、先日四人(むつ姉と兄貴、俺と荻野)で行った花火大会での写真(スマホの待ち受け)にキスなんぞしている。


 あ、念のため。灯花ちゃんにはきちんと許可を取ってから行ったぞ。写真も見せた。見せたら、「どうしてゆきくんの周りには、こんな美人ばっかり……?」って、ただただ不思議そうに固まってた。


 それくらい、あの日はみんな綺麗だったな。


 闇夜に光る銀髪を涼やかに揺らした、浴衣の美人姉妹(片方は兄)の登場に、屋台でごった返す人々が、思わずモーセの十戒みたいに道をあけたのが忘れられない。


 かくいうむつ姉も、上品な花柄の着物と透けるようなうなじの麗しい、それはそれはため息のでる艶やかさで。俺は、ほぼハーレムみたいな絵面で花火大会を楽しんだ。


 あのときは驚いたなぁ。


 花火大会も終わって、人もまばらになってきた帰り道。

 夜空に咲いた大輪の美しさと迫力に、大満足な感想を言い合っていると。荻野が、突如としてむつ姉の浴衣の裾を掴んで引き止めたんだ。


『あの、六美さんっ……!』


『?』


 不思議そうに振り返るむつ姉に、荻野は、その紺色の浴衣の袖が震えているのが俺にもわかるくらいに、勇気を出して声をかけた。


『い、一回だけでいいんです! あたしと……キス、してくれませんか……!?』

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