第84話 幸せとは。

「まさか。自分の最大の仇敵がこんな近くに、しかも同じ屋根の下で暮らしてるとは思わなかったわ。あの、くそ勘違い婚前カルティエ野郎め」


 後日。アイス屋がしばらく休業となったことでバイトのなくなった(暇を持て余す)俺と荻野は、放課後のカラオケボックスにて、くだを巻いていた。

 制服がミニスカなのにも関わらず、堂々を足を組んでふんぞり返る荻野は、ドリンクバーのメロンソーダを忌々しげにヂューと啜りながら、顔を顰める。


「つかさぁ、誕生日のお祝いに(勇気がなくて)渡しそびれた指輪を、クリスマスに渡すって何事? まさに灯台下暗しっつーか。トロイの木馬? 『ブルータス、お前もか』って感じ。兄貴は、あたしの明智光秀だったのか……」


 なんか、色々混ざりすぎてる気もするが。

 それくらい、荻野の頭の中はぐーるぐるってことらしい。


「まぁ、落ち着けよ信長荻野。なにもお兄さんがむつ姉にほの字(店長の口癖はつい移りがち)だと決まったわけじゃあ……」


 なだめると、荻野はカラオケ特有の安っぽいプラスチックカップをダァン! と机に置き、怒る。


「ハァア!? 真壁は兄貴の六美さんに対する視線を知らないから言えるんだ! ぶっちゃけ兄貴は、高校生の頃から、六美さんを見る目はだいしゅき好き好きしゅきぴっぴビームだったよ!」


「そ、そうなんだ……」


 しゅきぴっぴだったのかぁ……

 てゆーか、今の荻野がソレ言うと、激昂っぷりと言葉の甘さのギャップがすげぇ。

 つか、口調どうした。荻野も混乱してんだろうなぁ。


「あああ! あのときどうして気づかなかったんだ! 兄貴がらしくもなく『カルティエ行きたい』なんて言い出して、『女の子ってどんなデザインが好き?』とか相談してきたときは、彼女にあげんのかな? とか呑気なこと考えてた自分を呪いたい! 『ああ、兄貴にも春が来たんだなぁ、よかったなぁ』って……来てんじゃねーよ! 春!!」


「お、おちつけよ、荻野……」


「つか、恋人でもないのに指輪プレゼントするなんて、どこの勘違いキザ野郎だよ!? 同じ家族としてはっずかしーわぁ! てか告ったのか? 指輪渡したとき告ったのか!? フツーに考えたらそうだよねぇ!? だとしたらフラれてんじゃん!!」


 ……ごめん、兄貴。それ多分俺のせいだ。


 だってそのときのむつ姉、俺のことが好きだった(はずだ)から。大方、「今はね、好きな人がいるの」とでも言われたんだろうなぁ。

 ……なんかごめん。フォローしとくか。


「そ、そこまでいうなって。仮にも実の兄貴だろ? 大好きなお兄ちゃん」


「大好きじゃない!! フツーだ、フツー!」


 ……『キライ』、とは言わないんだな。

 くそかわ。


 思わずクスリ、となりそうな俺の横で、荻野は大きなため息を吐く。


「あ~も~、どうすんのぉ……あたし、兄貴と好きな子取り合って、勝てる自信なんてないよぉ……六美さんは変わらず『彼氏募集中』だし、こないだの件で兄貴もそれ知っちゃったし。唯一の接点だったバイトも休みになっちゃってさぁ……」


「まぁ、荻野の兄貴は顔も良くて喧嘩も強いし、気持ちはわからなくもないな。少なくとも、俺は大好きだよ、荻野の兄貴。助けに来てくれて、それであの『当たり前のことしただけっすよ』だろ? マジくそ惚れちゃった」


 素直にそう述べると、荻野はきょとーん、と俺をガン見する。

 カラオケボックスで密室だからか、距離が無駄に近い。近くて息が、胸が当たりそう。隙あらばキスしてきそうなこの距離感……さすがにちょっとドキドキしちゃうからやめて。


 しかし、荻野は遠慮なく。


「え? ホモ? 言っとくけど、ウチの兄貴は競争率高いよ。歌舞伎町で、確かナンバー……一桁だったはず」


「すげぇ! それって、年収億いってるんちゃう!?」


「収入のことはよく知らんけど、まぁそうなんじゃない? でも、ほとんど貯蓄に回してるみたい。『職業柄、こんなに稼げるのは今だけだし、お袋たちに迷惑かけた分、親孝行とか将来のために、色々考えて取っておきたいんだ』ってさ。でも、いいことあった日はあたしに服とか、好きなもん買ってくれることもあるよ」


「ほえ~……偉すぎ侍かよ。にしても、聞いてた話と違うじゃん。全然ゴリマッチョじゃないし。ほんと綺麗で、男の人には見えなかったよ」


「あ〜、それ? なんか、最近は『細身の方が評判いいから』って、筋肉落としてるらしい」


「ああ、女装の方が?」


「いや、どっちも。ほら、最近くそモテの真壁くんも、こ〜んな細身で、もやしじゃないっすか〜」


「……ッ! にやにやこっち見んな! つか触んな! 俺は彼女一筋なのっ! いやらしい手つきで撫でないっ!」


 特に鼠径部をっ!


 イタズラっぽく俺の膝と太もも辺りを撫でくりまわす手を、ぺしん! と叩くと、荻野は「ちぇ〜」と手を引っ込めて、俺に釘を刺す。


「つか、女装ったって風俗みたいなことはしないからね。基本はフツーにホストしてるし、つってもシャンパン片手にどんちゃんするようなとこでもない。女装はたまたまイベントでやったらウケちゃって、太客の要望に応じてやってるみたい。

 兄貴のとこは割と静かめでお高めな店なせいか、もの好きなお客さんも結構いて。客が男でも女でも、女装希望の太客がそれなりにいるっぽいのよ。あと最近は……ゲームの公式レイヤーとか? お客さんにそういう関係の人がいて、呼ばれたりしてるみたい」


「ほへぇ〜。奥が深い世界すなぁ……」


 って。いかんいかん。……そうじゃなくて。

 今日荻野をカラオケに誘ったのは、話したいことがあったからなんだった。

 俺は、ここ数日のバタバタとした日々の中で、考えていたことを口にする。


「話は変わるんだけど。俺……さ。この数日で、むつ姉の幸せについて本気出して考えてみたんだよ……」


「え? 何? ポリュノ(グラフィティ)の名曲? あたしも好きだけど」


 ああ、『幸せについて本気出して~』ね。


 そう言いながら、荻野は思い出したようにカラオケのデンモクを叩く。どうやら話をしていたら歌いたくなったらしい。そのマイペースさが、どうにも荻野らしいや。


「いや、そうじゃなくてさぁ。俺、むつ姉がから吹っ切れて、恋人募集始めて。将来とか未来に向けて前を向いてるのを見て、『ああ、絶対に幸せになって欲しいな』って、思ったんだ……」


「!」


 いくらむつ姉が俺のことを好きで、俺もむつ姉のことを好きだったとしても。

 俺がどれほど、むつ姉の愛と、このポジションを手放したくないと思っていたとしても。


 むつ姉を、いつまでも俺という鳥籠に閉じ込めておくわけにもいかないからさ……


 それが、俺の思う『愛』だから。


 俺は、胸に秘めていた考えを、始めて口にした。

 それはきっと、相手が、心から信頼する荻野だったから……なのかもしれない。


「荻野の兄貴だったらさ……むつ姉のこと、幸せにできるんじゃないかな?」


「!?!?」


 ぽつりと呟くと、荻野は驚いたように目を見開く。

 そうしてそのあと、やや気まずそうに指をそわそわと、視線を逸らした。


「でも……ほんとはこういう偏見とか大嫌いだし、あたしが言うのもナンなんだけどさぁ……兄貴は、その……高卒だし、夜職だし……」


「そりゃあ、荻野も気にしてるように、世間一般には『大事な娘を嫁にはやれん』みたいな肩書きっつーか、職業かもしれない。でも俺、強盗を相手に怯みもせずに立ち向かった兄貴をみたとき、思ったんだ。『ああ、この人なら絶対に、命にかえてもむつ姉を守ってくれるんだ……』ってさ」


「!」


「命にかえてもキミを守る、だなんて。口で言うのは簡単かもしれない。けど、行動でそれを示せる人間は、きっと世界中のどこを探しても、そういないと思うんだ」


「真壁……」


「それに……さ。俺、恋人はできたけど、荻野のことも、めちゃくちゃ好きなんだよ」


「!!」


 まっすぐに目を見て告げると、荻野はらしくもなく頬を染めて、照れくさるように距離をあける。

 何? 急に意識しちゃったのかな。自分からはぐいぐい来るくせに、いざこっちから「好き」とか言われると、もじもじしちゃう系?


 はぁ……くそ可愛いかよ……


「で。この先、高校を卒業して、大学も卒業して……ふたりともバイトをやめたらそれっきり……とか、寂しいじゃんか。連絡取るタイミングも掴めなくて、次第に疎遠になったりとかさ、嫌なんだよ。俺……荻野とずっと、一緒にいたい」


「やだ、あたしたち……相思相愛?」


 照れを誤魔化すように、荻野は冗談めかして答える。


「フォーエバーフレンドな」


 俺は若干訂正しつつ、首を縦にふった。


「荻野、前に言ったよな? 二番目でもいいって、俺とずっと仲良しでいられればそれでいいって。俺も……同じ気持ちだよ。荻野とは、ずっと仲良しでいたい」


「!」


 ぽかんと、俺の言葉の意味を脳内で反芻しながら、荻野は目を見開いた。

 そんな荻野に、提案する。


「よく聞け、荻野。むつ姉は……最近色々あって、『未来永劫俺のお姉ちゃん』であることが決まった」


「は? え、いや……は? 急になに?」


「で、もし仮に。荻野の兄貴とむつ姉が結婚したら、どうなる?」


「はぁ!? 兄貴と!? 六美さんが!?」


「いいから、よく考えてみろよ。そしたら、むつ姉の弟である俺と――」


「自称弟、ね」


「お前は……どうなる?」


 カチコチ、と荻野の脳内時計が音を鳴らし、しばらくして解を得た。


「……血が繋がる?」


「繋が……んのか? 遠すぎてイマイチわかんない。けど、そういうことだ」


「ねぇ待って。それってさぁ……六美さんが、あたしのお義姉ねぇちゃんになるってこと?」


「そゆこと」


「毎日兄貴たちの家に上がり込んで、六美さんにすりすりしてべったり甘えて、なでなでされても、兄貴が『いい』って言えばイイってこと?」


「まぁ……そうだろうな」


「膝枕で耳かきしてもらって、お礼と称してイチャイチャちゅっちゅしてもイイの?」


「……それはやめとけよ」


 俺が羨ましいだろが、くそ。

 とまぁ、個人的なやっかみは置いておいて。


 世間じゃそれをお邪魔虫と呼ぶのかもしれないが、荻野は目に見えてテンションをアゲた。


「なにそれ……天国じゃん。完全に盲点だったわ」


 こうして、俺たちのキューピッド作戦は決まった。


「でもそしたらさぁ、真壁ともずっと一緒にいられるんじゃね? 兄貴のマンション部屋空いてるし、もう皆住めばいいんじゃ……? ……ッ! あたし、ハーレムじゃん……?」


 愛のカタチなんて、解釈は色々あるだろうが。

 ぶつぶつと何事かを思考する荻野の目は、そのとき確かに、燃えていたように思う。

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