第79話 むつ姉の指輪

 とある月曜日、アイスクリーム屋バイトさきにかつてない衝撃が走った。


 その日の遅番(夕方から閉店までのシフト)は、俺と荻野、そしてむつ姉の三人だった。通常であれば二人体制の遅番だが、夏もいよいよ本番になってきて、夕方以降といえど多くの来客が見込まれるからだ。


 店長である美鈴さんの話によれば、そろそろ新しいバイトの子を確保できそうだとかなんとかって話だが、繁忙期に新人教育だなんて正直やってられないだろうし、慣れている分、コンビネーション的な意味で俺と荻野は今後もシフトが被ることになりそうという話だった。元来人見知りする性質タチの俺は、それを聞いてちょっと安心。


 そんな中、久しぶりにむつ姉とシフトが被っていることに、俺も荻野も内心でわくわくしながら出勤したわけだ。


 だが――


 先に更衣室を使っていた荻野を待つ間、アクセサリー類を外していたむつ姉が、大切そうにを小箱に入れるのを見て、俺の世界が反転した。

 もう、がばっと、真っ逆さまに落っこちた気分だった。


「むっ、むつ姉……ソレ……ど、どど、どうしたの……?」


 震える指で示した先には、むつ姉の手にした小箱におさまる、があった。

 昔、坂巻たちの会話で盗み聞いたことがある。女の人が、右手の中指に指輪をはめるのは、『恋人募集中』の意味があるんだって。


 ティファニーブルーならぬ、カルティエレッドの小箱におさまるは、あろうことかついさっきまで、むつ姉の右手の中指にはめられていたんだよ!!


 問いかけると、むつ姉は恥ずかしそうに舌先をちょこん、と出す。


「えへへ……あのね、恋人募集、始めてみたの」


「!!!!」


「私、ほら……こないだ、ゆっきぃとのことで気持ちが吹っ切れたっていうか、これからもゆっきぃとずっと一緒にいられるってわかったからさぁ。これからは、私もゆっきぃを見習って、前を向いて行こうかなぁって……」


 「えへへ!」と、照れ臭そうに頬を掻く姿がドチャクソ可愛いし、俺とのことで前を向こうと思った、なんて言葉が素直に嬉しいが――

 ぶっちゃけ。一言、言わせてもらってもいいか?


 そういう前の向き方(恋人探し)は、してくれなくてよかった!!


 てか、そもそも……


「その指輪……誰に貰ったの?」


 指輪のことはよく知らんが、その赤い箱……けっこーガチめのやつなんじゃないの?


 恐る恐る尋ねると、むつ姉は俺の想定(恋人探しの為に自分で買った)を遥かに上回る、最低最悪の答えを口にする。

 ほんのり頬を、ピンク色に染めて……


「昔……ね、男の子にもらったの」


「!?!?」


 誰!? 誰だよそいつ!? 男の子ぉ!?


「指輪でもつけようかなぁ~って思ったら、昔プレゼントしてもらったのを思い出して。いい機会だから、つけてみたの!」


 てへっ! って。

 うっわぁ~。JDの無邪気な笑顔くそ可愛い~……!


 ……じゃなくて。

 いつの間に!?


 つか、交際してもいない女子に指輪贈るとか、どこのとんだ勘違い野郎だよ!!

 ほんと誰なの!? ねぇ誰なの!?


 ……聞けない。

 なんだか、これ以上は聞いてはいけない気がしている。

 むつ姉じゃなくて白咲さん(灯花)を選んだ俺には、むつ姉の恋愛に対してそこまで介入する権利が、もう無い(元々そこまで無い)んじゃないかって……


 これからは、むつ姉が誰と付き合ったり、愛し合ったり、キスしたり、イチャついたり、ヤったりしても、むつ姉の自由だから……


(考えたくないよぉっ……!!)


 考えたくもないことをつい妄想し、自己嫌悪で悶え苦しむ。


 そんなことを考えていると、更衣室からアイス屋の制服に着替えた、るんるんの荻野が出てきた。


「六美さぁ~ん! 今日は一緒にがんばりましょうねぇ~♡」


 俺はハッとして顔をあげる。


(そうだ、荻野……! 俺にはまだ、荻野という心強い味方が……!)


 むつ姉が更衣室に入ったのを確認して、俺は救いを求めるように、情けない小声で荻野を呼び止める。


「荻野っ! 荻野ぉっ!」


「?」


 そうして、ピアスがジャラつく右耳に、こしょりと耳打ちをした。


 かくかくしかじか……


 聞いた瞬間。荻野のブルーアイズが、抜刀したように閃く。


「ハァ? 誰だよ。そんなオメデタイ勘違いする、とんでもねぇ不届きモンは」


 勇気100%ならぬ、殺意120%の瞳に、俺は内心でガッツポーズした。

 荻野が、お決まりの台詞を呪詛のように呟く。


「ぶち殺す」



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