第71話 荻野の初恋(後編)

 ノンアルを片手に、六美さんはにこにこと、色んな話をしてくれた。


 最近ハマっている可愛いゆるキャラや、面白い漫画、ドラマ、近所に住んでいる大好きな従兄弟のこと……


 そうして、「りょーちゃんの話も聞きたいな」と、その優しい声音に絆されて、あたしはぽつぽつと身の上を語りだしたんだ。

 中学であった事件のことは、話して聞かせるにはシリアスすぎるし、重すぎるし。自分もまだ怖いしで、話すことはできなかったけど。


 あたしはただ、なんでもないことを話していただけの気がする。

 最近思ってること、兄貴がすげぇ頑張ってること、それに比べてあたしはなんにもできないこと。

 

 兄貴やその友達の的場さんに気を遣わせて、半ば強引に知り合いのバンドのライブに連れていってもらったり。おかげで最近は、男性恐怖症も治って、学校に行けない(時間を持て余してる)のにかこつけて、V系バンドの追っかけをしたり。


 あたしは、そんな兄貴に、素直に「ありがとう」すら言えない、どうしようもないクソ野郎だってこととかを。


 気づいたら、あたしは今まで心の奥底に閉じ込めていた感情を吐露してしまっていて、慰められるように六美さんの豊満な胸に顔を埋めていた。


「あたしは、弱い女な自分がきらいで、早く大人になりたくてっ……! こんなことなら、いっそ男に生まれ変わりたいっ! 強くてカッコいい、兄貴みたいな男に! あたしなんて、あたしなんて……!」


 そんなどうしようもないメンヘラのあたしの頭を、六美さんは優しい手つきで撫でてくれる。


「まだ子どもだとか、女の子だとか、関係ないよ。りょーちゃんは、りょーちゃんだよ。このお店にいる誰もが知ってる、お兄ちゃん想いの、素敵なりょーちゃんだよ」


「?」


(は? 何言ってるの? そんなわけ、ないじゃん……)


「私、知ってるよ。りょーちゃんが、お兄ちゃんや叔父さんの助けになるように、人知れず倉庫や帳簿の整理とかしてること。こないだ荷物届けに来たときね、誰も手が空いてなくて、倉庫の近くで待ってる時に、見ちゃったの」


「!」


「店長さんも言ってたよ。いつもは忙しくて適当に置いちゃうお客さんのキープのボトル、気がつくと探しやすいように名前順になってるんだって。『あれ、いつもリョウちゃんがこっそりやってくれてるみたいなのよ』って」


(き、きづいてたんだ……)


 なんか、恥ずかしいな……


「りょーちゃんがいると、お兄ちゃんの表情がいつもより明るくなるんだって。他の店員さん達もそう。言葉には出さないけど、りょーちゃんが優しくていい子だってこと、本当はみんな知ってるんだよ」


「……!」


「だから私は、今のままのりょーちゃんが好きだな」


 それからあたしは、生きる気力がわいてきて。

 高校生になれた。


 ◆


「あたしは! あたしはっ……! 六美さんが大好きだぁああっ!」


 ひとけのない夕暮れ。港の見える丘の上の公園で、ジオラマみたいにちっぽけになった街を見下ろし、麓に向かって叫ぶ。


 六美さんはもちろんだけど、あたしは真壁のこともガチで好き。でも、それを、あいつをフった加賀屋さん相手に話すのもあてつけみたいでなんかイヤだった。だから、あたしが欲張りに、真壁のことも狙っているのは、内緒ね。


 ベンチの隣に腰掛けて、ずっと話を聞いてくれていた加賀美さんは、急に出てきた大きな声にびっくりして、目を見開いていた。


 その瞳には、もう戸惑いも落胆もなかった。

 あたしがスカートを履いて待ち合わせ場所に現れたときは、きょとーん……と、時間が止まったみたいにしていたけど。

 一瞬で自分の勘違いに気がついたのか、顔を真っ赤に染めて「急な誘いで、ごめんなさい」「来てくれてありがとう」って。


 街をぶらぶら歩きながら、少し遠い潮風に吹かれたり、カフェでラテアートに目を輝かせたりしたあたし達は、もう立派な友達だ。


「色々あって、この思いを口にすることはまだできないんだけど。あたしは、あたしと六美さんを信じてがんばるよ。だから、その……えっと、加賀美さんも……」


 言い淀むあたしに、加賀美さんは夕暮れに染まる眩しい笑みを浮かべる。


「話してくれてありがとう。まっすぐに、偽りなく話してくれたあなたの気持ちが、嬉しかった。お店ではとんだ勘違いをしてごめんなさい。でも、私があなたの言葉に胸打たれて、放課後のいっときでも、家の重圧を忘れたり、前を向いていけたのは、他でもないあなたのおかげなの。たとえ女の子だったとしても……やっぱり好きよ、荻野さん」


「……!」


「でも、あなたには大切な想い人がいる。これからは、ちょっとずつかもしれないけれど……せめてあなたの迷惑にならないように。友達として、仲良くしてくれると嬉しいな」


「加賀美さん……」


 にこりと、上品な所作で差し出された手を、シルバーアクセのジャラジャラついたあたしの手が握る。

 初夏の風に肌を撫でられながら、約束の指切りをするように、ふわりとその手を振る加賀美さんが。


 すげぇ綺麗だなって、思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る