第60話 また、アイス屋で

 放課後、屋上に坂巻を呼びだした俺は、色々あって白咲さんと付き合うことに決めたと言った。


 夏休み目前にしては冷たい、季節外れの涼しい風がベージュの髪をさらさらと揺らす。その様子がどこか寂しげで儚げで、俺は何度も言葉を詰まらせながら、それでも最後まで伝えきった。


 それを聞いた坂巻は、左手で右腕を抱き締め、終始視線を下向きにうろうろさせているようだったが、今朝からなんとなく予感はしていたんだろう、怒ったり泣いたり、といった激情に身を任せるようなことはしなかった。


 『やっぱりか、残念だなぁ……』


 顔色だけからでも、その想いは伝わってくる。


「だから、これからは坂巻とデートすることはできない……と、思う」


 何も言わない坂巻に、せめて、と思い、告げる。


「でも、学校では変わらずクラスメイトだし、坂巻は大事な常連さんでもある。会いたくなったら、いつでもまたアイス屋に来てよ」


「うん……アイスに罪はないしね……」


 その口ぶり、まるで俺は罪人みたいじゃないか。

 やめて。そう言いたくなる気持ちもわかるけど、俺は単に彼女ができたってだけで、浮気とか二股とか、したわけじゃないからな。


「で、坂巻の伝えたいことって、何だったの?」


 尋ねると、坂巻は「最後かもしれないし」と、ぽつりぽつりと語り始めた。


 ◆


 あれは今年の春。

 新しく高校生活が始まって間もない、小雨の冷たい日のことだった。

 あたしが家に帰ると、家には既に父がいて、そこには知らない女の人がいた。


 ――正確には、全く知らないわけではない。

 以前、父の紹介で何度か顔を合わせていた女だ。

 忘れようとしていた現実が、目の前に事実として突きつけられただけだった。


「綾乃。そう遠くないうちに、彼女がお前のお母さんになるよ」


 ぺこり、と頭を下げた女の人は穏やかで、知的そうな、物腰の柔らかい人だった。

 どこか儚げで病弱そうで、離婚した、あたしのママとは全然違う。

 髪の黒くて睫毛の長い、大層な美人だ。

 お父さんは、きっと色々反省したから、今度はああいう人を選んだんだろうな。


 でもね。あたしの、こうと決めたら強引で、まっすぐそれしか見えないところは、あんた譲りだよ、お父さん。


 きっと今回も、結果は覆らないんだろう。


 あたしは半ば諦めに近いため息を吐いて、飼い猫のにゃん太のところに向かった。

 にゃん太は、ママと一緒に暮らしていたときからの、あたしの大事な『家族』だ。


 部屋の隅っこで、どこか気まずそうにしているにゃん太。

 あたしもあんたと、同じ気分だよ。


「待ってて、今、ちゅーるあげるから」


 そう言って、少し目を離した隙に、にゃん太は換気の為に開けたベランダの窓から出て行ってしまった。


「あ! 待って、にゃん太!」


 きっと、本当だったらすぐにでも家を出て行きたかったんだろう。

 にゃん太はすぐに見えなくなって、ぽつぽつと雨の降る中、あたしは、傘もささずににゃん太を探し回った。


 走って、走って。

 にゃん太のお気に入りの高台、一緒にシャボン玉を飛ばした公園、ママとよく歩いたスーパーからの帰り道――にゃん太がよく迎えにきてくれた道を、全部全部、探し回った。


(どこ!? どこなの、にゃん太……!?)


 そうしてあたしは、見つけたんだ――


 雨の中、家主がいなくなって『売り出し中』の看板が刺さった空き地の片隅で、見慣れた制服の高校生が、にゃん太に傘を差し出していた。


(あ。あいつは――)


 クラスメイトの、たしか……真壁だ。


 真壁はあたしに気づく素振りもなく、自分が濡れるのもお構いなしに、しゃがんで、にゃん太に傘を傾けていた。


「こんな雨の日にどこから来たの? 綺麗な毛並みだ。飼い猫かな? ちゃんとブラッシングされて、きっと、お前は幸せものだね」


 そう言って、優しい手つきでにゃん太を撫でる。

 人見知りするはずのにゃん太が、珍しく大人しく撫でられているのを見て、「あ。あいつ、いい奴なんだな」って、直感した。


 それに、普段顔も見えなくて、本ばかり読んでるキモオタ眼鏡のあいつが、あんな風に優しく笑うなんて、全然知らなかった。


 あたしは、見かけでしか人を判断できないでいた自分を恥じた。

 そうして――真壁のそのギャップに、みごとにオチてしまったんだ。


 雨の中、心臓がドキドキと音を立てて、声をかけることができない。

 ほっぺが熱い。顔が熱い。

 にゃん太を見つけてくれた、お礼を言わなきゃいけないのに……


「あ。そろそろバイトだ、行かないと」


 真壁は立ち上がり、座ったままのにゃん太に傘をあげて立ち去ろうとする。


「わ、雨強くなってきたな……眼鏡が濡れて、前が見えない……」


 ポケットから取り出したハンカチで、見えづらそうに目を細めながら、眼鏡を拭く。その顔に、あたしは見覚えがあった。


(あ。あの顔……近くのアイス屋の……?)


 うっそ。あの人、真壁だったの?


 放課後、(今日みたいな日があるから)できるだけ家に帰りたくないあたしは、行く宛てもなく町をふらついて、駅前のアイス屋に足を運ぶこともあった。


 最近入ったばかりなのか、『研修中』の札を胸元につけたお兄さん。

 まさか、真壁だったなんて。


(うわ。まじか……でも、これってチャンスなのでは?)


 ついさっき、柄にもなく一瞬で真壁に惚れてしまったあたしは閃いた。

 学校ではギャルとオタクという関係が邪魔をするけど、お店の店員さんと常連なら、まだ難易度が低いのでは?


 ――で。現在に至ると。


 ◇


 ひととおり説明を終えた坂巻は、頬を染めながら、でもまっすぐに俺を見据えて言い放った。


「そんなこんなで、あたしはずっと、真壁のことが好きでした!」


 そう言って、ビッ! と鞄から一本の折りたたみ傘を突き出した。


「傘……返す。あのときは、にゃん太に傘をくれてありがとう。強引に誘ったあたしとデートしてくれて、ありがとう。今のいままで、真壁のことを、好きでいさせてくれてありがとう……傘、お守り代わりにずっと持ってて……ごめん」


「坂巻……」


「あたしは今でも、真壁が好きだよ。あの日から、嫌いだった放課後が楽しみになったの。だから、その……これからも……行ってもいいかな? アイス屋さん……」


 あのアイスを食べるたびに、あたしは君を思い出すから……


 その問いかけに、俺は。


「是非、お待ちして――いや。


 と。マニュアルどおりなどではない、心からの笑みを浮かべて頷いたのだった。




(第一部、完)


 ※二部(連れ子編)に続きます。

 いままでどおり、明日から毎日更新予定です。


 真壁が一応幸せになったので、ここで一区切り。

 回収していない伏線(真壁の家庭環境、荻野と加賀美さん、むつ姉と荻野と真壁など)は、二部にて。(坂巻と白咲さん、その他新キャラも出るよ!)

 特に荻野は、主人公を(色んな意味で)食ってしまうので意図的に出番を減らしたりもしましたが、二部では遠慮なく過去編とか深掘りしたいなと。(それも全部終わったら、ルート分岐荻野if(失恋後、土手に来るのが荻野)とか? 要望や必要に応じて更新しようかと)


 その辺が諸々まとまったら、夏をめどに完結させようと考えています。(アイスと夏がテーマのラブコメなので)


 最後に。話は『連載中』にしますが、ここまで読んでくださった方、応援くださった方々、本当にありがとうございます。皆様のコメントにはいつも励まされました。

 もしよろしければ感想、★、レビューなどいただけるととても嬉しいです!

(特にレビュー! レビューがあると勇気と元気が湧いてきます! すでにレビューしてくださった方々も、本当にありがとうございます! 元気がわきました!)


 今後の参考にさせていただきたいです、何卒、よろしくお願いいたします。


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