第46話 お願い、抱き締めて

 その日の荻野は、勤務中終始上機嫌だった。

 『帰る前に一緒に食べよう』と約束した、ダイキュリーアイスの試食分が入った冷凍庫をちらちらと視線の端に入れながら、普段よりも一層トーンの高い声で接客に励んでいる。


 アイスひとつで、あんなに楽しそうに……と。バカにすることなかれ。

 たかがアイス。されどアイスなのだ。

 アイスにはそういうパワーがある。


 俺だって、もし仮にホッピングシャワーの新味(もしくはマイナーチェンジ)なるものが登場したとしたら、その日は一日わくわくとした気持ちでバイトに励むだろう。


 そんな荻野を横目に、俺もその日は機嫌良く仕事を終えることができた。


 テナントが閉店する五分前。館内放送で『蛍の光』のオルゴールが流れる。

 開店中に、できる限りの閉店業務を済ませていた俺と荻野は、光の速さで全てを終わらせ、そそくさとバックヤードに向かった。


「真壁っ! そこでとっとと着替えて! あたし更衣室使うから!」


「おう」


 一応、店の制服を着ている間は勤務中ということになっている。試食だって立派なお仕事。開店中に隙を見て、ひとりで試食するだけならいいのだが、閉店後にふたりで一緒に試食したい、ゆっくり味わいたい、というのは俺たちのわがままだ。

 俺たちは、各々制服姿に速攻で着替えて、タイムカードを切った。


 手には試食分のアイスを持って、バックヤードにあるお粗末な長椅子に、ふたり並んで腰かける。蓋をあけた瞬間。荻野は目を輝かせた。


「わぁ~! やっぱ綺麗だなぁ、ダイキュリーアイス!」


「ほんと、すごい綺麗な水色。青って、なんか知らないけどテンションアガるよなぁ」


「ブルーアイズノホワイトドラゴンとか?」


「それは荻野だろww?」


 銀髪だし。カラコン蒼いし。ピアスも多いし。

 なんか似てる気がする。

 あ。ピアスは関係ねぇわ。


「にしても、青いアイスってラムネ味以外だとあんまり見ないし、これでライム味ってのがまたオツだよなぁ」


「でしょでしょ! 真壁わかってるぅ! じゃあ早速、いただきま~す!」


 はむ。


「「……美味い!!」」


 声を揃えて顔を見合わせる。

 この、美味しいさを誰かと分かち合う瞬間が、俺は好きだった。


 幼い頃、むつ姉と一緒におやつを食べるときも、そうだったっけ……


 暑い日は、むつ姉の部屋でテーブルを挟んでふたり向かい合って。

 その頃からもうむつ姉は、いわゆる発育がすごく良くて、谷間が深く刻まれたワンピースの胸元が目の前に来ると、幼いながらにちょっとどぎまぎしてしまって……

 にこにこと、記憶の中のむつ姉が微笑みかけてくる。


 『美味しいねぇ? ゆっきぃ』


「……なになに? 真壁、嬉しそうじゃん」


 そりゃお互い様、と言いたくなるようなによによ顔で、荻野が覗き込んできた。

 俺は、照れを隠すようにスプーンを口に運ぶ。


「まぁ……ちょっと、ね……」


「なんだよ、気になるじゃん。聞かせろ聞かせろ~!」


「ちょ、やめっ……じゃれつくなって! アイスはもういいのかよ!?」


「食べちった」


「早っ!?」


「だって美味しいんだもん。試食分って、量少ないし。真壁の分ちょーだいよ」


「え。ヤダよ。俺も食べたい」


「ケチ」


「カツアゲか!?」


 そんな問答を繰り返していると、フッと頭上の照明が切れた。

 一瞬にして視界が奪われ、あたりが真っ暗になる。

 バックヤードの照明だけでは、こうまで暗くはならない。どうやら、テナント内の全てのお店が停電しているらしかった。


「え!? なになに!?」


 荻野が驚き、不安げな声をあげた。


「停電っぽいな。なんだろ、今年は暑いし、電力ひっ迫とか言ってたから、そのせいか?」


 などと悠長に手探りでアイスを食っていると、突如として轟音が響く。


 ドォォオオン――!


 雷だ。


 ひかって、一瞬。すごく近い。


 理由はよく分からないが、この停電もそのためだろうか。もしくはシステムトラブルと雷が重なったか。運が悪い。


 ドォン! と二発目が近くに落ち、荻野が俺に縋り付いた。


「きゃああっ! 真壁っ! いるっ!?」


「いるよ。すぐ隣。この暗さじゃあ、座ったまま動けないし」


 雷が苦手なのか、冷静な俺に対し、荻野は動揺しまくっている。

 ぺたぺたと俺の胸元を探り当てては顔を埋め、らしくもなく小刻みに震えていた。

 腕の中にすっぽりと収まってしまう、華奢な両肩。こんなときに失礼な話だけど、こうしてみると、荻野が女子なんだと思い出す。


「真壁っ。真壁ぇ……」


「いるいる、いるって。安心しなよ、今日は一緒に帰るから。停電が復旧するまでここに――」


 ぽすぽす、となだめるように背を叩いていると、荻野が顔をあげた。

 真っ暗でも、これだけ近いと表情ってわかるものなんだな。

 今まで見たことないような、弱弱しい視線を俺に向けている。


(荻野にも、弱点ってあったんだ……)


 なんか可愛い。


 ふふ、と顔を綻ばせていると、荻野はおもむろに抱き着き、小さく呟いた。


「お願い。ぎゅーって、して……?」


「は?」


「雷とか、暗いのとか、ダメなの。お願い……抱き締めて」


 その懇願に、俺の思考は停止してしまった。


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