第44話 告白@保健室

 俺の体育祭は終わった。

 クラスメイトよりも一足先にグラウンドを後にした俺は、保健室で突き指の応急処置を受けていた。


 養護教諭の森杉先生が、ぷるんぷるん、というよりは、たわわんたわわん、といった感じの谷間を惜しげもなく晒しながら、俺の指を撫で撫でしている。


「まぁ、真壁くんにしては頑張った方なんじゃない? もう、せっかくの綺麗な指なのに、こんなにしちゃって。だから私とお茶飲んでよう、って言ったのにぃ」


「色々あったんですよ、色々」


「運動キラ〜イ! な真壁くんが、体育祭に出ようと思う程の心境の変化が?」


 「ん〜?」と訝しげな顔をしていた森杉先生は、手の甲を舐めるようにさすり、手のひらに指先で円を描くようにして、まるで愛撫でもするみたいに、手当が終わってしまったことを名残惜しそうにしている。

 先生、それ、他の生徒にやったらセクハラですよ、気をつけて。俺は嫌じゃないけどね。


「いいなぁ。私も、こんな手にされてみたぁい」


 ……な、なにを?

 と。聞いてはイケナイ雰囲気だ。


「ひとまず、体育祭が終わるまでは保健室にいない? そろそろお昼寝……違った。お昼の時間でしょ? 私と保健室でお弁当食べましょうよ! ね♡」


 ぐい、と顔を近づけられて手を握られる。

 先生、その指、突き指したばっかだよ。痛いってば。


 目の前で惜しげもなく香る大人の色香にたじたじになっていると、保健室の扉ががらりと開いた。


 見ると、バレーの試合を終えたと思しき坂巻が、息を切らして立っていた。

 坂巻は、森杉先生をキッと睨むと、視線で「セクハラ野郎め」と訴える。


「真壁。ちょっと」


「え? 急になに? 坂巻、試合は?」


「負けちゃった」


 悔しくもなんともない、いや、それどころではない風に言ってのける坂巻に、「なんだろう?」と鼓動が早くなる。


 森杉先生は、さすが大人、なんだろう。

 坂巻のピリピリとした緊張を察したのか、艶めかしい仕草で椅子から立ち上がると、空いているベッド脇のカーテンを開けた。


「しけ込むなら、貸しましょうか? ふふっ」


 場所を貸してくれたのは嬉しいんだけど。

 先生。もうちょっと、他に言い方なかったの?


 ◇


 ベッドに、人ひとり分の距離を空けて、横並びに腰掛ける。


 ギシ……と安っぽい音がするたびに、坂巻はどぎまぎと間隔をあけた。

 そんな坂巻は、保健室に入ってきたときから終始そわそわと指先をいじり、何かを言いたそうな表情だ。


 ……仕方ない。俺の方から切り出すか。


「坂巻さぁ、知ってただろ。アイス屋で働いてるのが俺だって」


 問いかけると、一瞬びくりと肩が震える。

 今日はポニテに上げている巻き髪が、ぴょこんと揺れて、うなじをくすぐったそうに撫でた。

 坂巻は、小さくこくりと首肯する。


「うん」


「なんで知らないふりしたの?」


 坂巻は、指をいじいじと。


「あたしって、ほら……目立つし、学校内じゃあ、ちょっとしたインフルエンサーなわけじゃん?」


 自分で言うのもどうかと思うが、それは否定しない。


 坂巻は入学当時から、その派手な見た目と奔放な振る舞い、そして、告られ続きのフリ続きという、見かけに反してガードが固いところから、ちょっとした有名人だった。

 もし坂巻をオトせる奴がいるなら、どんな奴なのかと。


「そんなあたしが『真壁カッコいい』って騒いで、他の人に取られちゃったら、ヤダなって……」


「……騒がなきゃ、いいじゃん?」


「それ言う?」


「そっか。坂巻、お喋りだもんな。いや違う。すげぇ顔に出やすいもんな」


 今だって、カーテンの閉まったベッドにふたりきりってだけで、そわそわしちゃって、膝揺すっちゃって。安心しろよ、いくら密室でも、俺なんもしないから。そんなケダモノじゃないから。

 つか、どっちかっていうと、狙われてんのは俺の方か? きゃっ、どうしよ。


 ……じゃなくて。


 要は、『アイス屋のゆきくん』が『真壁』だと公言しなかったのは、他の女を寄せ付けないためだったらしい。


「じゃあなんで、学校では俺のことキモオタ眼鏡って、冷たくしたの?」


 本当は、好きなくせにさ。


 尋ねると、坂巻は猫背を一層丸くして、ぽつりと呟く。


「……ごめん」


「ごめん、じゃなくてさ。なんでなの?」


「…………好きで」


「へ?」


「あ、あたし……ちょっと前から真壁のこと、好きで。でも、学校じゃあギャルとオタクなわけでしょ? 住んでる世界が違うじゃん。価値観とかさ、学校での過ごし方とかさ……」


「それはまぁ……うん」


「あたしが真壁に告ったらさ、良くも悪くも、真壁は学校の子に注目されるじゃん? 羨みとか、やっかみとか。そしたらさ、真壁の好きな、本を読む時間とか、一人の時間が邪魔されちゃって、嫌かなって……」


「俺の、平穏のため……?」


 こくりと頷くと、自信なさげな横顔にベージュの巻き髪がかかる。


「チャンス……だと思ったの。真壁が、別人みたいな顔してアイス屋で働いてるってわかって。もしも、知らないふりをして、クラスメイトだって関係を完全になかったことにして、そのまま付き合えたら。学校では何もないし、真壁の過ごす時間と空間を、壊すこともないのかなって」


「だから、キモオタ眼鏡とか呼んで、『坂巻じぶんとは住んでる世界が違いますよ』って、遠ざけようとしてたのか?」


 問いかけに、坂巻は、「下手くそでごめん」と呟いた。


 確かに、こんな、下手をすれば(しなくても)ネガティブキャンペーンみたいな戦略。人払いにしたって、愛情の裏返しにしたって、もっと他にやりようはなかったのか? と言いたくなる。傍迷惑だし、風評被害も甚だしい。

 じゃあ、「自分が坂巻の立場ならどうしたんだよ」って言われると、困っちゃうんだけどさ。


「じゃあ、プリントを回すときに、手が触れないようにしてたのは?」


「手が触れちゃうとさ、ほら、その……あたしって、顔に出やすいじゃん? 顔赤くなっちゃうし、バレちゃうし……」


「これ見よがしに、目の前で『ゆきくんカッコいい!』って河野たちに報告してたのは?」


「後ろにいる真壁に、ちょっとでも伝わったらいいなぁって……ほら。面と向かってだと、恥ずかしくって言えなかったりするしさぁ……」


 あぁ〜。え〜? そういうコト?

 アレ、わざとだったのか。ったく、回りくどい真似しやがって……


「いや、にしても。キモオタ眼鏡はナイでしょ。もうちょっとオブラートに包んでよ。さすがに傷つくって」


「いや、本読んでぶつぶつほくそ笑むのは、ちょっとキモいなって、思ったから……」


 うっ。マジか。気をつけよ。


「実際、入学したての頃は、フツーのキモオタ眼鏡だと思ってたの」


 なにげに失礼っ。坂巻らしいっちゃ、らしいけどさ。


「でも、あの日……」


「?」


 顔を覗き込むようにして首を傾げると、坂巻はハッとしたように顔を逸らした。真っ赤な耳は、丸見えだけど。


「り、理由はともかく! あたし、真壁のことが……好きなの。あたし、今まで……今もかもしれないけど。馬鹿だった。それに気づいて、見た目でしか人を判断できない自分が恥ずかしくって、直そうと思ったの。でも、呼び方とか、あらためて直そうと思うと、なかなかできなくて……ごめん」


(うーん……そういうコトだったのかぁ)


 キモオタ眼鏡と呼ばれたことは悲しかった。しかし、改めて思い返すと、坂巻がキモオタ眼鏡と呼ぶことで特段イジメのようなものを受けたわけでもない。傷ついたのは、俺のセンシティブハートだけ。


 坂巻曰く、「キモいのは独り言だけで、真壁の容姿は別にキモくない。顔はぶっちゃけ、マスクで曇って見えなかった」って。

 じゃあ、なんで惚れたんだ? そこは照れちゃって、今日は話してくれないみたいだけど。


 それに、こうまで申し訳なさそうに、泣きそうになりながら言われると、なんというか、その……素直に怒れない自分がいる。

 我ながら、とんだお人好しだとは思うが。


 俺は仕方なく、ため息を吐いた。


「それならそうと、気づいてるなら早く言ってくれればいいのに。アイス屋で、こっそり声かけてくれよ。坂巻、照れてんの隠すのは下手くそなくせに、他人のふりする演技力は一丁前だよな。俺、全然気づかなかった」


「アイス屋、学校の最寄り駅じゃん。『真壁相手に』声かけてるとこ誰かに見られたら、態度でバレちゃうって。 ……そ、それに。ゆきくんが真壁だって知ってるのは、あたしだけでいいもん……」


「なんだそれ」


「もぉー! 要は独り占めしたかったのよ! 言わせんなバカぁっ!!」


 怒ってから、照れ臭そうにポニテの毛先をいじいじとする姿が、まるで拗ね不貞腐れた幼い子のようで。


 はぁ。もう。仕方ないなぁ。


「わかった。金輪際、一切キモオタ眼鏡って呼ばないなら、もう気にしないよ。不名誉なあだ名のことは水に流す」


「へっ? いいの?」


「ダメだったら、どうすんだよ。丸坊主にでもして、クラスの皆の前で謝るのか? 『キモオタ眼鏡って呼んでごめんなさい』って。どっかのアイドルグループみたいに。俺は、そういう『ざまぁ』みたいなのは好きじゃないし、今だって、別に坂巻とか河野とか以外は俺のことキモオタ眼鏡って呼んでないんだから。そんなことされたら、逆に注目されて居心地悪いって」


 「だから、仲直り」。そう言って手を差し出すと、坂巻は泣きそうになりながら、おずおずと手を握り返した。


「それにさ。学校での立場とか、色々あるとは思うけど。『住んでる世界が違う』ってことはないんじゃないかな。少なくとも俺は、坂巻とデートして、そう思ったよ」


「……!! ……はぁ。もぉぉ……超、好きぃ……」


「 ? なんか言った?」


「なんでもないっ……!」


 坂巻は、べそをかいている目を擦って、まっすぐに俺を見つめ返す。


「あの……さ。真壁のこと散々振り回しておいて、虫が良すぎるのはわかってるんだけど。その……あたしに、挽回の機会をくれないかな?」


「挽回の機会?」


「あたし、ゆきくんと……いや、真壁と。またデートしたい。絶対、楽しませてみせる。それで償いになるとは思ってない。ただ、真壁のこと、もっと知りたくて。本当は、もっと笑って欲しくて。隣にいさせて欲しくて……ダメ、かな?」


 上目遣いで問いかける坂巻。

 俺は、その想いに真摯に答えた。


「気持ちは嬉しいんだけどさ……その……言っておくけど、俺、好きな人いるよ?」


「へっ?」


 保健室の空気が、二度下がった気がした。

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