第29話 身バレカウントダウン

「ああ。やっぱりあなただったのね。アイス屋の、親切でカッコいいお兄さん」


 ふわりと柔らかな笑みを浮かべる加賀美さんは、俺の顔にそっと眼鏡を戻すと、込み上げる笑みを抑えるように口元に手を当てた。


「き、気づいたんだ……」


「気づくわよ。友達だもの」


 ……わ。嬉しい。


 その一言が、胸にすーっと沁みていく。


「ふふっ。真壁くんて、お店だとあんなニッコニコの笑顔するのね。すごいギャップ」


 俺の営業スマイルを思い出しているのか、そんなに楽しそうに笑われると、変に緊張していた糸がほぐれてため息が出る。


「そ、そんなに笑うことないじゃないか……」


「ごめんね。つい」


 こほんと、咳払いし、加賀美さんは口を開く。


「あのとき一瞬、真壁くんかな、とは思ったんだけど。名札がついてなかったし、真壁くんも何も言ってこなかったから。ひょっとしてバイトしていることを隠してるのかなって」


「ああ。こっちこそ、声かけなくてごめん。バイトしていること、できれば学校の人には知られたくなくてさ。ほら、俺、あのギャップだし?」


「そうだったの。じゃあ、内緒にするね」


「ありがとう。名札はさ、店長が『店員のプライバシー保護のために』って、つけさせないようにしてるんだ。ちょっと前に、このエリア内……近所のお店で、可愛い店員にしつこく声かけてくるおっさんがいたらしくってさ。ちょっとしたストーカーにまで発展したらしい。だから、各店舗の責任者の判断で、名札の着用について決めることができるようになったって。まぁ、名札が無ければ安全、って。そう簡単な話でもないんだけどさ」


 俺みたいに、出待ちされることもあるわけだし。

 相当、稀なレアケースだとは思うけど。


「そうだったの……こわい話ね」


「店長いわく、『名札があれば、個々人が責任感を持ってお仕事に取り組めるし、お客さんに「ありがとう」って褒めてもらうこともできるけど、世の中には、必要以上に名指しでケチをつけてくる人だっている。お客さんは、大切だけど神様じゃない。クレームの矛先や身勝手な要求に個人が狙われるなんて馬鹿な真似は許されないし、店長には、店員を守る義務があるから』だってさ」


「店長には、店員を守る義務がある……」


 口元に手を当て、加賀美さんは、ほう、と息を飲む。


「かっこいい店長さんね」


「うん。そう思う」


 加賀美さんはこくりと頷き、思い出したように「ハッ!」と声を出した。


「そうだ、忘れてた。真壁くんにはもうひとつ、聞きたいことがあって」


「?」


 すでに、先程までの「告られるかも?」みたいな淡い期待は吹き飛んでいる。

 ごそごそと鞄からノートを取り出した加賀美さんに、俺は嫌な予感がした。


「そうそう。せっかくコンタクトを持っているんだから。体育祭の出場、少し、考えてみてくれない?」


 ああ。キタ。やっぱりか……


 体育祭出場の勧誘(?)だ。そんなに全員参加させたいものかなぁ?

 加賀美さんは好きだけど、それだけは賛同しかねるよ。


「ねぇ、出ない?」


 ペンを持ち、期待に満ちたきらきらの眼差しに、言葉を失ってしまう。


「うっ。あ、う……」


「学校でコンタクトをするの、嫌?」


「イヤ、じゃ、ないけど……」


 加賀美さんには(嬉しいことに)、俺が真壁だとわかったんだ。

 クラスの誰かに『俺がアイス屋でバイトしている』とバレるのも時間の問題だろう。

 だが、それはそれとして。体育祭に出るのはイヤだ。

 おまけに、コンタクトを持っているとバレたら、同じ手はもう使えない。

 高校に入学して約三か月、少なくともあと二回は体育祭がある。

 貧血路線も、診断書ドクターストップがあるわけでもないし、どこまでもつか……


「ひょっとして……体育が、嫌?」


「!」


「ふふ。真壁くん、努力家なのに。苦手なものもあったのね。でもこれを機に、苦手なことに挑戦してみるのも悪くないんじゃない? 思わぬ発見があるかもしれないし」


 ……加賀美さんは相変わらず前向きで、すごいなぁ。


 親の意向で、志望通りじゃない学校に入学したのに。部活もやって、こうして熱心に学級委員までして……どうしてそこまで頑張れるんだろう? やっぱり加賀美さんはすごい。


 そんな俺の気持ちを知ることもなく、加賀美さんは体育祭の種目リストをパラパラとめくる。


「うん、ある。ドッジボール。これならずっと走り続けるわけじゃないし、当たればお終いよ」


「はは。なんて後ろ向きなドッジ」


「苦手なものはすぐには直せないわ。最初は参加するところから。ほら、私って学級委員でしょう? 生徒の参加種目リストを提出したときに、不参加がいると聞かれちゃうのよ。『なんで?』って」


 ……「親に」。と呟いた、消え入りそうな言葉は幸村には聞こえない。


「ね。お願い。私のためだと思って」


 そう言われたら、断れなかったよ。


 こうして俺は、大大大嫌いな体育の、しかも体育祭で。

 初のコンタクト姿をお披露目することが決まってしまった。


 俺が『アイス屋のゆきくん』だと知ったら、坂巻の奴、どんな反応するのかなぁ……?


 今から、胃が痛い。

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