第30話 きみがアイスを落としても
火曜日。今日のシフトは夕方から、店長である美鈴さんとふたりきり。
翌月から始まる新しい味が続々と入荷しているので、先に味見を済ませていた美鈴さんから、俺はアレコレと説明を受けていた。
その矢先。美鈴さんが、フレーバーの説明書から顔をあげる。少し遠くに、お客さんの姿を確認したようだ。やっぱり、店長なだけあって、こういうのは誰よりも早く気づく。
「あ。お客さんかも」
美鈴さんは、説明書を引き出しにしまいながら、俺の耳元でこそりと囁いた。
「可愛い子だ。ゆっきぃ君、行きなよ」
「えっ。俺ですか? 店長、JKが来るたびに俺を当てるのやめてもらえません?」
「いいじゃん、可愛い子の接客するの、キライじゃないでしょ? それに、私はゆっきぃ君が夏本番までに何人お客さんオトせるか、エリアマネージャーと賭けてるんだよ」
「は?」
何してんの? ココの大人たち。
「ちなみに私は、五人。今のところ二人だから、あと三人だね。がんば!」
「ハァ!?」
「んもう〜。そんな、ちいかわのうさちゃんみたいな顔しないの! 可愛いぞ!」
「ハァ〜!?」
「早く行って! ゆっきぃ君、キミに決めた! って。………ありゃ、常連さんかぁ。星増えず、だね」
てへぺろ。
もうなんなん!? まったく、店長は………
マスクの下でため息を吐きながら店先に立つと、お客さんがやってきた。
目の悪い俺でも、目視できる距離に。
「あ、あのぉ……」
おずおずとした上目遣いが可愛い、キャラメルの君――白咲さんだ。
学生バイトが多い都合上、店長は昼メインのシフトに入ることが多い。夜に来る白咲さんに会うのは稀。直前まで白咲さんだという確信が持てなかったようだ。
一方で俺は、幾度となく彼女の接客をしている。
言われずとも、ここは俺が出るのが当たり前だ。
顔見知りの来店に、俺は普段の接客よりも数段柔らかい、自然な笑顔で対応した。
「いらっしゃいませ。来てくれたんですね」
「せ、先日は本当に、ありがとうございました……!」
ぺこぺこと頭を下げる白咲さんに、「いいよいいよ」と手で合図する。
「気にしないで。あのときは、ついそうしちゃっただけだから。今日は何にします? キャラメルリボンはいつでも準備万端ですよ」
その問いに、白咲さんは嬉しそうに目を細める。
「ありがとうございます。けど、今日はこの新しい味が食べたくて……」
白魚のような指先で示されたのは、夏限定のフレーバー、ハワイアンクランチだ。
ココナッツ風味の白いアイスクリームに、鮮やかな黄色いパインの果肉が映える、甘さと爽やかさと、それでいてカシューナッツが小気味よい食感の商品。
ホッピングシャワーには敵わないが、俺も結構好きなやつ。
「ハワイアンクランチですね、かしこまりました。夏らしくて華やかで、美味しいですよ。僕も好きです」
そう言うと、白咲さんは目元をにこーっとさせて喜んだ。
「このあいだ、ゆきさんのオススメをいただいたら、とても美味しかったので。キャラメル以外も色々と、試してみたくなったんです」
「そうですか。それはよかった」
ホッピングシャワーの良き理解者が増えたようで何より。あの美味さがわかるとは、白咲さんの舌は案外、俺と好みが似ているのかも。
などと考えながら、手際よくアイスを用意していく。
レジでさっと会計を済ませて手渡すと、白咲さんはおずおずと注意深く、ソレを受け取ろうとする。
以前、渡す際に手が震えて落としてしまったのを気にしているのだろう。
あのときは、すぐに新しく同じものを用意してあげた。もちろんお代はナシで。
白咲さんは何度も謝っていたが、俺は当たり前のことをしただけだった。
目の前でお客さんがアイスを落としてしまったら、そうして差し上げるのがウチの店の決まりなんだ。
だって、せっかくのアイスを落として、肩も落としているお客さんから、追加で料金なんて取れない。泣きっ面に蜂じゃないか。
アイスの一個や二個で売上が左右されるわけでもないし、そのお客さんが次から来なくなってしまう方が大損失。
ましてや、ウチには小さなお子ちゃまも結構な割合で来るわけだし。目の前でアイス落っことしてぴゃーぴゃー泣かれたら、可哀想で見てらんない。
それに何より、『アイス屋さんは、お客さんの「おいしー!」の笑顔のためにあるんだよ。コレ、一番大事だから。売り上げはその次だから』というのが、店長である美鈴さんのモットーなのだ。
そんな美鈴さんを、最初の頃は、「夢と希望に溢れた人ってマジでいるんだなぁ」と遠くに感じていたが。バイトを始めて、俺の考えも変わった。
そんな美鈴さんの店だから、誰もが俺みたいな陰キャにも偏見なく接してくれるし、そんな皆のことを好きだと思えるし、そういう風に、働く環境に心にゆとりが持てるからこそ、お客さんにも優しくできるのかなって思う。
そういうのをひっくるめて、美鈴さんは敏腕なんだな、って。
俺を使ってエリアマネージャーと賭けをしているのはいただけないが。目の前で嬉しそうにハワイアンクランチに手を伸ばす白咲さんを見ると、自然と俺も嬉しくなった。
こういうのも、教育? の賜物なのかもな。
「ちょっと多めに盛ったから、気をつけて」
店長に聞かれないように、こしょ、と囁きながら、手を包むようにして持たせると、白咲さんは慌てて、かぁあ、と赤くなった。
おかげで大盛りにしたのがバレた。
だが、店長は、何故か棚の下でガッツポーズをしたのだった。
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