第14話 『あの子』が好きだ

「むつ姉ってさ、その……彼氏とか、いるの?」


 その問いに、きょとんと固まる大きな瞳。

 見れば見るほど吸い込まれそうで、それが大きいだけでなく綺麗なことに気が付いたのは、数年前くらいだったか。


 むつ姉はしばし、ぽやんと口を開けていたが、突如口元をおさえてころころと笑い出した。


「彼氏って……そんな、いないよぉ!」


 返答に、ドッと汗をかくくらいに安堵している自分がいた。


 自分にだってむつ姉以外に好きな人がいるくせに、むつ姉に彼氏がいないことでこんなに安堵するなんて。なんとおこがましく自己中心的なんだろうとは思う。


 だが、どうしようもなくそう思ってしまうんだから仕方がない。


 だって、もしむつ姉に彼氏がいたとしたら。

 それがどんなやつなのか、聞いて、会って、確かめて。

 絶対大丈夫、こいつだったらむつ姉を幸せにしてくれる……って安心できるまで、生きた心地がしないから。


(よ、よかった……)


 いつの間にか止まっていた呼吸を人知れず取り戻すと、むつ姉はずい、と顔を覗き込む。


「……いなくて安心した?」


「……! いや、えっと、その……」


「ふふふ。じゃあ、おあいこだ。私もゆっきぃに彼女いなくて、ちょっと安心したもん♪」


 もう一度いたずらっぽく笑って、むつ姉は食器を下げ始めた。


「あ……! 俺も手伝うよ」


「そう? じゃあ、土鍋を下に運ぶのやってもらおうかな。私、コップ持つね」


 そうしてふたりして、下着が片付けられたことで入れるようになったリビングにおりた。


 帰り際、「もう遅いし、玄関ここまででいいよ」と言うと、むつ姉は最後にもう一度だけ、おでこ同士をくっつける。


(……!)


「うん。やっぱ風邪じゃなかったみたいだね。心配し過ぎだったっぽい?」


「だから、最初からそうだって……」


「――するよ」


「……?」


 俺を遮るように口を開いたむつ姉は、その大きな瞳でまっすぐこちらを見据え、言い放った。


「心配するよ。いくつになっても、たとえゆっきぃが大丈夫って言っても。私は、ゆっきぃのお姉ちゃん代わり――ううん。ゆっきぃのこと、大切に思ってるから」


「……!」


「念のため、今日は早めに寝るんだよ? 明日のシフト、辛かったら代わるから、いつでも言ってね」


 優しい言葉の数々が、すーっと心に沁みわたっていく。


「……うん。ありがとう、むつ姉」


「またいつでもおいで」


「うん」


「そのときは、膝枕して耳かきしてあげるね」


「……うん?」


「え。だってゆっきぃ好きだったよね? 膝枕で耳かき……」


 さも当然のように言ってくれるが、それって何年前の話?

 むつ姉には、俺がまだあの頃……幼稚園児に見えているのだろうか。


「それは遠慮……」


 言いかけて、むーっと愛らしい膨れっ面と目が合う。

 『私とゆっきぃの間に、遠慮なんていらないでしょ?』って。


 俺は、思い切って吹っ切れてみることにした。


 むつ姉の前なら恥じらいを捨てて、思いきり甘えてもいいんじゃないかなって。

 だって、それが俺とむつ姉だから。


 玄関で靴を履きながら、照れくささの隠しきれない笑みを浮かべる。


「……じゃあ、お言葉に甘えて。また来るよ」


「うん! 待ってるね!」


 ……やっぱり俺は、むつ姉が好きだ。


 じゃあ、に対するこの恋心は、嘘になるんだろうか?

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