第8話 A地区へ
「おはよう、今日は私もテレワークだから。」
いつものように朝5時半に目覚ましてで起きて、30分の軽いランニング。ざっとシャワーを浴びてキッチンのテーブルに着く。妻が用意してくれた朝ごはんは、いつも完璧だ。
「じゃ、お昼は僕が作るよ。」
あれから数年が経った。僕は2年前にA地区に戻ってきたのだ。元々A地区で働いていて、住居もあった僕は簡単な書類を申請するだけでA地区に戻れた。B地区に行った日に通った通路を、戻ってきたのだ。住居は僕がB地区に向かった日のまま、ただ静かに時が流れていたように何も変わっていなかった。
B地区に移住していた期間は2年くらいだろうか。仕事をせず、ひたすらに本を読み、音楽を聴き、ゲームに熱中し、そして自炊をして暮らした。その間、殆ど誰とも話す機会もなく、しまいには声の出し方を忘れてしまったのではないか?と、思うほどだった。
昼夜逆転する事もあったけど、最終的には規則正しい生活をしていた。空が明るくなったら起きて、暗くなったら寝る。3食しっかり食べて、しっかり出す。年1回の健康診断もA判定だった。24時間全てが、自分のものだった。
でも、僕は生きる意味を途中で見失ってしまったのだ。決して、悪くはなかったB地区で暮らし。自由で心配事もない暮らし。でも僕には向かなかった。何もしないで暮らすには、何もしないで暮らすためのスキルが必要だったのだ。
そして僕は、A地区へ戻った。
「今日はパスタを作るよ。12時まではミーティングもないから、何かあれば声掛けて。」
そう言って、それぞれの仕事部屋へ向かう。
「うん、わかったわ。私は午前中いっぱい打ち合わせだから。」
妻はもう、質素な服を着て、静かすぎる生活をする僕をが死んでしまったのではないかと、心配して声を掛けてくれたB地区の隣の住人ではない。
僕がのんびりと読書やらゲームやらの自炊の日々を過ごす間、隣の部屋で彼女は猛勉強をしていたのだ。B地区から出た事がない住民が、A地区へ移住するのは大変なことなのだ。筆記試験を受けて、適性試験を受けて、更に1年間A地区で研修を受けるのだ。
その研修を経て、A地区の住人となることができる。彼女は、僕が再就職をしたシステム会社の後輩として偶然にもやってきたのだ。B地区で化粧っけのない質素な服を着た彼女と会ったのは1回だけだったし、僕は会社で彼女から声を掛けてくれるまで全く気が付かないくらい別人だった。
当時の話を面白おかしく彼女は話した。会社の同僚にも笑い話として広まった。そんな事から始まって、気が付けば彼女と結婚をしていたのだ。
ここ数年、B地区からの移住が加速度的に増えている。一部の地域では、B地区は縮小されていて、A地区が拡大されているところもあるようだ。
働き方も多少の変化があり、テレワークだけではなくハイブリットと呼ばれる形も増えてきて、週に1,2度は出社する人もいる。「会社帰りに1杯どう?」なんて言って、軽く居酒屋で飲んで帰ることも増えた。
働くことは決して簡単な訳じゃない。ましてや、楽しくもない。でも、誰かと何かを共有して、それが誰かのために役に立っていれば良いじゃないか。
働き蟻の法則『全体の2割がよく働き、6割はたまにサボる事もあるが働き、残りの2割は働かない』また僕は、そのよく働く2割の人間に戻ったのだ。この割合は今後、変化していくかもしれない。
おわり
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