第2話 おまえをいちばん
「女装男子と男装女子と異性装系キャラクターは違うと思うんだよな」
「その話長い?」
「お前を嫁にもらう前に言っておきたいことくらいかかる」
「長いじゃん。三行でどうぞ」
「それツンデレとヤンデレの違いを手短に教えてって言ってるようなものだから」
「俺が悪かっ……いや、だいぶ違うだろ。そこ一緒にする奴はいなくねえ⁈ 絶対違うって!」
「そういうキャラが好きな奴以外は区別なんかつけないだろ」
「そういうもんかな……」
コスプレ衣装を作る時は、着る人間の身体や動き方に合わせる必要がある、と隆太は信じている。
キャラクターが着ている衣装らしさと服に必要な機能の両方を維持する、というのは案外難しい。
だから隆太は、採寸した後おおよその形を作って一度着てもらい、さらにそこから調整をし、もう一度着せてみて微修正をしていく、という形で衣装を作っている。この作り方を確立したのは半ば和樹の専属となり始めた最近のことだ。
そもそも、コスプレ衣装を作り始める前はドールの衣装を作っていた。その前は、各ジャンルで公式グッズとして出ていたぬいぐるみ、いわゆる「ぬい」の服を作っていたし、更に遡るならば子供の頃、可愛がっていたぬいぐるみにも服を何着も作ってやっていた記憶がある。
外界に何かを出力することが自己表現なのだとしたら、隆太の自己表現は基本的に、針と糸と布を通して行われていたと言っても過言ではない。
一番好きなのはドレスだ。別に、自分が着たいと思ったことはない。ただ、あの華美な服が好きだった。不要なまでに華やかで、ただ着用者の美しさを引き出すためだけに作られた、たくさんの布を必要とする衣装。フリルをふんだんにあしらってふわりと膨らむベルライン、腰やヒップのラインを美しく見せるマーメイド。絢爛な刺繍やきらきらと光を抱くストーンやパールを使うのもいい。何もかもが非日常で美しく、隆太の心を高鳴らせる。
気に入ったものを眺めるのも好きだが、同じくらい、自分の手で煌びやかな衣装を生み出すのが好きだった。それを着る誰かを見るのも。もしかしたら着るのだって、もっと自分が華奢なら好きだったかもしれない。
けれど、残念ながら隆太は背丈も体格も大柄に育ってしまったので、自分が着るのは断念した。コスプレをする、というだけなら、二次元のキャラクターには結構派手な格好の男も多い。アイドル育成ゲームや軍事政略ゲームの衣装を作るのも楽しかったから、初めはそれで満足していたのだ。
和樹と出会うまでは。
「ゆづにゃんの衣装の中でもクリスマス衣装って割と華やかっていうか、お祭りごとなんて興味ありません、アイドルは仕事です、って言ってた子が何年か一緒に過ごして態度が軟化した感じが出てて、可愛いよな」
「そうなんだよ。だから推しなわけ」
「この衣装でちょーっとだけ照れてるってのが俺は好き」
「上限解放後のやつな。あの表情にした絵師にボーナス上げてほしい」
ここ二年ほど、二人でハマっているゲームのキャラクターのうち、ゆづにゃんこと夏風柚葉というアイドルが、隆太の「推し」だ。和樹はまんべんなく好きになるタイプなので、このゲームに関するコスプレをする時は限りなく隆太にされるがままである。
着替えが出来る貸しスペースで、前回も今回も喋りながら隆太の言う通りに腕を上げ下げしたり、じっとしていたり、着心地や動かしやすさを聞かれたりしていた。
「にしても」
ひとしきり微調整を終え、ほとんど完成、というところまできた和樹を二、三歩離れて頭からつま先までじっくりと眺める。
「なごさんの身体、マジで完璧だな。好きだ」
「言葉だけ聞くと変態なんだよな」
まだメイクの乗っていない顔で、和樹が呆れた声を出した。身体目当てかよ、なんて軽口にはもちろん、大真面目な顔をする。
「何言ってるんだ。顔も大好きだよ」
「そういうこっちゃねえ〜」
実際、隆太は和樹の造形のすべてを愛しているといっても過言ではない。綺麗な顔をしたコスプレイヤーは数多くいるけれども、整っている、という観点においては、ここまで精度の高い男はなかなかいないと思う。
瞳が大きくて唇が薄く、手足はすらりと細長い。背丈があまりないのも、本人は多少気にしているようだが、バランスが良くて素晴らしい。黙って立っているだけならいっそ近寄り難いほどの美なのである。
もちろん、口を開けば自分と同じオタクなのだが。
「これで完成?」
「うん、あとは仕上げってか、本縫いだけ。来月のイベントの時はこういう調節はもうないから、もう少し早く着られると思う。気になるなら当日までに一回着る練習してもいい」
「了解。練習は別にいいかな……とりあえずメイクもしてみるか。隆太、色の感じとか見て」
「あいよ」
コスプレイベントは、コミックマーケットなどの同人誌即売会以外でコスプレができるいい機会だ。十月だから、とたいていはハロウィン風の衣装の人が多いが、ゆづにゃんにハロウィン衣装は実装されていない。ま、いいんじゃね、と和樹が頷いたので、クリスマス衣装での参加を決めた。
「近くで見ててもいい?」
「いいけど、面白いか?」
「おう」
ポーチの中からガチャガチャと道具を取り出し、机に立てた鏡の前で下地から順に顔をキャラクターへと寄せる作業をする和樹を眺めるのは、結構好きだ。
もともと隆太は男性キャラクターのコスプレの経験こそあれど、女性キャラクターのコスプレ経験は皆無である。キャラクターによってチークや口紅の色や種類を変えるということは、和樹の衣装を作るようになって初めて知った。いや、正確には、変えることはなんとなくわかっていたのだけれど、色味や明るさを調節することでこんなに表情が変わるということを初めて知った。
「この衣装はこれ以上装飾盛ったらバランスが崩れるからやらないけどさ、マジでどれだけでも盛っていい素体してるよな、お前」
「素体っつったか?」
「メイクする前からこれだもんな……美人さんだな……」
「なあ俺のことちゃんと人間だって認識してるか? ドールに対する口調じゃねえの? ってか、邪魔。近い。下がれ」
呆れ顔で押し退けてくる和樹にごめんごめん、と笑う。
女性のコスプレイヤーと一緒の時は、当然距離感に気を遣う。大半が女性のジャンルだから、ほとんどの場合はそうだ。男性というだけで警戒されるのはわかっているし、そうしないと彼女らの身が危険に晒されることがある、というのが、悲しいかな、現実だ。
けれど、和樹は同性だから、ちょっとくらい近付いてもまずいことは起きないだろう、とつい油断してしまう。和樹のほうも邪魔にならない限りは邪険にしてこないし、同じように肩を叩いてきたりもする。
ドールと同一視しているつもりはない。ただ、好みド真ん中の容姿に、未だ感嘆し続けているというだけの話である。
「でもこないだのあれはまだ許せてない……」
「だいぶ引きずるなお前」
「だって!」
そっちはそう言うが、隆太にとっては大事件だったのだ。
「お前を一番綺麗に出来るのは俺なのに!」
「お前は俺の何なんだ?」
しばらく仕事が忙しい、と言っていたら、和樹が自分の知らぬ間に他人の作った衣装を着ていた。ただそれだけのことが、なぜだか手酷い裏切りに感じられたのだ。
「ユニット併せだったんだよ。絶対行きたいじゃん。ゆづにゃん、俺も好きだし」
「わかるけど」
「でもお前忙しいって言ってたから、無理させたくないなと思って、市販品買って自分で調整した」
「仕事を理由にお前に着せる衣装減らされるの腹立つ……立ちました……」
「面倒臭いな」
隆太は唇を尖らせる。ほかのコスプレイヤーやカメラマンと予定を合わせる必要があるのだから、当然誰か一人の都合で振り回すわけにはいかないだろう。それでも、自分以外の人間が作った衣装を着ている「なご」を見るのは悔しかった。
(俺が一番和樹の魅力を引き出せるのに!)
「クリスマス衣装はお前にやってもらってるからよくない?」
「よくない……いやいいけど……よくはない……」
「えー」
他人の作った衣装を纏っていたって美しいけれど。やっぱり、この男を一番美しく仕上げるのは自分が良かったし、そう出来る自信がある。
苦笑いをしながらも、真面目な顔に戻ってメイクを施していく和樹を横目に見る。アイブロウを握った手を覆う袖のふくらみがふわりと揺れる。キャラクターらしい色味の透かし編みが入ったブラウスに乗ったケープの位置を、後ろから調整する。
仕事での服のデザインはターゲット層の体格・骨格を想定して作るけれど、コスプレ衣装はその着用者のことだけを考えて作ることができる。骨の形も筋肉や脂肪のつき方も、肌や髪や瞳の色も、たった一人の情報だけをもとに作るから、その分より細やかな調整ができるし、どうしたら着用者を一番きれいに見せられるかということにとことんこだわることができる。
たしかに、誰かのためだけの衣装を作ることは、ドールの衣装作りによく似ている。視覚情報をフルに活用して、着用者を一番魅力的に作るという行為。
そこに着用者の意図は、もしかしたらないかもしれない。
時々そんなことを思う。和樹のための衣装を作る時、自分は自分にとっていっとう美しいものを、和樹を使って作っているに過ぎないのだ、と。
自分の考える一番素晴らしいものを作るために、この男の服を作っている。それは錯覚ではなく、確かな事実のような気がする。
だからこそ、他人の作った衣装を着た「なご」の写真をSNSで見たのが、悔しかった。
違う、そんなものではない。この男はもっと輝ける。俺ならもっと、輝かせられる。
市販品の衣装の出来は決して悪くはない。ただ、あの衣装はおそらく、女性用に作られた大きめサイズをベースにしている。そうなると、サイズ感はカバーできても体格はカバーしきれないのだ。ポーズや詰め物での誤魔化しはもちろん努力されているとは思うけれど、それは隆太が普段彼のために仕立てている衣装とはどうしてもくらべものにはならない。
もちろん、形が合わなかろうがどうしようが和樹は美しかった。表情もポーズも愛らしく、「ゆずにゃん」らしい鋭い可愛らしさを表現しきっていたと思う。楽しそうなオフショットも、ユニット曲のジャケットを模した写真も、とてもよく撮れていた、とは思うけれど。
それでも。
「やっぱ恒常衣装もやりたかったな……」
自分が作ったほうがもっとずっとこの男を美しく魅せられたはずだ。
「まだ言うのか」
「だって……」
「もう散々着せてるだろ。心が狭いな」
「どうせ心が猫通り越してスズメの額くらいしかないよ俺は」
「マジで狭いじゃん」
こちらは大真面目だというのに笑われたので黙ってぶすくれることにした。
「んー……じゃあさ」
しばらくして、甘い色のルージュを乗せ終えた唇がそろっと開かれる。
「受かるかわかんないけど、冬コミの時にお前の好きな服着て本出そうぜ。それでいいだろ」
「……マジ?」
「今のタメでちょっと何言われるか心配になっちゃったけど、いいぜ。一回コミケで写真集出すってのやりたかったんだよね」
まじまじと和樹の顔を見る。今までのコスプレはアニメとゲームのキャラクターがほとんどだった。多少オリジナリティを入れるにせよ、それはキャラに着せたい衣装だとか、着てくれそうな衣装という範疇を出ない。が。
「本当の本当に、俺の好きなように服作って着せていいのか?」
「え、うん……何、そんなやばいもの着せたいの? 俺が把握している以上のお前の性癖が出る感じ?」
「いや、その、……オリジナルでも、いいかな」
「オリジナル?」
言ってしまった。
前々から考えていた。自分の持てる技術を最大限に生かして、世界にただ一人のこの、美しい男の魅力を存分に引き出せる衣装を作ってみたい、と。
既存のキャラクターではない、自分達二人にしか表現できない美を、この男で実現したい、と。
それは、ある種のアーティストとしての感情なのかもしれない。デザイナーとしての、あるいはコスプレ衣装を作る人間としての。
けれども、それは同時に「自分のために人格を捨てて人形になっていてほしい」という傲慢な願いでもあると思う。
傲慢だと知りながら、それでも、隆太はその願いを押し留めることができなかった。自分ではない誰かの作った衣装を着ている姿をひとつ示されたことがむしろ、より頑迷にそれを願わせた。
誰よりも美しいお前が見たい。誰よりも美しいお前を、俺が作り上げたい。だって、お前の身体のことは、お前の美しさは誰よりも俺が知っている。その美しさの引き立て方は、誰よりも俺が一番詳しい。
「……だめ、かな」
和樹は何やら考え込んでいるようだった。知らず知らずのうちに眉が下がる。やっぱり、ダメだろうか。
コスプレイヤーの中にも、既存キャラクターの衣装を着るのは好きだけどオリジナルは嫌だ、という人は少なくないと思う。そういう主張もわからないわけではない。あくまでもキャラクターの姿を借りるのが楽しいのであって、衣装で何かを表現をしたいわけではない、という人。それは悪いことではないし、和樹がそうだとするならば無理に着せたいとは言わないけれど。
「その、こういうの着たいって希望があったら出来るだけ取り入れるし。あと、えっと、装飾は……重くない程度にはするから……」
「そこ減らすとか言って妥協しないあたり怪しいけどな。やりたいデザインがあったら素材を軽くしてでも増やすタイプだろ、お前」
「う」
行動パターンが読まれている。
しかし、呆れ顔まで精緻に整った男の返事は実にあっさりしたものだった。
「いいよ」
え。と和樹の顔を見る。え。嫌だとか、そういう反応だったんじゃないのか、今の。首を傾げていると、ぶは、と相手が笑い出した。
「着せたいって言ったのお前なのに、なんでびっくりしてるんだよ」
「え、だって……いいのか?」
「別に、俺がやることは変わらないじゃん。衣装に合わせて化粧したりウィッグ作ったり、くらい? むしろお前が大変な思いするだけだと思うんだけど。オリジナルって見本とか何もないわけだし、だいぶキツくない?」
「好きでやって大変な思いするんなら本望だろ」
「あっそ。ま、無理だけはすんなよ」
「よっしゃ! ありがと!」
はは、と和樹は笑う。俺を着せ替え人形にしてお前が楽しいんならいいんじゃねえの、なんて言うものだから、隆太はそれに甘えて好き勝手してしまう。もちろん、それを指摘して「やっぱやめた」なんて言われてもかなわないから、言うつもりもないけれど。
「冬コミに写真集出すんなら撮影とか編集の時間を差っ引いて……日程結構ギリギリだけど、大丈夫か?」
「労働を縮退運転にすれば何とでもなる」
「すんな。働け」
「ははは」
構ったことではない。隆太にとって仕事は生きていくための手段であって(もちろん楽しいことはあるが)より優先すべきことがあるなら最低限自分で自分を許せる程度の働きをこなすだけにしておく、というのは当然なのだ。
「見てろよ、俺の衣装でお前を一番綺麗にしてやるからな」
自負と奇妙な執着で吐いたその言葉に、推しの顔をした美しい男は一瞬瞠目し。
「……楽しみにしてるよ」
ふっと、ほころぶような表情で微笑んだ。
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