に、なりたい
晴田墨也
第1話 おまえがいちばん
「着たのか! 俺以外の奴が作った服を!」
「やかましっ」
通話アイコンをタップした途端、やかましい男の声が耳をつんざいた。
「何でだよ! お前の衣装は全部俺に作らせてくれって言ったのに!」
「仕事が忙しいって言ってたのお前だろ」
「お前のためなら仕事なんかギュッと圧縮してどうにかやりくりしてやるのに!」
「お前の仕事はJPEGか?」
数年前から「なご」という名義でコスプレをしている。最近は写真を同好の士に撮ってもらうことも増えた。
ゲームやアニメのキャラクターのコスチュームを作って着るというのは、自分の普段の性別、年齢、立場を超えて何にでもなれる気がして、楽しい。また、キャラクターに造形を寄せるためのメイクや詰め物を工夫するのも面白さの一つだ。
何より、どうせやるなら美しくありたい。自分の顔が整っている自覚は昔からあったから、この趣味に手を出した以上は納得するに足るだけの美しさを叶えたくなるのは道理だろう。
けれども和樹は気付いている。この二年ほどの間、自分がもはや、楽しさのためだけにコスプレを続けているわけではないことに。
もちろん、やるからには美しく、コスチュームを着た己が一つの芸術作品でありたいと考えているのは変わらないけれど。
今は、美しくあろうとする理由がそれだけではなくなっている。
「なごさんの身体のこと一番わかってるのは俺なのに……お前を一番輝かせられるのは絶対俺の衣装なのに……」
「前半だけだと変態臭えな」
むろん、この盛大にぐずっている隆太という男が原因である。
隆太はファンアートの一種として、コスプレ衣装を作っているタイプの人間だった。数年前までは自分でも着ていたが、「今まで出会った中で最も理想的な造形をしている人間」に出会ってからはすっぱりと作る側に専念することにしたらしい。
つまり、和樹との出会いが隆太を変えてしまったのだという。
まあ、確かに背が高く筋肉質な身体は華奢なキャラクターを演じるのには向いていないし、彼が得意とするフリルやレースがたっぷりと縫い付けられているドレスを着こなすのも難しいだろう。仮にどうにか着こなしたとて、それは隆太の望む姿ではなかった。
その点、和樹は彼にとって理想的な身体の持ち主だった。切れ長に大きな瞳も、薄いが細すぎない体つきも、程よく筋肉の付いた脚に至るまで、何もかもが。
「ずるい。しかもこれ俺の推しだし。俺が最初に着せたかった。いや一番好きな衣装じゃなくて恒常だけど……でも悔しい……」
一緒にゲームをプレイするためにつないだはずの通話だが、今日はなかなかゲームのほうに話題が移らない。先日の「併せ」、数人のコスプレイヤーと一つのテーマで撮影する会で、隆太以外の人間が作った衣装を着たのが相当お気に召さなかったらしい。
俺がやりたかった俺が作りたかったとブツブツ言う男に呆れつつ、ふと自分の心のうちを振り返ってみる。
そこにあるのは「呆れ」なんて平坦な感情だけではない。薄墨色をした、表に出せない感情がそこにある。
多分、自分は今、喜んでいるのだ。
「……でも、クリスマス衣装もいいよな、着てえ」
わざと呟く。何の気なしに、たった今思いついたとでも言わんばかりの声色で。
「言ったな! 作るぞ!」
スマホの向こうでバン! とテーブルをたたく音がした。大仰な反応に苦笑する。
「めっちゃやる気じゃん」
「だって! 俺が一番お前を綺麗にできるって世界に証明しないと気が済まねえ!」
「世界て」
「世界だよ」
「あー、まあなんでもいいけどさ、無理するなよ」
「するかもしれないが問題ない」
うれしい。胸の内で、後ろめたさを抑え込んで喜色が広がる。この男が喜んでいるのがうれしい。この男が自分だけを見て衣装を作りたがっているのが、うれしい。
もうずっと、恋をしている。裁縫オタクの衣装バカで、こちらの見た目にばかり頓着してくるこの友人に。
☆
和樹と隆太が出会ったのは三年前のことだった。同人誌即売会の会場を歩く姉の後ろを、姉の好きなアイドル育成ゲームのキャラクターのコスプレをして歩いていたら、いきなり声をかけられたのだ。
「あ、あの! 写真、撮らせてもらってもいいですか?」
すごく好みで、と照れる大柄な男を見上げ、和樹は珍しく思ったものだ。そのゲームに登場するのは男性キャラクターがほとんどで、同じ作品のコスプレをしているのは女性が多かったから。
「ありがとうございます。ってか、そちらもすごく似合ってますね」
戸惑う姉に「先行ってて」と手で伝えながら、相手の頭のてっぺんから爪先まで眺めた。背の高いキャラクターのコスプレを体格のいい奴がしているのはやはり、いい。格好いいですね、と素直に伝えれば、相手は束の間ぽかんとして、それからはにかんだ。
「ありがとうございます。これ、自信作なんで」
「え、その衣装全部ですか?」
「あ、はい。基本的には全部、一から作ってます」
「すげえ。俺なんかめちゃくちゃ市販品ベースですよ」
「いやそんな……ありがとうございます」
そこから意気投合し、SNSの連絡先の交換をしたばかりの頃は、少なくともまだ恋などしていなかった。
気の合う友人でしかなかったそいつを特別だと思うようになったのは、あるいは特別だと言われたくなったのは、まったくもって誤算でしかない。
「なごさんは好みの顔と身体をしているから、俺は俺の作れる最高の衣装を着せたいんだよね」
何それ、と笑った和樹に、隆太は「本気だよ」とまっすぐな眼差しを返した。
「お前は美しいよ。だから俺は、その美しさを一番上手く引き出す衣装を作りたい」
「……そう、か」
事故のようなものだった。身体が好きだなんてほざいた男に恋をしたのだ。
仮縫いをしている無骨な指先に、好物を前にして笑う時の声に。シャツから覗く喉の骨に。何より、和樹の身体を見つめる視線に、恋をした。
お前が一番綺麗だ、と言われ続けたいと思った。隆太にとって特別な人間でありたいと思った。うっとりと見つめてくるその目を、ずっと眺めていたいと思った。
その自覚が芽生えた時からずっと、恋を押し殺している。
☆
「お前ほんと俺のこと好きな」
新しい衣装を作れる、と決まった途端、けろりと機嫌を直した隆太がゲームを起動させている間、そんな軽口を叩く。面白がっているような声色で。
だいたい、こいつは何を言うにしても大げさなのだ。好きだとか美しいだとか綺麗だとか、素面で友人に言うものだから心臓に悪い。もっとも、だからこそ欲しい言葉を言うよう仕向けることができるのだけれど。
「だって。本当に綺麗な顔してるんだぞお前。何ならアイドルって言って通用するくらい。自覚ないのか?」
「あるけど、自分の顔だしな……」
「そんなもんかな。俺なら毎日めちゃくちゃ服選びとか頑張ると思うんだけど」
そんなもんだろ、と返事をして、すぐに付け加える。
「まあ、お前に飾られるのは嫌いじゃないけど」
「俺もお前を飾るのは大好きだぞ」
「……あっそ」
わざと引き出した「大好き」に口許が緩んだ。そう、大仰な言い振りをするから、片想いだというのにこんな言葉を引っ張り出すことも容易なのだ。
とはいえ、我ながら健気なものだと思う。こんな他愛のない、他意のかけらもない言葉で喜べるだなんて。
恋が実るなんて思ったことはない。だって、かつて隆太には彼女がいた。そうでなくとも、現代日本で同性カップルが上手いこと成立する可能性は限りなく低いだろう。むしろ同性の友人へ向ける恋心なんか、関係の破綻にしか繋がらないはずだ。……もしかしたら隆太なら、丁寧に拾い上げて断るのかもしれないが。けれど、そのほうがよほどつらいと思う。
振られる時は手酷いほうがいい。そのほうが諦めやすいから。
けれども今はただ、一緒にいられればそれでよかった。いつか隆太に大切な人ができるまでの間でいい、自分を着飾らせるのに飽きるまでの間でいい。そばにいたかった。
和樹だってもう大人だ。失恋も、恋を捨てるのも、経験がないわけではない。それでも、今はまだ握り締めていたかった。好きな人の隣にいたい、という想いだけがあった。
恋を自覚してから、それまで以上に肌のケアや髪の手入れに力を入れるようになったのは、隆太が「なご」の造形を愛しているからだ。一番美しい、と言ってくれる時期は短いかもしれないけれど、その時間を延ばす努力をしないほど物分かり良くもなれない。
和樹の見た目をこよなく愛する隆太が自分に着せてきた衣装はもう、片手では足りない。
彼の作る服はどれも端正で、細やかな気配りでもって仕立て上げられている。写真に映えるのはもちろん、着用者の着心地や動きやすさまで考えられた衣装だった。
あの服達は誰が着たってきっと美しい。
けれど、和樹はそれを一番輝かせられるのは自分だと信じていたし、それに相応しくあれるよう力を尽くしている。
だって、他ならぬ隆太が自分のためだけに作った服だ。それを一番魅力的に着られなくてどうする。
それは恋する人間としてよりも、一人のコスプレイヤーとしての矜持だった。
自分はこの男の作った衣装を誰よりも美しく着られるし、そうでなければならない。この男の差し出す自分への――自分の造形への情熱に、全力で応えなければならない。
全力には全力で。それが、衣装作りの人間へ払える、最大の敬意だと思う。
「あ、なごさん。先に次いつ会うか決めとこうぜ。さっき言った衣装の採寸とかしたいから」
「あ? ああ、そうだな」
「いつがいい? 俺、日曜日は結構空いてるけど」
「んー」
和樹は手帳を見ながら休日を告げていく。アパレルショップに勤める身なので、休みがどうしても不定期なのだった。
どうにか互いの休みの重なる日を見つけて、じゃあいつもの駅で、と言う。
「了解。はは、楽しみだ」
「いつものことじゃん」
嬉しそうな声にわざと軽い声を返す。そうだけど、と笑いを含んだ声が上機嫌に喋るのを、和樹がどんな気分で聞いているかなんて、永遠に知られなくていい。
「俺は毎回楽しみにしてるぜ」
何でもない言葉にどれだけほっとしているか、なんて。
「そうかよ」
電話の向こうの弾んだ声は愛しい毒だ。
「見てろよ。俺がお前を一番綺麗にできるんだって、世界に証明してやるからな」
自負と慕情が絡んだ心でその言葉を受け止めながら、和樹はひそやかに微笑んだ。
(お前以外にいるものか)
俺をここまで焦がれさせている男以外に、俺を一番綺麗にできる奴がいるものか、と。
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