第3話 おれがいちばん

「何だこれ」

 その日の夜、隆太から送られてきた圧縮ファイルを見て、和樹は首を傾げた。が、すぐに追送された「資料です。衣装案が固まったので、明日の夜詳しく話したいです。」というメールで、疑問は解ける。

 冗談半分のつもりで「お前の好きな服を着て写真集を作る」という言葉を放ったのは、半月ばかり前の話である。あれからSNSにもなかなか顔を出さず、メッセージアプリでの連絡も来たと思ったら衣装の好みを聞く内容ばかりだった。

 もともと、和樹は隆太の作る衣装の細やかさが好きだ。一応、この男と知り合うまでは自分でも作ったり、既存の衣装をアレンジしたりしていたから、彼の技術が卓越したものであることはわかる。

 彼自身よく喋る男ではあるけれど、衣装はもっと雄弁だった。彼の気遣い、着用者への思いやり、理想を叶えるための努力、時に材質や価格と折り合いをつけながらも彼にとって一番大事なパーツ――それはその時々で変わるけれど、キャラクターの性質や雰囲気を醸し出すポイントであることが多い――だけは決して、妥協しないところ。そんなものがよく表れている。

 だから、本当のことを言えば、何だって良かった。この男が自分に着せたい、一番いい服を用意するなら、自分はそれを完璧に着こなすだけだ。送られてくる質問に答えつつも、内心ではいつも同じことを呟いている。

(お前の衣装なら、何だって俺は着るさ)

 ――まあ、それはそれで一つの本心なのだけれど。

「……多くね?」

 ファイルを解凍し、パソコンの画面で流し見しながら和樹は思わず声を出す。数十ページにわたるPDFは、数パターンの衣装とそれぞれに合わせる小物、それぞれの衣装のコンセプトや撮りたい写真についてなど、細々としたことが書き込まれていた。

「ばっかじゃねーの、あいつ……」

 デザイナーという職にある隆太にとって、この時期は来夏の服について動き出す、それなりに忙しい時期であることを、和樹はなんとなくわかっている。去年までの様子を見ているから。だというのに、仕事をちゃんとやっているのか怪しいくらいの熱がこもった資料だった。

 ばかじゃん、と口にしながら、しかし、口もとが緩むのを抑えられない。耳が熱っぽくなっているのに気付かないふりもできない。

 忙殺されかかっているくせして、隆太はこれだけの資料を、自分のためだけに作ったのだ。彼にとっていっとう美しい身体を持つ、和樹のためだけに。

 ばかだ、と思う。思うけれど、それはそう思わなければ心臓が暴れだして体ごと転がってしまいそうだからだ。好きな男が自分のことで頭をいっぱいにしている、というのにときめかないわけがない。この資料を作っている時、この衣装を描いている時、隆太は和樹のことだけを見ていたに違いない。

それがたまらなく、うれしい。


         ☆


『それではお手元の資料をご覧ください』

「プレゼン?」

『お前にこの服を気に入ってもらわないといけないから、実質そう』

「気合い入ってんなあ……」

 翌日の夜、資料をパソコンの画面に映し出しながら、通話アプリの向こうの隆太の声を聞く。

 恋心を自覚してからというもの、相手への喋り方に気をつけている。決して近づきすぎないように、男同士の会話として違和感ない範囲の距離であるように。

 近すぎてはいけないけど、遠すぎてもいけないのだ。顔が近ければ「おい近ぇ、邪魔だ」と押し退け、真横にくっつかれたくらいなら「暑い」と文句こそ言えど放置する、時によっては軽く蹴っ飛ばす。

生来顔に似ず粗雑なものだから、嫌われたくないからと気を使い過ぎても隆太が初めに出会った頃の「なご」らしくない。今だって、普通の態度かどうか内心ひやひやしている。

 そんな和樹をよそに、隆太の声はだいぶ弾んでいた。

「色々出したんだけどさ、どう? これが気に入った、とかあるんだったらそれにするし、そうじゃなかったら一押しのをプレゼンしたい」

「えー……最初に言ったけどさ、今回はお前の好きなようにやってくれていいんだって。お前が俺に着せたい服を選べばいいじゃん」

「何言ってるんだよ。写真集は一つの作品だぞ。俺の衣装とお前の造形が合わさって、一番綺麗になるんだ。お前が気に入らないものを無理に着せたらお前の美しさは損なわれるんだぞ。だからちゃんと、お前が着たい衣装を選んで欲しいんだ」

「————」

 和樹は思わず手近にあったクッションを引き寄せて顔を埋めた。オンラインでよかった、と綿に歯を立てながら思う。もしかしたら、生物にはあまりに嬉しいことを聞いてしまったり愛おしく思う気持ちが溢れそうになったりした時に攻撃性が高まる、奇妙な本能があるんじゃないだろうか。

可愛い、というのとは別に、何だか愛としか言いようのない大きな感情が膨れ上がって、その辺の無機物にでも叩きつけていないと隆太に叩きつけてしまいそうだった。

「それで、えっと、一応何も説明しないで選べってのも酷だと思うから、解説な。資料三ページを開いてください」

「……俺は仕事相手か」

「仕事だったらこんな楽しくやってませーん」

 辛うじて絞り出した声はちゃんと何気ないふうを装えただろうか? いや、やっぱりちょっと、笑ってしまった気がする。これ以上ボロを出したらまずい、とクッションを投げて資料をスクロールする。隆太の説明を聞いているうちに落ち着かないと、と音を立てずに深呼吸をした。

 隆太が一つずつコンセプトやこだわり、着た時のイメージ、撮影場所の予定などを説明していく。それぞれ違った魅力を持ったドレスやワンピースだった。色味や形のバリエーションも豊かで、つくづく彼の豊かな発想力と表現力に舌を巻く。

「でも、全部女物ってのがなんていうか……そういうの好きだな、お前」

『せっかく綺麗な体をしているので、線がちらっと見えてドキッとするような異性装をイメージしました』

「女装ではなく?」

『異性装。女装って言うと、女性らしく装うことになるだろ。でも、今回はあくまでも男性が異性の装いをする、って方向性にしたんだ。だってキャラクターに寄せるんじゃなく、なごさんに一番似合う服を着せるわけだから。もちろん写真を撮るときはいつものなごさんってわけにはいかないから、一応コンセプトとかこの服からイメージしたキャラ設定とかはあるけど、服自体はお前に着せたら一番綺麗だろうなってデザインにしてある』

 言われてみれば、たしかに今回の衣装は胸を作る必要もなければ腰の形を誤魔化す必要もないデザインばかりだ。男である和樹に着せるためのドレス。

『仮にこの衣装を女性に着せるとなると、まあ、どこかバランスが悪く感じるはずなんだ。骨格が違うからな。だからこの服はあくまでも男物。どの案にするかによるけど、化粧もあんまりガーリーにすると浮いて見えると思うから、ちょっと工夫がいるかも』

「なるほどな」

『でも個人的には長髪のほうが好きだからウィッグはあると嬉しいかな』

「色は?」

『服次第』

「ですよねー」

 改めて資料に目を向ける。どのデザインもいいとは思う。着て楽しかろうし、自分の顔や体格にも合うだろう。けれども彼の考える、自分達の作る、一番の美という点でいうならば、どれがいいだろうか。

「ちょっと待って、考える」

『おう』

 色味、形、コンセプト、表現したいもの。自分の容姿、やってみたいこと、試したいテーマ。様々なことを念頭に置いて、いくつかのデザインを何度か見直し、考え込み。

「三番目のやつかなー……」

『あ、やっぱり?』

「うん」

 やっと選んだそれは、黒を基調としたドレスだった。

 丈は膝下十五センチほど。左右が非対称になったスレンダーライン風で、一見すると実にシンプルな形をしている。が、布やレースを幾重にも重ねられたスカート、首まで覆う襟の柔らかそうなレース、貞淑な雰囲気に反発するように袖は肌が透けて見えるシアー素材を用いる。短い手袋からわずかに覗く手首の色がようやく着用者の人間味を見せるようだ。

「今まで着たことないタイプの服だし、スカートの色味が面白そう。あと、コンセプトはこれが一番好き。この端っこの廃墟っぽい絵もいいな、この顔のイメージでメイクとかウィッグとか用意していけばいい感じ?」

「あー、任せるけど。なごさんぽい顔に描けなかったから、そこは自由にどうぞ」

「了解」

 衣装の三面図とは別に添えられた絵にはちゃんと撮影可能なモデルの場所があるらしい。準備のいいことだ。

『じゃ、これの方向性でいきます。こないだの寸法でやるから、仮縫いとか済んだらまた会おうぜ』

「了解。ところで、どこで撮るかは決まってるみたいだけど、誰かカメラマンさん頼んだ?」

『あ』

 画面の向こうの声が途切れる。和樹は肩をすくめた。

「やっぱり?」

『うん……』

 そんなことだろうとは思っていた。そもそも隆太にカメラマンの知り合いは少ない。ここ数年はコスプレをしていないということと、もとから着るだけで満足するタイプの男なので。

「ま、そんなこともあろうかと友達に連絡してあります」

『神か⁉︎』

「お前が問題なければお願いしちゃうけどいい? ミツルギさんって子」

『頼む!』

「了解」

『よかったー!』

 あんまり大げさに喜ぶから、和樹もついつられて笑ってしまう。

『っていうかミツルギさんってあれだろ。こないだのイベントの時も撮ってくれてた人』

「そう。綺麗に撮ってくれるし、よく話してくれる。あと、推しが割と被る」

『最高じゃん。そういう人に撮ってもらえるの、すっげーありがたいな!』

 ミツルギは和樹より五つほど年下の女性だ。元コスプレイヤーで今はアマチュアカメラマンとして活動している。背が高くすらっとしているから、コスプレをやめてしまったのは少しもったいない、と思っているが、本人は撮る方が楽しいから、と笑っている陽気な子だった。

 和樹が彼女と知り合ったのは、以前やっていた運動部の育成シミュレーションゲームのイベントでのことだ。今は、同じアイドル育成ゲームをやっている。

 和樹にとって彼女は良き友人だけれど、隆太にとっても同じ立ち位置になってくれるだろうか。

ふと、そんな疑念がよぎる。自分へ向ける感情こそ偏向的だけれど、客観的に見れば隆太は格好いい男の部類に入る。ミツルギが彼に恋してしまう可能性も、なくはないはずだ。

 もともと、大半が女性のコスプレ業界の中で、爪弾きにされないよう、男性コスプレイヤーはかなり気を遣う。つまり、距離を詰めすぎるような下手を打たず、ごく紳士的な態度を取る男がほとんどだ。それで顔がいいともなれば、それは、惚れてもおかしくはない。実際自分は惚れてしまったわけだし。

 ……彼女が隆太に惚れてしまったら、と考えると、心臓をじかに握られたような気分になる。それから、泣き出したくなるような気分にも。

 ミツルギは綺麗だ。和樹ほどではないにせよ、隆太の好みの顔立ちだと思う。隆太が彼女に惚れないだなんて保証はどこにもない。

 もしそうなったら当然、和樹に勝ち目はないだろう。和樹は女になれない。女として愛されたいなんて思ったこともないけれど。隆太の一番が自分ではなくなる可能性を考えると、悔しくて、悲しくて、どうしようもなく無力感に襲われる。いつかは潰える恋だとわかっていても、それでも、その瞬間に彼らの幸福を祈れるかどうか、自信がなくなってくる。

 例えば、ミツルギみたいに綺麗な顔立ちをした女ではなく、もう少し可愛らしい、不細工ではないにせよ美人ではないような女を隆太が選んだのなら、まだいいと思う。だって、それは自分の満たせない領域だ。その子の愛くるしさ、守ってあげたくなるようなところを好きになったのだろうと思えるから。

 けれども、ただ綺麗というだけなら、きっと和樹は妬んでしまう。羨んでしまう。僻んでしまう。

 俺がお前にとって一番綺麗だろう、と。お前にとっての一番美しいものは俺のはずだろう、と。

 そんなみっともない姿を晒すくらいなら死んだほうがマシだ。

『楽しみだな!』

「――そうだな」

 ひとり沈み始めた和樹をよそに、隆太は声を弾ませている。沈んだ声を聞かせるわけにはいかないから、明るい声を作ろうとして、……作りきれる気がしなかったからいつも通りのゆるい声を意識する。それに気付いたのか気付いていないのか、隆太の声は踊り出しそうに上機嫌だ。

『俺もな、この服が一番いいと思ったんだ。華やかなのはもちろん似合うだろうけど、お前には引き算の美が合う。一見シンプルに、でも面白い細工はあちこちに凝らしてあるようなのが、一番いい。お前はもともとの造形がいいから。色数も要素もどんどん引き抜いていって、ほんの少し味付けをして、その状態が一番美しいって言うのが本当の美だと思ってるんだけどさ、お前はそういう奴だから。そういう、美しさを持っている奴だから。これを着て、ちょっとだけ笑ったお前が一番綺麗だと思う。最高のお前を、綺麗に撮れるカメラマンさんに撮ってもらって、それを本に出来るなんて最高だろ』

(——ああ)

 ふいに、目の前の暗雲が吹き飛ばされたような気がした。

興奮気味に捲し立てる隆太の、何かを信じ切った声。

それは、友人という言葉では収まらない存在への信用だ。自分の信ずる美をともに追う、叶えてくれる存在への、経験に裏打ちされた、自信にも似た信頼だ。

 隆太は「和樹ならこの衣装に見合う完璧な容姿を完成させてくれる」と信じているし、多分、自惚れでなければ、「和樹の選んだ人だから」という理由でミツルギのことを信用している。それを信頼と呼ばずして何と言うだろう。

『いい写真集にしような』

 それは同意を求める声色ではない。当然だと信じ切っているから、自然と出たというふうの声。そんな色を出されたら拗ねてなんかいられやしなかった。和樹は思わず声を上げて笑う。

「ったり前だろ」

 大好きな男にそこまでの信頼を寄せられて、些事にかまけていられるほど甲斐性なしではない。

「お前が俺のために作る服だ。誰よりも綺麗に着てやるさ」

 不安など最早、抱く余地もない。

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