じゃあ私の分をあげようか?
それは昼休みに突然起こった。
染井さんと一緒に昼食をとるという約束の為、上級生の校舎をウロウロしていたところ、背後から誰かに呼び止められた。
「おいコラお前。ちょっと付き合えよ」
この台詞を聞いて愛の告白と勘違いする者はほとんどいないだろう。
どちらかというとカツアゲとか喧嘩を売られる時によく聞く言葉だ。
後ろを振り返るなり、見覚えのある男子生徒にいきなり肩を掴まれた。
誰だこの無礼な男は。どこかで会った覚えてがあるが、それがどの場所なのかは思い出せない。
「あの、なにか御用でしょうか?」
「お前あの時、染井と一緒にいた奴だろ。こんなところでなにしてんだよ」
「あ」
コイツ染井さんにしつこく付きまとっていたあのストーカーか。
あれほど煙たがられていたのに、まだ諦めていなかったのか。
ここで染井さんに会いに来たと言ったら確実に面倒なことになるな。
「いや別になにもしてませんけど」
「嘘つけ。どうせ染井に会いに来たんだろ。ちょっとこっち来いよ」
やっぱり見破られたか。
そのまま強引に人気のない階段の踊り場に引っ張られる。
すぐにでもこの場から逃げ出したいけれど、テニス部のこいつと鬼ごっこしても勝てる気がしない。
「いいか、一度しか言わねえからよく聞いとけ。もう染井には近づくな。お前みたいな奴がウロチョロしてると目障りなんだよ」
「はあ?」
コイツどの口が言うんだ。
染井さんに拒絶されたのは自分だろうに。それを棚に上げて他人のやることにごちゃごちゃ口出しする資格なんてない。
「部活でしょっちゅう顔を合わせるのにどうやって近づかないようにするんですか?」
「やめりゃあいいじゃねえか。それとも痛い目に遭いてえか?」
なんという横暴な。これだから体育会系の人間は嫌いなのだ。
なんでも自分の思い通りにならないと気が済まない。
反論したい気持ちは山々だが、こんな奴に馬鹿正直に話しても無意味だし、殴られる危険性が高い。ここは相手の言いなりになるフリをして、後で教師に言いつけるほうが得策か。
「あーハイハイわかりました。もう近づきませんから見逃してください」
「絶対だぞ。もしちょっとでも近づいたらただじゃおかないからな」
「ええ、もちろん」
「はっ、わかればいいんだよ」
誰が言う通りにするかこの間抜け。
今は大人しく引き下がるフリをするが、最終的にただじゃおかないのはお前のほうだ。
「八神、どうしたの?」
その時、険しい表情をした染井さんが小走りでこちらに近づいて来た。
「よう染井、ちょうどよかったな。今お前の周りににまとわりつく虫を退治しているところだからよ」
「虫はアンタのほうでしょ。これ以上頭の悪いことする前にさっさと消えなさいよ」
染井さんは敵意を剥き出しにして語気を強める。
「オイオイ、なんのことだ? 俺はただお前の為を思ってやってるだけだぜ」
「勘違いも大概にしなさいよ。関係のない人まで巻き込んで、自分がなにをやってるかわかってんの?」
これは予想外の展開だ。
せっかく何事もなく切り抜けられそうな雰囲気だったのに、染井さんの登場により、事態が急変した。
これ以上面倒なことになるのだけはなんとしても避けたい。
男と染井さんが口論を繰り広げていると、突然なにかに気づいたかのように、男が染井さんの手元に目を留めた。
その手に持っているのは小さな弁当箱が二つ。
まずい。この流れはよくない。
「なんで弁当を二つ持っているんだ?」
すると男は俺と染井さんを交互に見て、ハッとしたように目を見開いた。
「……それ、この男に食わせる為に染井が作ったのか?」
俺も染井さんもなにも言わなかった。その沈黙が肯定と受け止められたようだ。
次の瞬間、男は「てめえコラこの野郎!」と言って俺の胸倉を掴み、物凄い剣幕で怒鳴り散らした。
「やっぱりお前ら付き合ってたんだな! 俺がなにしに来た、って聞いた時お前なんて言った? 「なにもしてません」だと。この俺をコケにしやがって!」
「ちょっとやめなさいよ!」
すかさず染井さんが止めにはいるが、男は「うるせえ!」と乱暴に突き飛ばした。
染井さんは「きゃっ!」と悲鳴をあげて勢い良く床に倒れ込む。その拍子に持っていた弁当箱を取り落とし、さらに運悪く蓋が開いて中身がこぼれ落ちてしまう。
「あ、オイこらいい加減にしろよ!」
さすがに今の蛮行は見逃せない。
俺は咄嗟に男の肩を掴み、グイっと力強く引き寄せる。
インドア派の俺がこんな荒っぽい行動に出るとは自分でも驚きだ。
体育会系相手に喧嘩になれば一方的にサンドバックにされるのは目に見えている。相手は俺が怪我しようが骨折しようがお構いなしに殴ってくるに違いない。
それでもこのような狼藉を黙って見過ごすことは出来ない。
殴られると思って身構えていたが、男は舌打ちだけすると、そそくさと立ち去って行った。
なんだか拍子抜けした。
あれほど執着心を見せていた割には、引き際はずいぶんあっさりとしている。
まあいいや。男の姿が見えなくなるのを確認すると、俺は倒れている染井さんの様子を見ようと歩み寄った。
「大丈夫ですか染井さん?」
染井さんは、しかし俯いたまま返事をしない。
心配になって顔を覗き込んだ瞬間、思わずギョッとした。
泣いていたのだ。
あの、どんな時でも無表情を崩さない染井さんが両目から涙を流して泣いていた。
「ど、どうしました? どこか怪我したんですか?」
「……違う」
蚊の鳴くような小声で首を横に振る。
「それじゃあどうして泣いてるんですか?」
「お弁当、八神に……食べて欲しかったのに……」
「あ」
それだけ言うと堪えきれずに嗚咽を漏らし始めた。
染井さんの視線の先には変わり果てたお弁当の姿が。
「そ、そんなに思いつめないでくださいよ。弁当ならまた作ればいいじゃないですか」
「でも……一生懸命作ったから」
うん?
なんかちょっと気になる言い方をしたな。
さっきは弁当のおかずを作り過ぎたから、残飯処理して欲しいって言ってたのに、今の口振りだとまるで俺の為に作ったみたいな言い方じゃないか。
「それよりも染井さんが無事だったことのほうが大事ですよ。怪我なんかしたら元も子もないですからね。それによく見てくださいよ。駄目になったのはおかず一つだけで、他はなんとかなりそうじゃないですか」
その言葉通り、床にこぼれたおかずはきゅうりとワカメの酢の物だけ。
おまけにもう一つの弁当箱は蓋が少し空いているだけで、中身は飛び出してはいなかった。
「そ、そうかな……」
「そうですよ。まあ酢の物は残念でしたけど、他にも美味そうなのいっぱいあるし」
俺は慎重に地面に触れてないおかずを弁当に戻していく。
しかしある意味これでよかったのかもしれない。
正直、俺は子供の頃から酢の物が大嫌いだった。
特にこのきゅうりとワカメの組み合わせが、もう食べ物としては見れないレベルで受け付けないのだ。
まさか染井さんが弁当に入れてくるとは思ってもみなかった。
染井さんのまえでは口が裂けても言えないが、あのテニス部男にほんの少し感謝したいくらいだ。
突き飛ばしたのはいただけないが。
「ほら、チャイムが鳴る前に校庭のベンチにでも行って一緒に食べましょう」
そう言って弁当を拾い終えた俺は、倒れたままの染井さんに手を差し伸べる。
「うん。ありがとう、八神……」
服の袖で涙を拭いながら、染井さんは俺の手を掴む。
「いやーそれにしても酢の物食べたかったなー。でも床に落ちたんじゃ仕方ないですよねー」
「そんなに食べたかったの?」
「もちろんですよ。せっかく染井さんが作ってくれたんですから。それに俺、酢の物が結構好きなんで」
染井さんに悟られないように、いかにも残念そうな演技をする。
ところがその直後、予想だにしない展開が発生した。
「じゃあ私の分をあげようか?」
「え」
一瞬、耳を疑った。
「私、酢の物が好物だから、八神の分よりも多めに入れてあるんだ」
「そ、そうなんですか……」
聞きたくなかった事実。
染井さんは「ほら」と言って、弁当の蓋をパカッと開け、おかずの半分以上を占める酢の物の山を見せた。
「おえ……」
「おえ? 今『おえ……』って言った?」
「いやいやいやいや、ちちちち違いますよ! 『
「ふぅん……」
結局、当初の量よりも多くの酢の物を食べる羽目になった。
まさか高校生にもなって、あの幼い頃の苦い記憶がまた蘇るとは。
俺は染井さんを悲しませたくない一心で無我夢中で食べた。
途中で何度も吐きそうになり、バレないように取り繕うのに必死だった。
クソ、あのテニス部男め。余計なことしやがって。
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