言ってるそばから来たよ!

「はあ……今日は占いで女難の相でも出てたのかなあ?」


 学校が終わり、帰宅途中の道端で、俺は今日の出来事を思い返して溜息を吐いた。

 今日は初っ端から散々な日だった。

 朝、起きようとしたら姉が寝ぼけて俺のベッドに入り込んできて、いきなり抱きつかれたので、家を出るのが遅くなったし、昼間は偶然にも和美と鉢合わせして物凄い気まずい空気になった。

 さらに放課後はテニス部にインタビューをして、染井さんに結果を報告しなければならなかった。

 その報告が予想以上に長引いて、終わる頃には夕暮れ時になっていた。

 もうクタクタだ。今日は家に帰ってゆっくり休みたい。

 ただ一つ救いなのは、に出会わなかったことだけだ。


「せんぱーい、今帰りですか?」

「って言ってるそばから来たよ!」


 噂をすれば姿を現したのは、毎度おなじみ椎名凛音。こいつは妖怪かなにかかな?


「なんの話してるんですか?」

「いや、なんでもない。こっちの話」


 背後を振り返ると椎名が首を傾げていた。


「っていうかお前もこれから帰るところかよ。今日は部活なかったのに、こんな遅くまでなにやってたんだ」

「そんなに私のこと気になるんですかぁ?」

「別に答えたくないんならいいんだよ。じゃあな」

「あーん、そんな冷たくしないでくださいよー」


 俺が足早に立ち去ろうとすると、慌てて追いかけてくる椎名。

 なんだか子犬みたいだな、と思ったのは内緒である。


「そうだ。せっかくだしこの後ちょっと付き合ってくれません?」

「ん、どこに行くつもりなんだ?」

「それはついてからのお楽しみ」

「なんだそりゃ。そんなんでノコノコついて行くと思うのか」


 なにか勘違いしているのかもしれないが、俺達は恋人でもなんでもない。毎回毎回こいつに付き合う必要はないのだ。

 それに今日は家でのんびり過ごしたい気分だ。


「悪いな、今日はそんな気分じゃないんだ」


 そう吐き捨てて帰ろうとした時、姉からLINEメッセージが届いた。


『お腹すいた。ゆうちゃん早く帰って来てぇ~』


 げ。

 最近椎名が家に来る機会が減っているからか、ここ数日、家に帰ると必ず空腹の姉が待ち構えていて、料理を作らされている。

 家に帰ってまでそんな重労働させられるくらいなら、椎名の用事に付き合うほうがマシではないか。

 両者を天秤にかけて、どちらが負担が少ないか考えた末、俺は次のような結論を出した。


「や、やっぱり行ってあげてもいいかな」

「本当ですか? やだもー先輩ってば素直じゃないんだからぁ。なんだかんだで私と一緒にいたいんですねえ?」

「そんなんじゃねえよ」


 なぜか「えへへ♪」と照れる椎名。


「照れなくていいんですよー。私も先輩と一緒にいたいんですから」

「そうか、俺はもうちょっと距離を置いたほうがいいと思うがな」


 だってこいつは気がつくとしょっちゅう後ろにくっついているのだから。

 一体どこまで俺に付きまとうつもりなのやら。

 掃除とか買い物とか食事とか。

 風呂とか……っていかんいかん、なにを考えてるんだ俺は。


「先輩、もしかして今、私と一緒にお風呂入ってるとこ想像しませんでしたか?」

「えっ!? や、やだなあそんなワケないじゃないスか!」


 なぜバレたんだ。顔に出てたのか?


「まあとにかく、早く行きましょう!」


 そう言って平然と俺の腕を掴んで引っ張っていく。


「だからくっつくなって言ってるだろ」

「まーいいからいいからっ」


 最近、椎名のことがよくわからなくなってきた。

 これほどスキンシップをとってくるのは、俺のことが好きだからなのか。

 あるいは前に姉が言っていた好きだけど付き合いたいほどではない、ってやつなのか。

 だとしたら男はそういうことをされると勘違いしてしまうからやめて欲しい。

 本人に直接訊けたらいいのだけれど、

 気のせいか、しばらく歩くうちに段々とカップルの姿がやたら目につくようになった。

 そういえばこの公園は近所では有名なデートスポットだったことを思い出す。

 まずい、腕なんか組んでいたら俺達も同類だと思われる。


「おい椎名。そろそろ手を放せよ」

「えーなんでですか?」

「なんでって、周りを見ればわかるだろ」

「いいじゃないですか。私達の熱々な姿を見せつけてやりましょうよ」

「変なこと言うなよ!」


 やはり同行したのは間違いだったかもしれない。

 椎名は明らかに俺の反応を楽しんでいる。わざと腕を絡めたり、そこでキスをすれば二人は永遠に結ばれるという木の下を通り過ぎたり、からかっているとしか思えないような行動をとっている。

 やっぱり俺のことが好きなわけではないのか。

 公園の広場を歩いていると、すれ違う人々が時折こちらをチラチラ見てくるのに気づいた。


「なあ、あの子めっちゃ可愛くね?」

「ああ、芸能人の○○○○に似てるよな」

「確かに、でもぶっちゃけ○○○○より可愛い気がするんだけど、どう思う?」

「それ俺も思った」


 “あの子”というのが椎名のことを指すのは考えるまでもない。

 椎名ほどの美少女はそう:いない。

 こんな子と腕を組めるなんて役得以外の何物でもないのだが、本人の中身を知ってしまうとそれほどありがたみも感じなくなる。


「しかしあの子と腕を組んでるのって、まさか彼氏じゃないよな?」

「けど兄弟にも見えないが」

「もし彼氏だとすれば相当、男の趣味悪いことになるな。ひょっとして俺にもチャンスがあるんじゃないか」


 これは明らかに俺のことだよな。

 別に容姿が優れているとは思ったことはないが、他人にここまで言われると少々げんなりする。

 その時、ふと椎名のほうを見ると、鬼の形相でヒソヒソ話している男達のほうを睨んでいた。


「なんなのあの人達……。先輩のこと知りもしないで好き勝手言って。あんな人達は一生彼女が出来ないほうが世の中の為なんですよ! 先輩は気にしなくていいですからね」

「お、おう……どちらかというとお前のほうが気にしてないか」


 なぜか俺以上に腹を立てていた。

 俺の為に怒ってくれるのは嬉しいのだが、少々熱くなり過ぎてさすがに軽く引く。


「どうせならあの人達の目の前でイチャイチャして思う存分、悔しがらせてやりましょうか」

「なんでそんなことせにゃならんのだ!」

「だって私達の愛が疑われているんですよ。ここで本物だと証明しなきゃどうするんですか」

「元々愛なんて存在しないからどうもしません」

「そんなこと言わずにさあ行きましょう!」

「ちょ、おいこら引っ張るなって」


 俺が拒否しているにもかかわらず、強引に男達のほうへ連れて行こうとする椎名。

 自分が貶されたわけでもないのに、なにをそんなにムキになっているのか。

 と、そう思ったその直後――


「あ!」


 腕を引っ張るのに夢中になっていた椎名は、後ろの段差に気づかなかったようで、足を取られてその場に倒れ込んでしまった。

 しかもかなりの勢いで。


「痛ぁい……」

「おい大丈夫か? よそ見してるからそうなるんだぞ」


 不注意を指摘しつつ、そっと手を差し伸べる。

 見たところ怪我をしているようだ。これって思ったより良くない状況かも。


「うぅ……ごめんなさい。なんか足捻っちゃったみたいです……」

「一人で歩けるか?」

「あーどうでしょう、実際に試してみないと……痛っつ! やっぱ無理そうです……」


 椎名は俺が差し出した手を掴んでなんとか立ち上がろうとするも、苦痛に顔を歪めてこちらに寄りかかってくる。

 周囲の通行人もこの異常事態に気づいたようで、チラチラ視線を向ける。


「おいおい、やばいんじゃないのか。そんなんでちゃんと家まで帰れるのか?」

「ええ多分。匍匐前進して全身傷だらけになれば帰れるでしょうね」

「冗談を言う余裕はあるみたいだな……」


 不謹慎だけど椎名が匍匐する姿を想像すると笑いそうになる。


「すいませんですけど先輩、ちょっと手を貸してくれませんか?」

「はあ……しゃあねえなあ。今回だけだぞ」


 この状況では仕方あるまい。

 やはり椎名について来たのは失敗だったようだ。


「なあお前の家ってどこにあるんだ? 俺行ったことないからわかんないんだけど」

「えっと……そこの出口を行ったところにある道を真っ直ぐです」


 椎名はさっきよりもしっかりと俺の腕にしがみついて指を差す。この体制は物凄く歩き辛い。

 なんか柔らかいものが当たっている気がするが多分錯覚だろう。

 そのまま椎名の示す方向に歩き続けてしばらくすると、なんだかいかがわしい気配がする建物が立ち並ぶ場所に辿り着いた。

 ここってラブホテル街だよな。

 まさか椎名が俺を騙してここへ来るように仕向けたのか。

 などと警戒していたが、結局どのホテルにも入らずにただ通り過ぎるだけだったので、俺は胸を撫で下ろした。

 一体どこまで行くのだろう。

 さらに五分ほど歩き、大きな交差点を左に折れると、バーとかスナックとか、いわゆる夜の店と呼ばれる建物が多く散見される通りに入った。

 そして小さなコインランドリーを通り過ぎたところで、ふいに椎名が立ち止まった。


「あ、ここです」


 椎名が指を差す方向にはこじんまりとしたスナックバーがあった。

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