絶対あの人先輩に気がありますよ

 あれから紆余曲折あって無事、家に帰還することが出来た。

 といっても休日はずっとベッドで寝たきりで過ごす羽目になったから、無事と言えるかは微妙だが。

 一晩休むと熱はすっかり下がってだいぶ気分もよくなってきた。

 椎名はというと、自宅にも帰らずに付きっきりで俺を看病してくれた。

 当初俺は反対したにもかかわらず、頑なに聞き入れなかった。

 余程責任を感じたのだろう。俺が倒れたのは自分のせいなのだ、と。

 炊事から洗濯まで、身の回りの世話はほとんど彼女がやってくれた。

 さすがに下着は外からの見えない洗濯網を使用したが。


「先輩お粥が出来ましたよ」


 自室でスマホを弄りながらくつろいでいると、椎名が小鍋を乗せたお盆を持って入ってきた。


「おお、サンキュー」


 蓋を開けるとぶわっと湯気が立ち込めて、美味しそうな卵粥の匂いが鼻腔を直撃した。

 ちゃんと調味料で味付けされていて、しかもご丁寧にネギまで添えてある。

 プロの仕事だな。


「でももう風邪もすっかり治ったんだし、お前もそろそろ帰ったほうがいいんじゃないか」

「なに水臭いこと言ってるんですか。先輩が完全に元気になるまで責任もって看病しますよ。こうなった原因は私にあるんだし」


 椎名は俺をWデートに誘ったことを相当後悔しているようだ。

 もう昨日からかれこれ二十回以上は謝り続けている。

 何度も許すと言っているのだが、それでも気が済まないらしい。


「本当にごめんなさい。私のせいでこんなことになって」


 そしてまた心底申し訳なさそうに深々と頭を下げる。


「別に椎名のせいじゃないよ」

「でも私がWデートに誘わなかったらこんなことにはならなかったのに……」

「それでも全部がお前のせいってワケじゃないだろ。まあ確かに99,9パーセントくらいはお前が原因だけど」

「……それって遠回しに全部私が原因だって言ってますよね?」

「仕方ないじゃん。本当のことなんだから」


 実際、俺が倒れた時の椎名の狼狽振りは本当に凄まじかった。

 例えるなら自動車で誤って人を轢いてしまった運転手のような感じ。

 いや違うな。

 あれはもっと親しい人を心配する時のリアクションに近い。

 そう、例えば家族や友人、あるいは――恋人。

 目に涙を溜めて悲痛な表情で叫ぶ姿は、まさにそんな感じだった。

 椎名が泣くのを見たのは、上級生にいじめられていた時以来だ。

 普段から気の強い性格だから、自分の弱い部分を見せないようにしている。

 まあ噓泣きは割としょっちゅうやっているみたいだが。


「さあさあ、食べ終わったら身体の汗拭きますから脱いでください」

「わ、コラ引っ張るな!」


 椎名がいきなり服の裾を捲り上げようとしたので、必死に抵抗する。

 昨日もしつこく脱がせようとするのを、なんとか阻止してきたのだ。さすがにそこまでされるわけにはいかない。

 お嫁にいけない身体になっちゃう……というのは冗談だが。


「しかし残念だったな。せっかく新しい服まで買ったのに、女友達に偽の彼氏だってバレちまって」


 椎名が「先輩」を連呼しまくったせいで、女友達に怪しまれて結局全てを白状する羽目になったのだ。

 女友達は当然ながら馬鹿にしてきた。

 俺があのような状態だった為、やや控え目ではあったが、かなりウザかった。


「ああ、それなら大丈夫。あれから気になって調べたんですが、実は早苗のほうも偽の彼氏を雇ってたらしいんです」

「え、そうなのか」

「ええ、お金がないからって彼氏にクレジットカード出させようとしてたでしょ? あれも事前に打ち合せて一芝居打ってたみたいです」

「マジかよ。まあ確かにやる気のない彼氏だったもんな」


 しかし偶然にも椎名と同じ発想に至るなんて、やはり類は友を呼ぶのか。

 昨日は終始険悪な雰囲気が漂っていたが、行動心理が似通っているところは仲が良いことを匂わせる。


「月曜になったら染井さんにもちゃんとお礼を言わないとな。ここまで運んでくれたんだし」

「ああ、またあの人ですか……」


 椎名があからさまに不機嫌な声で溜め息を吐く。


「またかよ。なんでお前は染井さんのことになるとそんな嫌な顔するんだ」

「別にぃ、嫌な顔なんてしてませんけどぉ」

「眉に皺寄せながら言っても全然説得力ないぞー」


 言葉とは裏腹に、表情は不満たらたらであることを隠そうともしない。


「なにがそんなに気に入らないんだ? そりゃあ染井さんは愛想のいいタイプじゃないけど、実際に話してみると案外いい人……いや、そんなに悪い人じゃないと思うぞ……多分」

「なんで段々と自信がなくなってるんですか?」


 だって確信が持てるほど染井さんのこと知らないもん。

 もう入部してかれこれ一年経つが、家族とか交友関係の話は一切聞いたことがない。

 好きな食べ物とか好きな色とかも知らない。

 俺が唯一知っていることと言えば、漫画や小説を読むのが趣味ということくらいだ。


「なあお前も一度でいいからあの人と腹を割って話してみろよ。きっとお互い打ち解けると思うから」

「ハッ、話し合いで解決するなら戦争は起きませんよ」

「んな大袈裟な。そんなこと言わずに、いがみ合うのはやめて三人でいいことしようぜ」

「………」

「い、いや今のは別に変な意味はないからな?」


 しまった。つい誤解を与えるような言い方をしてしまった。


「どうでもいいけど、絶対あの人先輩に気がありますよ」

「染井さんが俺に? まっさかあ。お前嘘をつくならもうちょっとマシな嘘を考えろよ。あの人が俺のこと好きとか、サンタさんが実在するって言われたほうがまだ信じられるぞ」


 なにを言い出すのかと思えば、Xファイルのモルダー並みにとんでもない話だ。

 今でこそ多少が丸くなったが、入部当初の頃は話しかけても一切反応してくれなかった。

 最近になって素っ気ない会話をする程度には態度が軟化して、ようやく同じ部員仲間として認められたかな、といった感じなのだ。

 まあ確かにこの前は一緒に映画を見にいったが、あれはあくまで同じ趣味を持つ者同士の交流に過ぎない。

 それで一足飛びに俺のことを好きになるなど、とんだお笑い草だ。


「本当ですって。気があるんじゃなきゃわざわざ家まで送ったりしませんよ」

「ならわざわざ他人の家に入り浸って四六時中、看病してるお前はなんなんだよ」

「……まあそれは置いといて、問題はあの人ですよ!」


 今、明らかに話題を逸らしたな。

 なにかやましいことでもあるのかな。

 それにもし仮にその話が本当だったとして、なぜ椎名が気にするのだ。

 嫉妬か? いや、まさかな。


「いいですかあの人が先輩に」


「本当に好きだったら見舞いに来てもおかしくないだろ」


 ピンポーン。


 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。俺と椎名は互いに顔を見合わせる。

 そんな馬鹿な。あまりにもタイミングが良すぎる。

 俺は恐る恐るインターホンのモニターを覗き込んだ。


「……はい」

「あ、ゆうちゃんただいまー。カギ忘れちゃったから開けてくれなーい?」


 モニター越しに姉の能天気な顔が見えて、俺はホッと肩を撫でおろした

 そういえば朝、姉が出かけた時は俺が鍵をかけたんだ。


「まったく、出かける前にちゃんと確認しなかったのかよ」


 ドアを開けた俺は、両手いっぱいに買い物袋を持つ姉を、呆れ顔で出迎えた。


「ごめんなさい。8時に限定販売されるチョコチーズケーキを買うことしか頭になくて。あ、心配しないで。ちゃんとゆうちゃん達の分も買ってきたから」


 休日なのに姉が朝早く家を飛び出して行ったのは、そういう訳があったのか。


「姉さんって食い物以外のことを考える時ってあるの?」

「失礼ね。ちゃんとあるわよ。食べ物のことを考える時以外は」

「……なんか屁理屈っぽく聞こえるな」


 姉は美味しいものには目がない性格だ。

 夢中になり過ぎて、時々暴走しがちになるほどだ。


「あ、そうそう」


 と、姉がなにか思い出したように立ち止まると、振り返って俺にこう言った。


「実はさっき家の前でゆうちゃんの友達だっていう女の子と会ったんだけどね。お見舞いだって言ってこれを渡してくれたよ」


 姉から手渡されたのはビタミンがたっぷり入ったフルーツゼリーの詰め合わせセット。

 よく親しい知人にギフトであげたりするやつだ。


「あの……その女の子ってどんな見た目だった?」

「んーとね。髪が短くて可愛らしい子だったよ。でも凄く無口で私が『あがってく?』って言ったらそれ渡してすぐ帰っちゃった」


 俺は染井さんの顔を思い浮かべた。

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