どうしてここに?
「あれ、やっだぁお金が足りないじゃなーい!」
ようやく俺達の番になると、急に女友達が財布の中に指を突っ込みながらわざとらしく喚き始めた。
「じゃあ俺のカード使えば?」
女友達の彼氏は、そう言ってさも興味なさげにカードを取り出した。
「キャー本当? 慎二って高校生なのにクレジットカード持ってるのよねえ。それに比べて凛音ちゃんの自慢の彼はなにを持っているのかなー? まあどうせロクなもの持ってないでしょうけど。あーかわいそ、イェーイ!」
「……ぐっ」
珍しく椎名が心底悔しそうな顔で歯ぎしりをしている。
傍目から見ても凄まじい形相だ。般若という表現がしっくりくる。
まあ女友達がウザいのはこちらにもひしひしと伝わってくるから、無理もないだろう。
そう思っているとふいに椎名が俺のほうを向いてこう言った。
「ねえゆうくん、私の分も出してくれない?」
「え、やだよ。お前はちゃんと金持ってるだろ」
「お願いします先輩。後でちゃんと返しますからここは話を合わせて……」
女友達には聞こえないよう、耳に顔を近づけてこっそりと椎名が懇願する。
「一々張り合うなよ。そんなことで争ってなんの意味があるんだ」
「わかってないようですね。これは戦争なんですよ」
「そんなワケないだろ」
女友達がおかしいのはわかっていたが、今の椎名もだいぶ冷静さを欠いていた。
「オホホ、どうしたのかな凛音ちゃん。ケチな彼氏を持つと苦労するわねえ」
女友達が挑発的に言う。
「別にお金を持っているからそっちが上ってわけじゃないでしょ」
「はーい負け惜しみ終了ー。じゃあお先に失礼するわね」
勝ち誇った顔をして先にエレベーターホールに向かおうとする女友達だたが、直後にチケット売り場の店員さんがこう呼び止めた。
「お客様。大変申し訳ございませんがこのカードは有効期限が切れております」
「あ、いけね。間違えて期限切れのヤツ持って来ちゃったか」
「……え」
女友達が金縛りに遭ったかのように固まった。
「じゃ、じゃあ普通の現金でいいわ?」
「あー俺、現金は持ち歩かない主義なんだよ」
瞬間、椎名は形勢逆転したと見てとるや、ニヤリと笑みを浮かべた。
「あれれー、どうしたのかな早苗? もしかしてあれだけ大口叩いといてお金がなくてチケット買えませーんとか言わないよねえ? え、うっそありえなーい! まさか本当にお金がないの? だっさ……」
まるで今までやられた分をそっくりそのまま返すかのように、これ以上ないってくらい煽りまくっている。
それにどことなく女友達の口調を真似ているような気配があり、それがより一層相手の感情を逆撫でする。
よほど鬱憤が溜まっていたのだろう、実に爽やかな表情だ。
逆に今度は女友達が悔しがる番だった。
「ぐぐぐ……調子に乗ってんじゃないわよ。たまたま私達がお金を忘れただけでいい気になって!」
女友達はピクピクと顔を引きつらせ、ヒステリックに喚き立てる。
「はーい負け惜しみ終了ー」
しかし椎名は意に介さず、先ほどの女友達の言葉を真似てさらに挑発を繰り返す。
「そんなこと言っていいのかな。このままだと二人はここで置いてけぼりになっちゃうよ。まあ早苗ちゃんがどうしてもって言うなら恵んであげてもいいかな。土下座して頼めば、だけどね」
「なんですってぇ!?」
もう言いたい放題である。
染井さんの時もそうだったが、椎名はこと勝負事になると必要以上に対抗心を燃やす傾向にある。
特に相手が同じ女子の場合はさらにそれが顕著になる。
椎名が同性から嫌われる原因も、この性格にあると思う。
要するに負けず嫌いなのだろう。
そういう意味ではこの女友達が唯一の友人というのは奇跡に近いことなのかもしれない。
類は友を呼ぶというか、似た者同士だから惹かれ合うものがあったのだろう。
結局、俺達が女友達カップルの分を肩代わりすることになった。
もちろん後でちゃんと返してもらうという約束で。
幸い好天に恵まれたことで、展望台では街の景色を隅から隅まで一望することが出来た。
街はまるで特撮のミニチュアのようにちっぽけに見える。こういう景色を見ると、ゴ○ラが出て来るのを想像するのはなぜだろう。
「うわ凄い。ここからバンジージャンプしたらさぞかし爽快だろうな」
ふと下を見ると、あまりの高さに思わずめまいがした。
俺の家はどの辺りだろうか。
「お、見てくださいよ先輩。あそこのマンションでブラジャー着けたオジサンが踊ってますよ」
椎名が双眼鏡を覗き込みながら嬉々とした声を発する。
「……お前なあ。せっかくいい景色を眺めに来たのに、まず最初にやることが覗きかよ」
女友達カップルが反対側の双眼鏡を使用しているので、今は普段の口調で会話が出来る。
「すみません。あんまりキレのあるダンスだったので……先輩も見ます?」
「見たくもねえよ気持ち悪い」
「そんなこと言うもんじゃないですよ。もしかしたらトランスジェンダーで、そういう格好をしているだけかもしれないじゃないですか」
「そうなのか?」
「……いや、あの様子を見るとただ興奮しているだけですね」
「じゃあ見るなよ」
それにしても高いところから眺める街の景色はいつ見ても壮観だ。
俺は別に高所恐怖症でもないのだが、こうしてぼんやりと下を見ていると時折めまいがする。それにさっきから膝の震えが止まらない。
「先輩、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いみたいですけど」
「……え」
椎名に言われて初めて気づいた。これは高いところにいるからではない。
この症状は俺の身体からくるものだ。そう思って全身に意識を集中してみると、服が冷や汗でびっしょり濡れている。
どうやら風邪がさらに悪化したらしい。
「ああ、ちょっと気分が悪いみたいだ。どこかその辺に休憩出来る場所はないかな……」
「じゃあ下に降りましょう」
そう言うと椎名は、俺の身体に腕を回して歩行を手伝ってくれた。
正直、もう一人で歩くのも辛い状況だった。
「なにしてるの?」
その時、どこからともなく聞き覚えのある声がした。
確認するまでもなく、声の主が誰なのかわかった。
見ると右前方、数メートルのところに、学校の部室でよく見かける顔があった。
「……染井さん。どうしてここに?」
「暇だったから、街の景色を見に寄ったの。で、そっちはなにしてるの?」
まずい、この体勢だと抱き合っているように見えなくもない。
「アナタには関係ないでしょ。急いでるんでほっといてください」
相変わらず棘のある言い方で、椎名があしらおうとする。
当然そんなことを言われて黙っている染井さんではなく――
「目上の人に対してきちんとした言葉遣いが出来ないみたいね」
「あーら、お気に召さなかったですか? ならこれはどうです。『今は大変お忙しいのであなたに構っている暇はありませんのですの。ごめんあそばせー』」
「おい、やめろって。こんなとこで言い争ってる場合じゃ――」
間に入って止めようとした途端、突然フッと意識が暗転した。
気がつくと俺は床に倒れていた。
「……先輩?」
椎名の問いかけに、俺はしかし答えることが出来なかった。
意識が朦朧として声が出せないのだ。
それに身体が重く、金縛りに遭ったように動けない。
「先輩……先輩ッ!? どうしたんですか先輩!?」
椎名の悲鳴に近い叫び声が耳元でこだまする。
その近くで染井さんも「八神……?」と心配そうに呟いているのが聞こえた。
異変を感じ取ったのか、次第に周囲のざわめきが大きくなり始めた。その中に女友達カップルの「なになにー?」という声も混じっている。
身体を激しく揺さぶられる感覚がするが、俺の意識は少しずつ遠のいていく――
「先輩、先輩! しっかりしててください先輩!」
「……なんだよ」
「ゔぇえ!?」
いきなり俺が起き上がったのを見て、驚いた椎名がこれまでに聞いたことがないような奇声を発した。
「あ、あれ? 気絶したんじゃ……」
「したよ。あれだけ身体を揺すられたら起きるに決まってんだろ」
少しでも物音がすると眠りから覚めてしまう人がいるが、俺がまさにそんなタイプの人間だった。
目の前には椎名の泣きそうな顔が。
染井さんも神妙な面持ちでこちらを見守っている。
「体調は大丈夫なんですか?」
「いや、マジで今にも死にそうなくらい辛い。早く家に帰りたいから手を貸してくれ」
「わ、わかりました……」
椎名は戸惑いながらも起き上がるのを手伝ってくれた。
そうして染井さんの手も借りてなんとか命辛々、帰宅することが出来た。
誇張だと思われるかもしれないが、倒れた時は本当に死ぬんじゃないかと思ったほどだ。
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