途中までは格好良かったのに……

 部室はいい。教室とは違って静かで人も少ないし。同じ趣味を持つ者同士のほうが心が落ち着く。

 もっとも人が少ないのは廃部の危機に直面しているからで、本来なら落ち着いていられる状況ではないのだが。

 その後も継続的に部員の勧誘を続けていたが、ある日一人の生徒が入部したいと申し出てきた。

 これは朗報だ。例え一人でも部活の存続に一歩近づけるかもしれない。

 ところがその生徒というのが――


「で、なんでこの子がここいるワケ?」


 染井さんが仏頂面で目の前にいる新入部員を指差して言う。


「なーに言ってるんですか。せっかく私が新聞部の再建を手伝ってあげるって言ってるのに、そんなに邪険にしていいんですか?」


 そう、その新入部員とは椎名のことである。

 数日前は打ち解けたかのように思えた二人だったが、今日、入部届を出した時にはあからさまに敵意を剥き出しにした様子で睨み合っていた。

 仲良くなったと思ったらこの有様である。

 一体どうなってるの。


「私はまだ入部を認めるとは言ってないけど」

「あれれー、断る余裕なんてあるんですかぁ? 噂によるとこの部は廃部寸前だって聞いたんですけどぉ」

「……誰がそんなこと言ったの?」


 椎名は無言で俺のほうを指差す。それを見た染井さんは椎名に向けていた矛先を俺のほうに転換した。

 いやだって椎名に染井さんのことや新聞部のことを根掘り葉掘り訊かれたら答えないわけにはいかないでしょうよ。

 だからそんな眼で睨むのはやめて。


「まあまあ染井さん、いいじゃないですか。せっかくの申し出ですし。部員が増えて悪ことなんてないでしょ?」

「それは人によるけどね」


 染井さんがなにか含みのある言い方をする。やはりまだ椎名を迎え入れることに躊躇いがあるご様子。

 しかし追い返す気まではなさそうだ。

 そんなこんなでなし崩し的に椎名の入部が決まった。


「八神、お茶淹れてくれない?」


 話がひと段落ついた頃、染井さんがそのようなことを言い出した。


「ああ、いいですよ」


 先ほど激しく口論したから、きっと気を落ち着けたいのだろう。

 俺は素直に承諾して、部室に備え付けてあるティファールから紅茶を淹れて染井さんに渡す。


「はい、どうぞ」

「ありがと」

「八神先輩、先輩は紅茶飲まないんですか?」


 染井さんが紅茶を一口すすった直後に、椎名がそう訊ねてきた。


「え、あー……そうだな。考えてなかったけど、そう言われると飲みたくなってきたな」

「じゃあ今度は私が淹れてあげますね」


 なにを思ったのか、俺が自分で紅茶を淹れようとすると、先に椎名が淹れ始めた。


「おいなにしてんだ、自分でやるからいいよ」

「まあまあ遠慮しないで。私こういうのは得意なんです」


 その言葉通り、椎名はかなり手慣れた様子でティーバッグを動かす

 認めたくはないが俺より上手いかも。


「はい召し上がれ」

「どーも」


 一口飲んでみて驚いた。同じティーバッグなのに淹れ方だけでこれほど差が出るものなのか。

 俺が普段、自分で淹れている紅茶とは別物と言ってもいいくらい香りも風味も違う。


「いかがですか?」

「ああ、これ凄いな。同じティーバッグでどうやったらこんなに美味くなるんだ」

「えへへー、先輩に褒められるとなんだか嬉しいな」


 俺が素直に称賛すると、椎名は照れ臭そうに頬を染めて笑う。


「もし知りたかったら喜んで教えますけどいかがですか? もちろん、先輩の家で二人きりで、ですけど」

「え、そういうのはちょっと……」


 頬が触れそうなくらい椎名が肩を寄せてきて、咄嗟に反対方向に逃れる。

 その時、ガタッという大きな音がして、染井さんが勢い良く立ち上がった。


「私も淹れる」

「は?」


 最初は言葉の意味がよく理解出来なかったが、染井さんが紅茶を淹れ終えて、俺のほうに持って来たのを見て、意図がわかった。


「はい」

「え」

「飲んで」

「いやでも……」

「飲んで」

「……はい」


 染井さんの有無を言わせぬ物言いに、やむを得ず言う通りにしてしまう俺。

 うーむ、今日はトイレに頻繫に出入りすることになりそうだ。


「どう?」

「へ、ああ美味いですよ」

「あの子と比べてどうなのかって訊いてるの」

「いや……どうと言われても……」


 それってどっちが美味いか答えろってことだよな。

 どう答えてもどちらかの怒りを買うのは避けられそうにない。

 そんなことをしてなんになるというのだ。俺はまだ死にたくない。


「どっちも美味いですよ」

「それでもどちらかを選ぶとしたら?」

「そんな……もうやめましょうよ染井さん。無意味ですよ」

「なんで? なにか都合の悪いことでもあるの?」


 染井さんはしかし思った以上にしつこく食い下がる。


「先輩、実際のところどうなんですか。はっきり答えてくださいよ」


 あろうことか椎名まで染井さんに加勢し始めた。

 これっていわゆる八方塞がりってやつ?

 だいたいド素人の俺に紅茶の良し悪しなんてわかるわけがないだろう。

 初対面の頃からそうだったが、なぜこの二人は対抗心を燃やしたがるのか。

 みんなちがってみんないい、それでいいじゃない。

 ……ダメ?


「二人共もうやめてくれよ。なんでそこまで優劣つけたがるんだ。どう答えても結局どちらかを傷つけることにしかならないだろ。本当にそこまでして相手を貶したいのかよ。それなら今すぐここから出て行ってくれ!」

「…………」

「…………」


 二人共なにも反論しなかった。

 さすがにヒートアップし過ぎたと悟ったのか、自分達の行いを恥じるように、俯きがちに反省の色を滲ませている。


「……すいません先輩。調子に乗り過ぎました」

「ごめん八神」


 俺の魂の叫びが通じたのか、最終的に大人しく謝ってくれた。


「いやわかってくれればいいんだ。俺のほうこそ出て行けなんて言って悪かった。あれははずみで言っただけで、全然本気じゃないからな。お願いだからここに残ってくれ!」


 あれだけ威勢のいいことを言ってみたはいいものの、やっぱりまずかったかなと急に思い始めて平身低頭して許しを請う。

 本当に出て行かれたら困るし。


「先輩、途中までは格好良かったのに……」


 情けない俺の姿を見て、椎名と染井さんが呆れたような視線を向ける。

 悪かったな。俺は格好良さより実利を重視しているんだ。


「ところで、今日は親善試合を控えたバスケ部の取材をする予定なんですけど、今から行ってもいいですか?」


 染井さんに了解を求めると。


「好きにしたら。私は面倒だから絶対に行かないけど」

「わかりました」


 まあ染井さんならそう言うだろうと思っていた。

 この人は放っておいて一人で行くか、と立ち上がろうとしたその瞬間――


「じゃあ私と二人きりで行きましょうか先輩?」


 いきなり椎名が腕を絡ませてきた。


「え」

「さあさあ早く行きましょう。二人だけの時間をたっぷり楽しみましょうね」

「どういう意味だよそれ……」


 椎名の言動に戸惑っていたその時、染井さんがダンッっと机を強く叩いて勢い良く立ち上がった。


「やっぱり私も行く」


 さっき謝罪した直後にこれである。

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