どうしました先輩?
一体どうしてこんなことに。何度思い返しても、こうなった原因は一つしかない。
俺が出かける前にちゃんと財布の中身を確認しなかったせいだ。俺がもっと金を持って行けば、こんなことにはならなかったはず。
まさか染井さんが俺の家に来ることになるなんて。
女性を家に招くのは椎名に続いて二度目である。しかもこれはほんの短期間の出来事にすぎない。
なんなの。俺、モテ期でも来てるの?
……なんて。ただ貸した金を取りに来ただけなのだが。
なんにせよ、早いとこ返してお引き取り願おう。
「あー……と、とりあえずそこで楽にしてください」
俺はぎこちない動作で染井さんにソファに座るよう促す。
「ん」
染井さんは短くそう返事して言われた通りの位置に腰を下ろした。
幸いなことに家には俺達以外は誰もいない。
今のうちにさっさと用事を済ませよう。
「じゃあこれ、ちょうど借りた額ピッタリのはずです」
「どうも」
俺は自室から金を持って来て、額を念入りに数えてから染井さんに手渡した。
「…………」
「…………」
謎の沈黙が続く。
あれ、これでお別れじゃないの?
やっぱりお客様だし、お茶くらい出したほうがいいのだろうか。
「あのーせっかくだからお茶でも飲んでいきますか?」
「いいの?」
とりあえず来客用の紅茶と適当な茶菓子を選んで出してみる。
染井さんは特に文句も言わずに食べてくれた。そして食べたものを咀嚼しながら室内を見回す。
「休みの日なのに他の家族はいないの?」
「ええ、親は出張とかで忙しいんで」
「そう……ごめん、家庭のことにいちいち首を突っ込むもんじゃないよね」
「いや」
まあちょっとデリカシーに欠けているな、とは思う。
しかしあんまり罪悪感を持たれてもばつが悪いので、一応フォローを入れておこう。
「一応、姉もいるんで寂しいとかそういうことはないですよ。普段は二人暮らしみたいなもんですかね」
「じゃああのぬいぐるみもお姉さんの?」
「え?」
ぬいぐるみ?
はて、そんなものこの家にあっただろうか。
そう思って染井さんの指差す方向を見てみると、壁掛けラックの上になぜか見覚えのない“すみっ〇ぐらし”のぬいぐるみが――いや、あれは確かこの前、椎名が持って来たやつだ。UFOキャッチャーの景品だとか言って自慢していたのだが、間抜けにも持って帰るのを忘れてここに置きっぱなしになっていたのだ。
「えーと……はいそうです。姉のです」
「……なんか間があったけど、本当にそうなの?」
「もももも、もちろんですよ!」
俺はなにを慌てているんだ。
まるで二股がバレそうになっている最低男のような気分だ。
ってなにを馬鹿な、俺はどちらとも付き合っていないんだぞ。そんなことを気にする必要がどこにある。
でもなぜかはわからないが、椎名が頻繁に出入りしていることを染井さんに知られたらまずい気がする。
いや、染井さんに限らず学校の生徒の誰に知られてもダメなのだが。
それから二十分ほど他愛もない雑談をしてから、染井さんは帰って行った。
「ふーやっと帰ったあ……」
染井さんを見送った途端、なんだか疲れがどっと出てきて、思わず大きく深呼吸した。
特に運動をしていたわけではないのに、彼女と一緒にいると異常に神経を使う。
今日はもうなにもしたくない。適当に時間を潰したらさっさと晩飯食って風呂入って寝よう。
ピンポーン。
「……ん?」
ふいに玄関の呼び鈴が鳴った。
姉が返って来たのかな。もしくは染井さんが忘れ物をして戻って来たか。あるいはこの前ネットで注文したゲーム・オブ・ス○ーンズのブルーレイボックスが届いたのか。
などと色々な可能性を挙げながらインターフォン越しに返事をすると、
「はい」
『あ、先輩。私です』
モニターには椎名が映っていた。
今、一番会いたくない相手である。
「……なにしに来たんだ?」
『えへへ、たまたま先輩の家の近くまで来たんで寄ってみましたぁ!』
「お前なあ。学校で毎日顔を合わせてるのにいちいち来る必要あるのかよ」
『そうなんですよ。先輩に会えない日があると禁断症状が――ってそんなわけないじゃないですかー』
セルフノリツッコミだ。
どのみちここまで来たからには入れないわけにはいかない。
俺は仕方なく玄関まで行き、あからさまに嫌そうな顔を強調して椎名を迎え入れた。
「それで、用がないならすぐにでも帰ってもらうからな」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよぉ。実はさっきそこの道で髪の短い女の人とすれ違ったんですけどね、そこでいきなり突風が吹いてスカートがめくれちゃったんですよ。もちろん中身もバッチリまる見えでね、ウヒヒヒ……」
「お前は昭和のスケベオヤジかよ」
笑い方が完全に昔のアニメなどに出てくるスケベキャラのそれである。
「ちなみに色は水色でした」
「訊いてねえっての」
「またまたぁ、わかってるんですよ。口でなんと言おうと男の本能には逆らえないってことが」
「男の本能がわかるって、じゃあお前の性別は……」
「どこ見てるんです? 別についてませんよ」
「そんなはっきり言うな!」
っていうか……ん? 待てよ、髪の短い女の人?
確か染井さんが家を出たのはついさっきのはず。しかも今日の彼女は膝上丈のスカートを履いていた。
もしや椎名がすれ違った髪の短い女の人というのは……。
いや、考え過ぎか。
「それよりなにするんだ? 姉さんは今日、外食するって言ってたから飯作る必要もないぞ」
「あーそうですね、とりあえずテレビでも見ますか? 今ちょうど昔の映画の再放送やってるはずですよ。『ルー○、お前の父は私だ……コフー』なんてね」
「全然似てないから。つかそんなの家帰って見りゃいいだろ。俺は今日、映画見に行った帰りで疲れてるんだ、頼むから一人にしてくれよ」
「あーそういえば今日は新聞部の先輩女子とデートでしたもんねえ……デートでしたもんねえ!」
「なんで二回言ったの?」
しかも二回目はかなり大声だった。
「っていうか、なんかさっきまで来客があったみたいな痕跡があるんですけど、まさか先輩、その人を家に連れ込んだりしてないですよね?」
「え」
椎名はダイニングテーブルにあるカップや、開封済みの茶菓子の袋などを見つけて言う。
やばい。染井さんが出て行ってから間髪入れずに椎名が来たから、まだ片付けてなかったんだ。
「あーいや……これはその……違うんだ」
俺は今日あった出来事をかいつまんで正直に説明した。といっても、椎名が怒りそうな部分については省略したが。
なぜ怒りそうだと思ったのかは自分でもわからない。
問い詰める椎名の顔が妙に迫力あったので、ついビビってしまったのかも。
いずれにせよ、椎名は俺の説明に納得してくれたようで、
「ふーん、そうですか。まさかとは思いますけど、その先輩を家に連れ込みたくてわざとお金がないふりをしていたんじゃないですかあ?」
「ば、馬鹿。そんな回りくどいことするわけないだろ! だいたい家に行こうって言い出したのは向こうのほうなんだからな」
「は、なんでですか?」
「さあ知らんよ。きっとすぐに金を返して欲しかったんじゃないのかねえ。なんちゃってハハハッ」
「……蹴り入れていいですか?」
「やめて」
なんとも言えない微妙な空気が広がる。
「そ、そうだ。お前もお茶でも飲むか?」
仕方ないので咄嗟に話題を逸らして、気まずい雰囲気を変えようと試みた。
「へえ、他の女が飲んだお茶を私にも出すんですね」
「……なにその言い方?」
椎名の意見は無視し、お茶の用意をする。
不機嫌な彼女をなだめる為に、茶菓子にはもっと上等なものを出してやった。
それが功を奏したのか、穏やかな表情で美味しそうに菓子を頬張る椎名。
ようやく怒りが収まったかと安堵しかけたその直後――
ピンポーン。
「ん?」
再び玄関の呼び鈴が鳴る。
椎名が来てからそう時間も経っていないのに。一体どうなっているんだ。
今度こそ姉が返って来たのか。
「はい?」
『私だけど』
一瞬、見間違いかと思った。
しかしインターフォンのモニターに映っているのは間違いなく染井さんだった。
「……どうしたんです?」
『スマホ忘れたみたいなんだけど、八神の家にないかと思って』
「そうですか。ちょっと待ってください」
落ち着け俺。なにも慌てる必要はないのだ。
染井さんはただ忘れ物を取りに来ただけなのだから。
でも……なんでだろう。
なんでこんなに冷や汗が噴き出してくるのかな。
「どうしました先輩?」
なにも知らない椎名が不思議そうに首を傾げる。
しかしその直後、モニターに映る染井さんの姿に気づいた途端、椎名の表情が急変した。
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