じゃあ今から家にお邪魔してもいい?

 待ち合わせ場所である駅前のショッピングモールに到着したのは十時を少し過ぎた頃だった。染井さんはまだ来ていない。

 約束の時間は十時だが、染井さんは遅刻魔で有名なので、あえて遅めに来てみれば案の定だった。

 早くしないと映画の上映時間に間に合わなくなる。

 一応、LINEでどこにいるのか訊いてみたが、今のところ返事はなし。

 このまま来なかったら、俺一人で見に行くことになるのだろうか。

 一体、俺はなにしに来たんだ?


「お待たせ」


 そう考え始めたところへ、ようやく染井さんが来た。


「ああ、やっと来たんですね……って、染井さん?」

「どうかした?」


 私服姿の染井さんを見て驚いた。

 いや学校では制服を着ているから、私服で印象が変わるのは当然なのだが。普段は無気力な染井さんが、今はいかにもパリピ女子が着てそうな服装をしていた。ちょっとギャップが物凄くて面喰った。


「あーすいません。なんか染井さんの私服見たの初めてだったから……」

「変、かな?」

「いや、いいと思いますよ。とても似合ってると思います」


 さっきギャップがあると言ったが、決して悪い意味ではない。

 元々ルックスが優れていることもあるだろうが、着ている服のどれをとっても今時の流行をおさえていて、彼女を知らない人が見れば普通にお洒落な女子高生だと思うに違いない。

 実際、周囲の通行人の何人かがチラチラと染井さんのほうを見ている。

 俺も大きな声では言えないが、不覚にも見惚れてしまった。


「そう……ありがと」


 初めて染井さんにお礼を言われた。

 俺はなんと答えればいいかわからず、しばし言葉に詰まる。

 染井さんはそれっきり黙り込んでしまうし、なんか気まずい。


「えっと……とりあえず行きましょうか」

「うん」


 辛うじてそれだけ言って、俺達は歩き出した。

 まず俺が先に行って、そのすぐ後ろを染井さんがついて来る。

 言っちゃ失礼だが、染井さんが母親の後をついて来る赤ちゃんペンギンに見えてちょっとほっこりする。


「そういえば来るのずいぶん遅かったですけど、なにかあったんですか?」


 ショッピングモールの入り口を通り過ぎた後、俺はさりげなく話しかけた。


「寝坊した」

「……え、それだけ?」

「なにか?」

「いえ……」


 着いた時、息を切らしていなかったということは、寝坊したにもかかわらず走って来なかったということだ。この人らしいっちゃらしいけど、少しは他人の気持ちも考えてくれないかなー。

 速足で映画館に直行すると、ギリギリで上映時間に間に合った。

 俺達が今から見るのは某少年漫画の劇場版だ。

 普段は冴えない男子高校生の主人公が、ある日突然不思議な力に目覚めて悪と戦うという、言ってしまえばありがちな話なのだが、迫力のあるバトル描写と魅力的なキャラクターで高い人気を博している。

 それで映画の内容なのだが、さすがに劇場版だけあって作画にかなり力が入っていた。

 が、中盤に差し掛かった頃に問題が発生した。

 主人公とヒロインとの間に濃厚なラブシーンが挟まれたのだ。それも結構長い時間。

 元々原作でも恋愛要素はあったのだが、今目の前で繰り広げられている光景は洋画に出てくるような大人向けのものだった。

 まさか染井さんと映画を見に来てこんな場面に遭遇するとは。

 よく家族でテレビを見ていると、急に叡智なシーンが出てきてお茶の間が凍りつく時があるが、今がまさにそんな感じである。




「で、見終わった感想は?」


 映画館を出た後、腹ごしらえをしようと立ち寄った近くのファストフード店にて。注文したフライドポテトを齧りながら染井さんがそう訊ねてきた。


「え、ああそうですね……」


 一番に思い浮んだのは例のラブシーンだが、微妙な空気になるかもしれないので口に出すのはやめた。


「やっぱりバトルシーンが迫力ありましたよね。原作もそこが魅力の一つだし。それに敵が殴られる時に顔が歪み過ぎて面白いことになってましたよね、ハハハ」


 結果、無難な感想に留めた。ついでに軽いギャグも挟んでみたりして。


「あ、そう」

「ハハハ……」


 染井さんは全く笑ってくれなかった。

 どちらにせよ微妙な空気になるのは避けられなかったようだ。


「ち、ちなみに染井さんの好きなシーンはどこですか?」

「私? 私は主人公がヒロインにキスするところかな」

「え」


 意外な言葉が返って来た。

 それは俺がさっきから話題にするのを避けていたあのラブシーンのことか? というか、それ以外に該当するシーンはないよな。


「マジですか?」

「なに、私がそういうの好きなのはおかしいって思ってるの?」

「いや決してそういうわけではないんですけど……」

「ホントに?」

「……すいません、嘘です。本当はちょっと意外だと思いました」


 穏やかだが有無を言わせない口調。そんなふうに追及されたら、大人しく白状するしかない。


「だって染井さんってしょっちゅう男が嫌いだって言ってるじゃないですか。だからそういうのに興味ない人なのかなーと思って」

「ないよ」

「は?」


 いやどっちやねん。


「でも私だってたまにはそういうことを考える時くらいあるよ」

「それって要するに興味あるってことになるんじゃないですか?」

「……かもね」


 面倒臭い人だな。

 基本的に興味はないが完全にないわけではない、ということか。にしてもあえてあのシーンをお気に入りに選ぶのは、やはり意外な感じがする。


「どうせ私みたいな人間がそういうこと考えるのは似合わないって思ってるんでしょ」

「そんな、誰もそこまで言ってないじゃないですか」

「誤魔化さなくていいから。昔からずっとそうだったし。私が学校で恋愛漫画読んでたら周りの生徒が『キモい』とか言って馬鹿にしてきて」

「それはちょっと酷いですね。みんなは染井さんの良さがわかってないんですよ。別に俺だけがわかってるなんて思ってませんけど、染井さんがそんなこと気にする必要はないと思いますよ」

「……そ、そう」


 染井さんは特になんの反応を見せずに俯いてしまった。

 あれ、褒めたつもりなのだが、皮肉と受け取られたのだろうか。


「あの、参考までに聞かせて欲しいんですけど、あのシーンのどこが気に入ったんですか?」

「んー? やっぱり二人がお互いのことを想い合っているのがこっちまで伝わってくるところかな。好きな人とそんな関係になれるって理想だと思わない?」

「ああ、なんかわかる気がします。ちなみにですけど……染井さんって好きな人とかいるんですか?」

「……内緒」


 そう言って目を逸らされる。まあそりゃ簡単には話せないよね。

 でもこの人にそういう存在がいるのならちょっと興味あるかも。

 これ以上なにか言って怒らせるのもいけないので、黙ってバーガーを食べることにする。




「あ、あれ? 金が足りない……」


 会計の際に財布の中身を確認したところ、どう見ても小銭の数が足りないことが判明。

 支払いは当然ながら割り勘だ。

 だがこのままでは自分の分を出すことが出来ない。これは困ったことになった。


「どうしたの?」


 後ろから染井さんが覗き込んでくる。


「あいや、ちょっとまずいことになって……」


 そうやってもたもたしていると、次第にレジ係の女性が苛立ち始めた。

 仕方ない。こうなったら恥を忍んで最後の手段に出よう。


「あの、すいません染井さん。少しでいいんでお金貸して貰えませんか?」




「いやあ本当に助かりました。お金は明日になればちゃんと返しますから、安心してくださいね」


 俺はショッピングモールの出口に向かって歩きながら、染井さんに何度も感謝の意を伝える。

 本当に彼女がいなかったらどうなっていたか。


「明日って、そんなすぐに用意出来るの?」

「はい、ちょうど家に五千円くらい置いてますから」

「ふーん……」


 先月おばあちゃんから貰ったお小遣いを使わずに保管しておいてよかった。いやそもそもそれなら今ここに持って来いよって話なのだが。

 と、そんなことを考えていると、なにやら染井さんが不可解なことを口走り始めた。


「そういえば八神ん家ってここから結構近かったよね?」

「へ? まあそうですけど……」


 俺がそう答えると、染井さんは少々思案する素振りを見せて、しばらく黙り込んでしまう。

 なにかを考えているというよりは、俺に伝えたいことがあって言おうかどうか迷っているようだ。

 ……まずい。なんかいやな予感がする。


「じゃあ今から家にお邪魔してもいい?」


 ……やっぱり。

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