今なんて言ったんだ?

「ねえ、ゆうちゃん聞いて。今日は私が晩御飯つくろうと思うの」


 それは週末の夕方に起こった。

 夕食の時刻になり、今夜はどんな料理にしようかと話し合っていた時、突然姉が信じられないことを言い出した。


「……え、なに? 今なんて言ったんだ?」


 一瞬、聞き違いかと思い、咄嗟に聞き返してしまう。


「だから私が御飯つくるって言ってるの」

「そんな、まさか……ありえない。あの怠け者で有名な姉さんが?」


 これは天変地異の前触れか。


「やだなあ、たまにはいつもお世話になっているゆうちゃんに恩返しがしたくなっただけだよ」

「嘘だ! これまで一度たりともそんなことしなかっただろ」


 これはなにか裏があるはずだ。これまでの姉の行状を知っている俺にはそうとしか思えなかった。

 そうかわかったぞ。実は重い病気に罹っていて、残り少ない余命の中で、俺になにかしてやれないかと思っているのか。

 嫌だ、俺を残して死なないでくれ。まだ姉さんには返してもらっていない借りが山ほどあるんだ。


「ね、姉さん……大丈夫か? もしかしてどこか身体が悪いのか? 俺になにか出来ることはあるか?」

「……私はゆうちゃんの頭のほうが心配だけど」


 人が心配しているのにこの言い草。

 まあ俺もオーバーリアクションだったところは否めないが、それだけ姉の言葉が衝撃的過ぎたのだ。

 姉は地球が滅んでも自分からなにかをやろうとする人ではないと思っていたから。

 まだ宇宙人が侵略してきたと言われたほうが現実味がある。




 しばらくしてから椎名が家に来た。

 彼女の家にお邪魔したあの日以来、一緒に晩飯を食べる機会がさらに増えた。

 辛い境遇に見かねて、俺がいつでも家に来ていいと言ったからだ。


「こんばんはー先輩っ! 今日もよろしくお願いします」


 こちらも料理を作ってもらっているので、要はギブアンドテイクの関係だ。


「御飯にしますか? お風呂にしますか? それとも――わ・た・し?」

「お前それ意味わかってて言ってるのか?」


 わかってて言ってたら凄いことになる。

 いや、別になにも期待してないけど。


「今日の夕飯はなにをつくりましょうか?」

「あーそのことなんだが、実は今日はいいんだ。もう作り始めてるから」

「え、そうなんですか? 言っちゃなんですけど、先輩の料理の腕ってあまり期待できないような……」

「俺がつくるんじゃない。聞いて驚くなよ、なんと姉さんがつくってるんだ」

「アッハッハ、まっさかぁ。先輩って嘘を言うのが下手なんですねえ。そんな真顔で言ってたら一発で見抜かれますよ」


 信じる素振りすら全く見せない。

 まあ我が姉ながら仕方のない反応だと思う。

 日頃から他力本願で身の回りの世話も他の人に任せている人間が、突然料理を作り始めましたと言っても信じる者は限られるだろう。

 しかし――


「嘘じゃねえって。ほら見てみろよ」


 と、二人並んでリビングまで歩くと、奥のキッチンで熱心に作業をする姉を指差す。


「……本当だ。どういうことでしょう。これって天変地異の前触れかなんかですかね?」

「あいにくとそうじゃないみたいだ」

「じゃあもしかして重い病気だったりします?」


 俺と同じこと言ってる。無理もないか。

 料理をする必要がなくなり、椎名は手持ち無沙汰になった。

 とりあえず晩飯が出来上るまで二人でソファでくつろぎながら“ウォーリーをさがせ”でもすることにした。

 ちょうど最新版を買ったばかりだし。


「ちょっとよく見てくださいよ先輩。そんなわかりやすいところにウォーリーがいるわけないじゃないですか」

「うーんそうか……っていうか本当にこの中にいるのかこれ?」

「もちろんいるに決まってるじゃないですか。いなかったら“ウォーリーをさがさないでください”になっちゃいますよ」


 確かに。

 そんなやり取りをしながら待つこと数十分。ようやく姉が夕食を作り終えた。


「二人共、御飯出来たよー」

「まだだ、あとちょっと待ってくれ。もう少しで見つかりそうなんだ」

「もう諦めましょう先輩。私達は最善を尽くしたんです……それでも彼は見つけられなかったんです……」


 椎名が俺の肩に手を置いて神妙な面持ちで言う。

 仕方ない。いざとなったら巻末の答えを見るという手もあるのだから。

 ダイニングテーブルに並べられたのは一般的な中華料理で、回鍋肉や餃子などがメインだった。

 自分が作ると威勢よく言った時は、肝心の料理はどうなるか心配だったが、完成したものを見ると、外見上はちゃんとした仕上がりになっているように見えた。


「さあ召し上がれ」

「いただきまーす」


 そして味のほうはというと、こちらも申し分なかった。


「どう?」

「……凄い。本当に美味い。なあ今まで料理なんてしたことあったっけ?」

「もう、ゆうちゃんのいじわるぅ。私だって料理くらいするもんっ!」

「そうだっけ。全然やってる記憶ないけど。つかその言い方全然可愛くないぞ」

「先輩、考えられる可能性が一つだけありますよ」


 小声で耳打ちしてきた。


「なんだ?」

「あれはお姉さんになりすましたエイリアンなんですよ」

「んなアホな。Xファ○ルの見過ぎじゃねえの」


 真実はそこにある。

 椎名、あなた疲れているのよ。


「まあ実を言うと既に出来上がったものをレンジでチンしただけのものもあるんだけどね」


 姉が申し訳なさそうに言う。

 それでもここまで出来るなんて大したものだ。

 

「ところでさ、食べ終わったら洗い物とか後片付けはゆうちゃん達がやってくれないかな?」

「ああいいよ。それくらい」


 食事を作ってもらったのだから、片付けはこちらがやるのが礼儀というものだ。

 ところがこの選択が激しい後悔を生むことになる。

 キッチンに行くと、そこには凄まじい惨状が広がっていた。

 フライパンなどは散らばり放題、壁に飛び散った回鍋肉の甜麵醬ソース、床には大量の野菜の切れ端が落ちている。

 子供が初めて料理すればこんなふうになるんだろうな、と思わせる光景である。


「……これは酷い」


 誰に言うでもなく、俺は独り言を呟いた。


「料理は作れても綺麗にする才能はないみたいですね……」


 椎名が呆れて言う。

 散らかす才能ならあるみたいだが。




 その後リビングでテレビを見ながらくつろいでいると、こんな夜遅くだというのに、玄関から呼び鈴が鳴り響いた。

 現在はなにも通販で頼んだ記憶はないのだが。宅配便でも届いたのだろうか。


「はい?」

『俺だ八神』


 返ってきた声は宇多野のものだった。

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