……私は先輩のことが好き
その人物は、俺と同じ学校に通うクラスメイトの男子で、名前は宇多野といった。
一時期、席が隣同士だったことで、なにかと会話する機会が多く、まあ友達と呼べるくらいには親しい。
ただ俺に彼女が出来た時は、なぜか裏切られたと思ったらしく、急に態度が冷たくなり始めたこともあっが。
宇多野は生まれてこの方、誰かと付き合った試しがないとしょっちゅう嘆いており、勝手に俺を同類だと思い込んだのだろう。
「おいどういうことだよ八神。なんでお前があの椎名凛音と一緒に歩いているんだ? しかも腕まで組んで」
葦原に話を聞かれると色々と不都合なので、俺は少し離れた場所へ宇多野を引っ張って行った。
椎名は俺達の学校では有名人である。
そんな相手と腕を組んでいるところを見られたらどう思われるか、考えるまでもない。
「いやあ、その……これには深いわけが……」
「とぼけなくていい。この浮気者が、七瀬と付き合ってるんじゃなかったのかよ」
宇多野には和美と別れた件をまだ言っていない。
確実に馬鹿にされるのが目に見えていたからだ。
「フラられたんだよ。もういらないって言われてな」
「そうか、お前がフラれたことにはなんの驚きはないが、それでどうして学校屈指の美少女と腕を組んで遊園地にいるんだ? 完全にポルナレフ状態なんだが」
「別に付き合ってるわけじゃねえよ」
と言っても、こんな状況では説得力ないか。
「じゃあなんだってんだよ?」
「いや、これには複雑な事情があってだな……」
こんな時、漫画とかアニメだと、上手い言い訳が見つかってなんとか誤魔化すのだが……現実ではそんな咄嗟の判断は出来ない。
素直に真実を言えば、葦原にお芝居であることがバレてしまうかもしれないし、かと言って付き合っていると言えば学校中に噂が広まって、男子生徒から殺意を向けられる。
どっちを選んでも、行きつく先は地獄でしかない。
「とにかく、詳しいことは後で説明するから、このことは学校の奴らには内緒にしてくれないか」
「おいおい、なんの見返りもなく無条件でお前の言うことを聞けってか? そいつはちょっと虫が良すぎるんじゃないのか」
「わかった。今度なにか奢ってやるから、それでいいか?」
「んー内容によるな。そんなこと言ってジュース一本程度で済ませるようならこの話はなしだ」
「……わかったよ。お前のリクエスト通りのものでいいから」
「フッ、決まりだな」
少々痛い出費になるがやむを得ない。
「あのーさっきからなんの話をしてるんですか?」
ようやく話がまとまりかけていたところで、唐突に椎名が近づいてきた。
その表情にはどことなく剣吞な印象が見受けられる。
「どなたか知りませんけど、八神先輩を脅迫するような真似はやめて欲しいんですが」
「え……あいや、その……」
椎名の迫力に気圧され、しどろもどろになる宇多野。
可愛い女子と話すとコミュ力が著しく低下するのが、非モテ男子の習性である。
「えっと……君は八神とはどういう関係なの?」
「どうしてそんなこと訊くんですか? 他人のプライバシーを詮索するのは褒められた行為じゃないですよね?」
「そ、それは……」
おお凄い。
あの宇多野が言われるがままになっている。
これなら宇多野に高いものを奢らされずに追い返すことが出来そうな気がする。
こういう時は下手に出るよりも、強気な態度をとったほうが有効なんだな。
だがあまり刺激し過ぎると後日、学校であることないこと言いふらされかねない。
頼むからもうその辺でやめてくれ――俺はそのような意思を込めて椎名にアイコンタクトを送った。
「すいませんでした。もうしません」
「そうですか。じゃあこれから二人で観覧車に乗るので失礼していいですか? 急がないとカップル割引の時間が終わっちゃう」
「……は?」
瞬間、その場の空気が凍りついた。
せっかく上手くやり過ごせそうだったのに、最後の一言で流れが台無しになってしまった。
「宇多野……違うんだこれは……」
「……もういい八神、なにも言わなくても。お前は俺を裏切った、ただそれだけのことだ。数十年後、お前は史上最悪の裏切り者の一人として歴史に名を刻むことになるだろう。『ユダ、ブルータス、そして八神侑士』とな」
「なんで後輩と一緒にいただけでユダやブルータスと同列にされなきゃならないんだよ」
そんな捨て台詞を残して、宇多野はさっさと立ち去ってしまった。
コイツの事情など心底どうでもいいが、学校で妙な噂を広められるのはどうにかして欲しい。
「ありがとよ椎名。お前のおかげでより状況が悪化したぜ」
椎名と二人で観覧車に乗り込み、ちょうど四分の一くらい進んだところで皮肉たっぷりの批判を浴びせた。
「? どういたしまして。なんでお礼を言われるのかわかりませんけど……」
コイツ皮肉が通じないだと。
遠回しな言い方が通用しないなら、今度は直接的な表現を試してみる。
「そうじゃなくて、あんな誤解を生むような言い方したら本当に付き合ってると思われるだろ。学校で変な噂を流されたらどうすんだよ」
「そんなのはっきり否定すればいい話じゃないですか。人の噂も七十五日って言いますし、皆すぐ忘れますよ」
「あーそうだな。七十五日もあれば嫉妬に狂ったお前のファンにブチ殺されるには十分な時間があるよな」
「そうそう、気にしないのが一番ですって」
駄目だ。やはり皮肉が通じない。
椎名の言い分にも一理あるのだが、もう少し俺に気を遣って欲しいと思うのはワガママだろうか。
「そういやまだ訊いてなかったが、そもそもなんでWデートの相手なんて引き受けたんだ?」
「んー前も言いましたけど、なんとなく面白そうだったからですかねえ。あ、それと……私が髪を切られそうになった時、助けてくれたお礼をまだしてなかったから、ちょうど良い機会かなと思ったんです」
「それならもう弁当を貰っただろ」
「あんなんじゃ全然足りませんよ。実はあの時、私をイジメてた人達って前々からなにかにつけて嫌がらせしてきた人達なんですよね。でもクラスメイトも皆、見て見ぬふりで……先輩だけだったんですよね助けてくれたのは」
「本当か? お前の取り巻きの男子に言えばいくらでもどうにかしてくれそうだけどな」
学校にいる時の椎名は、しょっちゅう複数の男子を侍らせている。
恐らくは椎名にたぶらかされたのだろう、彼女が困った時には我先にと力になろうと競い合う。
まるで自分を白馬の王子様だとでも思い込んでいるかのようだが、実際はただ雑用をやらされているだけである。
哀れな男子共は女王蜂に群がる働き蜂の如く、椎名の思うままに動く。
「ああ、一応相談したことはありますけど、結局なーんにもしてくれませんでしたね。なんだかんだ言って実際に女子と喧嘩するのは怖かったみたいです」
それってただのイキリ雑魚じゃないか。
「だから誰も助けてくれない中で先輩だけが助けてくれた時は凄く嬉しくて、あの後先輩が買ってくれた缶コーヒーは今まで飲んだ中で一番美味しい味がしました」
そう言いながら、椎名はさっき自販機で買った缶コーヒーをバッグから取り出す。
「あーそう言えばそれ、俺が奢ってやったのと同じヤツだな」
「そ、あの時の味が忘れられなくて、今では私の一番好きな飲み物です……」
「そ、そうか……」
恥じらうように頬を紅潮させて微笑む椎名が、なんだかいじらしく思えて、不覚にもドキッとした。
それにしても椎名がWデートの相手を引き受けたことに、そんな背景があったとは驚きだ。
少々やり過ぎな気がしないでもないが。
「でもいくら恩を返すためとはいえあんなにベタベタする必要はなかったんじゃないか? お前だって嫌だろう?」
「嫌じゃないですよ。先輩にならもっと恥ずかしいことも喜んでしてあげますよ」
「……滅多なことを言うんじゃねえよ」
椎名はゆっくりとこちらに歩み寄り、前屈みになったかと思うと鼻先が触れそうなくらい顔をグッと近づけてきてこう言った。
「ねえ先輩……私にして欲しいことがあればなんでも言ってみてください」
「して欲しいことって……な、なんにもねえよ!」
「またまたぁ、こんな可愛い女の子がなんでもお願いごと聞いてあげるって言ってるんですよ。して欲しいことの一つや二つあるでしょ」
「自分のこと可愛いとか言わないほうがいいんだぞ」
これからどうなってしまうんだ、などとあたふたしていると、急に椎名が「ぷっ」と吹き出して――
「アハハハッ! もー先輩、焦り過ぎ。冗談に決まってるじゃないですか」
……まあ嘘だとわかっていたよ。わかっていたけど、反応してしまうのが男の悲しい性というものだ。
「お前の嘘は嘘とは思えないから困るんだよ」
「そうですか、じゃあ一つクイズでもやります? 今から言う三つの言葉の中に、一つだけ本当のことが混ざっています。それを当ててみてください」
「なんだそりゃ?」
俺がやるかどうか返事をする前に、椎名は勝手に話を進め始めた。
「まず一つ目、私はこれまでに五回、芸能事務所にスカウトされたことがある」
五回も? まあ椎名ほどの容姿であればそれもあり得るか。
「二つ目、実はこの前、八神先輩から借りたボールペンを壊しちゃったんです。それでこっそり新しいヤツを買って取り替えたんですよ。先輩は気づいてなかったみたいですけどね」
え、マジで? あれ結構高いヤツなのに。でも返してもらった時はいつもと違いはなかったような……。
まあ後で帰って本当かどうかチェックすれば済む話か。
「そして三つ目は……」
椎名はしばし間を置いた後、やがて意を決したようにこう言った。
「……私は先輩のことが好き。初めて出会ったあの時からずっと。最初は彼女がいたから気持ちを抑えるのが凄く辛かった。けど、別れた今ならもう遠慮はしません。これからは全力で私のことを好きにさせて見せますから、覚悟してくださいね」
「…………」
椎名の眼差しがあまりにも切実過ぎて、思わず言葉に詰まった。
前二つとは明らかに異質な雰囲気。一瞬、本心からの言葉ではないかと信じてしまうほど真実味を感じられた。
しかしその直後――
「さて、どれが本当のことでしょう?」
と、あっけらかんとした口調で言われ、まるで先ほどのことはなかったかのようだ。
忘れていたが椎名は嘘の達人。どれが正解かわからないようにするのはお手の物のはず。
一見して最後の言葉が最も信憑性が高いように思えるが、現実味で言えばどちらかというと一つ目や二つ目のほうがそれらしい気がする。
椎名のような美貌なら芸能事務所にスカウトされるのもおかしくはないし、ボールペンを壊すなんていかにもやりそうなことだ。
だが……もし万が一、三つ目が本当だったとしたら?
などと悩んでいる内に、観覧車が下に着いてしまい、結局答えられずじまいになってしまった。
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