先輩の隣にいる人なんてどうですか?

 あの後、何度も和美に別れる理由を問い質したが、返ってくる答えは「なんか気持ちが冷めたから」という一言だけ。

 他に好きな奴が出来たとか、俺になにか不満があるとかではないらしい。

 ただ単に「このオモチャ飽きたからもういらない」みたいな感じ。元々そういう性格なのは理解していたが、完全に捨てられた気分だ。

 正直まったく納得出来なかったが、ここで必死にすがりついて、男らしくないと思われても悔しいので、全然気にしていないフリをして別れた。

 内心はかなり傷ついていたけど。

 結局、スティックのりは返してもらえなかった。

 翌日になってもまだモヤモヤした気持ちを引きずったまま、授業中もずっと上の空で過ごしていた。


「はあ……また灰色の学園生活に逆戻りかあ……」


 昼休みに校庭のベンチで一人寂しく弁当を食いながら、俺は無気力に呟く。

 昨日まではクラスメイトや和美と食べていたが、今日は一人になりたかった。

 まあ和美の性格を知った時から、ある程度覚悟はしていたので、不思議とそこまでショックは大きくない。

 学生の恋愛なんて所詮、この程度のものなのかも。

 スティックのりを借りパクされたことに対する恨みは消えていないけど。

 それよりも、俺が目下のところ解決すべき問題は、原田とのWデートことだ。

 いや一緒に行く相手がいなくなってしまった以上、キャンセルするしかないのだが、また原田に馬鹿にされるのかと思うと無性に腹が立つ。

 他になにか良い解決策はないものか。

 レンタル彼女でも雇おうか。しかし当日までに金を用意出来る保証はない。

 バイト代が入るのは来週だし、親に頼んでも断られるのは目に見えているし。


 などと、頭の中で不毛な議論を延々と繰り広げていたその時――


 ぺちんっ


「――ッ!? 痛ッ! な、なんだ!?」


 突如、額のど真ん中に謎の鋭い痛みが走り、飛び上がりそうなほど驚いた。

 一体なにが起こったのか、わけがわからなかった。

 頭痛にしては異質な痛みで、ついに自分の身体がおかしくなったのかと頭を抱えていると――ふと右膝の上に、つい先ほどまではなかったある物が落ちているのを発見した。

 恐る恐るソレを拾い上げて、まじまじと見つめると、その正体は一本の輪ゴムだった。


「…………クククッ……」

「ん?」


 その時、押し殺したような笑い声が前方から聞こえてきた。

 見ると椎名が必死に笑いをこらえながらこちらに近づいてくる。


「すっ……すいません。ま、まさか……本当に当たるとはっ……思わなくて……」

「……あ」


 その瞬間、俺は全てを理解した。

 謎の痛みの正体は、椎名が飛ばした輪ゴムが当たったものなのだと。


「おーまーえぇー! いい度胸してんなあオイ!」


 俺は怒りに身を震わせて椎名を待ち構える。


「いやっ……今のは本当にごめんなさい……そんなつもりじゃなかったんですけどっ……どうせ外れるだろうと思って狙ったのがドンピシャで当たっちゃいました……フフッ」


 椎名は謝罪をしながらも、輪ゴムが当たった時の俺のリアクションが相当おかしかったのか、腹を抱えて引き笑いのような声を漏らしている。


「どのみち狙ってる時点でダメじゃねーか!」

「でも最っ高のリアクションでしたよ」

「やかましい! 大体お前もう俺には近づくなって言っただろ。昨日の今日でもう忘れちまったのかよ?」

「いや今日は散歩してたらたまたま先輩を見かけただけです。それでちょっと挨拶しなきゃ失礼かなーと思って」

「ほう、お前にとっての挨拶は輪ゴムを飛ばすことなのか。なら俺は挨拶代わりにお前の頭に拳骨を落とそうか」

「そ、それだけは勘弁してください……!」


 俺の剣幕にビビったのか椎名は、「ひっ」と言って両手で頭を庇う。


「ごめんなさい。もう消えますから怒らないでくださいぃ!」


 そう言って慌てて踵を返して退散しようとする椎名。

 しかし彼女を遠ざける理由がもうなくなったのを思い出し、俺は咄嗟に呼び止めていた。


「いや……やっぱもういいや。別に行かなくていいぞ」

「ふぇ?」


 呼び止められた椎名は不思議そうな顔でこちらを振り向く。


「行かなくていいって、どういうことですか?」

「いや……実はな……」


 気がつくと俺は、自分でも無意識の内に昨日のことを話し始めていた。

 なぜ友人にはなにも言わなかったのに、椎名には話す気になったのかわからない。

 前々から椎名は聞き上手なところがあり、他人の話を上手に聞く能力に長けていた。俺も何度かクラスメイトや家族の愚痴に付き合って貰ったことがある。

 今も椎名は俺の隣に腰掛けて、真摯な面持ちでうんうんと頷いている。

 やがて俺が話し終えると大きな溜息を吐いてこう言った


「そうですか。それは確かに酷い話ですねえ」

「だろ? やっぱお前もそう思うよな?」

「ええ。借りたスティックのりを返さないなんて非常識もいいとこですよ!」

「そっちかい! ってか俺が言いたかったのはそこじゃねえだろ!」


 まあ非常識という意見には百パーセント同意するが。

 俺も仕返しに和美に借りたチェン〇ーマンをパクってやろうかな。


「八神先輩、彼女さんと別れちゃったんだ……へーえ、ふーん、ほーお……」


 なんかよくわからんが、椎名がしきりに呟いている。


「先輩、傷ついてます?」

「そりゃあな。メソメソするのは男らしくないってわかってるんだけど、あんなフラれ方したらやっぱ凹むわ」


 好きだった相手にいきなり別れを告げられたら、誰だって傷つくに決まっている。こうして話しているだけでも、また昨日の記憶が蘇ってきて憂鬱な気分になる。


「……ん、でも待てよ? ということはもしかして、そんな先輩にふざけて輪ゴムをぶつけた私って、凄く悪い人なんじゃあ……」

「すげえ、よくわかったな! その通りだよ馬鹿野郎!」


 皮肉たっぷりに大声で叫んだものの、すぐに力が抜けて肩を落とす


「ダメだ……なんか怒る気力もねえや……」

「これは深刻ですねえ」


 こんな姿を見せたら、椎名にからかわれるんじゃないかと身構えていたが、次の瞬間、彼女は思いも寄らない行動をとった。


「先輩……可哀想に、元気出して欲しいから私が頭なでなでしてあげます」

「おいちょ――」


 なにを思ったのか椎名は、おもむろにこちらへにじり寄ると、いきなり「よしよし」と言って俺の頭を撫で始めた。


「よせよ子供じゃあるまいし!」

「照れなくもていいんですよー? 私でよければ元気が出るまで毎日でもこうしてあげますから」

「も、もういい! もう十分元気出たから離れろ!」

「んふふぅ、恥ずかしがってる先輩かーわいー」

「お前はもうちょっと恥ずかしがれ!」

「ほらほらぁ、遠慮せずいっぱい私に甘えてくださいっ。なんなら膝枕してあげてもいいですよ?」


 この野郎……人を赤子扱いしやがって……。

 挙句の果てには本当に俺の頭を倒して、自分の膝の上に乗せようとするので、たまらなくなった俺は、強引に振りほどいて逃れた。


「あのな、そういうのは小学生にでもしてやれよ。高校生の俺にしても効果ないんだ」

「そうですか……いつかこんな日が来るのはわかっていましたが、随分成長しましたね先輩」

「俺達、二ヶ月前に知り合ったばっかですけど?」


 しかしコイツがこんなことをするなんて意外だ。

 いじられこそすれ、慰めようとするなんて、今までのウザい椎名だと考えられなかったことだ。慰める方向性はちょっとズレているが。

 今日は雨でも降るんじゃなかろうか?

 確か予報じゃあ降水確率は0パーセントだと言っていたが果たして……。


「そういえば結局、Wデートの話はどうするんですか?」


 椎名が今思い出したかのように言う。


「どうするもなにも、相手がいないんじゃどうしようもないだろ。キャンセルするしかない」


 きっと断りのショートメールを送った途端、「ほらみろやっぱり嘘だった(笑)」とかいう返信が来て、最低数日は嘲笑のメールやメッセージが届くのだろうな。


「でもなんかムカつきませんか? 先輩が家で一人でいる間、その嫌な友達は彼女と仲良くデートしてるんですよ」

「そりゃ腹立たないって言ったら噓になるけど、どうしろって言うんだよ。なにか他にいい手があるってわけでもないし……」

「誰か代わりに言ってくれる人を探せばいいじゃないですか」

「簡単に言ってくれるな。そんな奴どこにいんだよ」

「そうですねえ……先輩の隣にいる人なんてどうですか?」

「は?」


 そう言われて俺は、ハッとなって隣を見た。

 そこに座っている人物と言えば椎名しかいない。


「……それ、お前を連れて行けって言ってんの?」

「いいでしょ? 自分で言うのもなんですが、私って結構可愛いし、好きな人には一生懸命尽くすタイプだし、優良物件ですよ」


 なんか急にセールストークが始まった。


「いやでもお前はいいのか? 一緒に行くってことは俺の彼女のフリをしなきゃいけないんだぞ?」

「私は全然オーケーですよ? なんか面白そうだし。むしろ八神先輩の彼女になれるんなら喜んでやりますよ!」

「そ、そうか。どういう意味かはわからんが……だけどもし学校の奴らに見られたら変な噂が立つかもしれんぞ。それでも本当にいいのか?」

「そんなの気にしなきゃいいんですよ。先輩の力になれるなら私、誰になにを言われようと構いません!」


 いや、どちらかというと俺が構うんだが……。

 校内有数の美少女と付き合っているなんて噂が流れたら、全男子生徒の嫉妬を買ってしまい、なにをされるかわかったものではない。

 そう言えばコイツ、めちゃくちゃモテるクセに彼氏がいるなんて話は一度も耳にしたことがないような。


 元々Wデートの目的は原田に一泡吹かせようという不純なものだから、偽物のほうが都合が良いっちゃ良いか。


「そうか、そこまで言うならお願いしようかな……」

「決まりっ。私、全力で先輩の彼女になって見せますから、期待していてくださいねっ!」


 椎名は声を弾ませながら、小さくガッツポーズをして言った。


 俺はと言えばあまりの急展開に、状況の整理が追い付いていなかった。


 別に本当のデートというわけではないんだから、そう身構える必要もないか。


「ふんふふーん、八神先輩とデートデート~♪」


 などという俺の思考も無視して、椎名は鼻歌交じりに独り言を呟いている。

 ……デートじゃないよな?


 その日の夕方は、日中の晴天が嘘のように突然のゲリラ豪雨が市内を襲い、俺は全身ずぶ濡れで帰宅した。

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