彼女に捨てられて落ち込んでいると、いつもウザ絡みしてくる後輩が急に優しくなった
末比呂津
プロローグ
「せーんぱいっ! なにを飲んでるんですかぁ?」
自販機の前で缶コーヒーを飲んでいると、突如背後から不穏な猫撫で声が響いた。
恐る恐る後ろを振り向くと、案の定、予想した通りの人物が生意気な笑みを浮かべて立っている。
150cmにも満たない小柄な体躯に幼い顔立ち、クセのあるミディアムボブの髪を三つ編みカチューシャにしている。
「お前には関係ないだろ。椎名こそなにしに来たんだよ」
幼いルックスと、甘えるような猫撫で声で多くの男子を魅了し、学校でも五本の指に入るほどの美少女である。
「もーつれないなあ八神先輩は。こーんな可愛い女の子が話しかけてるんだからもうちっと愛想よくしてくださいよぉ」
「なんでお前みたいな馬鹿に愛想よくせにゃならんのだ。さっさとあっちに行けよ」
「ふーん、先輩が今飲んでるのは缶コーヒーですか。いいですねぇ」
「オイコラ人の話を聞け」
椎名は俺の事情などお構いなしに近づいてきて、にぱーっと子供のような笑みを浮かべる。
彼女がこんな顔をする時は、大抵ロクなことが起きない。
その無邪気な笑顔で、一体何人の男をたぶらかしてきたのやら。
「ねーえ私にも一本奢ってくださいよー」
ペロっと下を出して片目を瞑る。
どうやら嫌な予感が的中したようだ。
椎名はいわゆる小悪魔系女子というヤツで、自分の優れた容姿を利用して、よく下心のある男子を思いのままに操っていた。
俺も知り合って以来、幾度となく飲み物や食べ物を奢らされた。
コイツのせいでどれだけ俺の財政が圧迫されたことか。
そのせいか、女子からは蛇蝎の如く嫌われていて、同性で友達と呼べるのは一人しかいない。
よく言われる、あざとい女子は同性から嫌われるというヤツだ。
「ねえせーんぱい?」
「ヤダ。とっととあっち行け」
椎名の懇願を、俺はバッサリと一刀両断する。
「んもぅ、いいじゃないですか、けちぃ。いつもは奢ってくれてるのにぃ。なんで今回はダメなんですかぁ?」
「そうやっていつも奢って貰えるという考え自体が甘いんだよ」
頬を目一杯膨らませてブーイングを浴びせてくる後輩を一喝する。
椎名と出会ったのは今から二ヶ月ほど前。
ある時、椎名に恨みを持つ女子が、集団で彼女を校舎裏に連れ込んで痛めつけようとした。
最初は肩を小突いたり服を引っ張ったりする程度の他愛ないものだったが、次第に行為はエスカレートしていって、挙句にはリーダー各の女子がハサミを取り出して髪を切ろうとする凶行に及んだ。
そこへ偶然通りがかった俺が助けて未遂に終わったのがそもそもの始まりである。
その時の椎名の取り乱しっぷりは尋常ではなく、涙をボロボロ零しながら俺に抱きついて泣き叫んでいた。
俺はなんとか元気づけてやろうと思い、飲み物を奢ってやった。
それで泣き止んだからいいものの、それ以降味を占めたのか、頻繫にたかられるようになったのだ。
だが、こいつにはいい加減わからせてやったほうがいい。
「でもでも、可愛い後輩には疲れを癒してくれる飲み物くらい恵んであげてもいいですよね? ね? 私ちょうどいま金欠で大変なんです……」
目をウルウルさせ、不幸をアピールするような視線を送ってくる。
鏡を見て何度も練習したんだろう、自分の武器をよくわかっている。
とても可愛らしいとは思うが、それで騙されるのは、キャバクラに行く時くらいしか女にチヤホヤされる機会がないオッサンくらいだ。
「ねえお願いしますよぉ。私だって先輩にお弁当作ってあげたことあったじゃないですか」
「一回だけな。その後十回くらい奢らされたから、もう十分借りは返したろ」
しかもその弁当とやらも、女子にいじめられている所を助けた際のお礼なのだから、借りと言えるのかすら怪しい。
「それにお前に物を奢る男なんて他にいくらでもいるんだから、別に俺じゃなくてもいいだろ」
「……先輩のじゃなきゃ……やだもん」
「え?」
椎名の声が急にしおらしくなり、その言葉がなにを意味するのかを考えて、一瞬頭が真っ白になった。
すると二、三秒経った後――
「なーんちゃってっ! ドキッとしました?」
「……冗談でもそういうことは二度と言うなよ」
思わず語気を強めて警告する。
今の俺にそういう冗談は洒落にならない。
「す、すいません……」
俺の語気に気圧された椎名は、今までの生意気な口調は鳴りを潜めて、大人しく頭を下げる。
「それにホラ、二人だけでいると、その……色々と誤解されるかもしれないだろ?」
「ん? なんでですか?」
俺の言葉を理解出来ない椎名は、怪訝そうに首を傾げる。
「わかるだろ? だって俺には彼女がいるし……」
「あー」
そう、俺には現在付き合っている同学年の女子がいる。
名前は七瀬和美と言い、半年ほど前に向こうから告白してきたことで、この関係が始まった。
俺にとって生まれて初めての彼女だったから、当初は本当に天にも昇る気分だった。
ただ噂によると和美は非常に飽きっぽい性格で、これまで何人かの男子と付き合っても、一ヶ月以上続いたことがないらしい。中には手を繋ぐことさえなく別れた者もいるとか。
関係を長続きさせる為、俺は彼女に喜んで貰おうと、バイトをいくつも掛け持ちして高いプレゼントを買ってあげたり、有名なテーマパークに何度も連れて行ったりもした。
そのおかげか、交際は半年以上続いており、クラスメイトからは「新記録だ!」との称賛を受けたことも。
だが校内でも一、二を争う美少女である椎名と二人きりでいることが知られたら、あらぬ誤解を生みかねない。
「やっぱまずかったですか? 今までそういうこと言わないからてっきり気にしないでいいのかと……」
「そりゃ最初に弁当貰った時はこれ一回きりだと思ったからなにも言わなかったんだよ。まさかこんなにしょっちゅう付きまとわれるとは思わなかったし」
「なんですかその言い方。まるで私がストーカーしてるみたいじゃないですか」
「ああ悪い悪い。ストーカーというよりは寄生虫かな?」
「むっかぁー! 余計酷くなってるじゃないですかぁー!」
侮辱されてカチンときたのか、椎名はフグのように頬を膨らませて激しいブーイングを浴びせてくる。
寄生虫は流石に言い過ぎただろうか。
そんな罪悪感を抱いたのがいけなかったのだろう、つい口を滑らせてしまった。
「まあまあ、悪かったよ。なんか買ってやるから許せ」
俺が財布を取り出して小銭を確認した途端、椎名の表情にパッと明るい笑顔が灯った。
「い、いいんですかぁ!?」
果たしてこれは本人の為になっているのだろうか。
自問自答しつつ俺は、椎名がリクエストした缶コーヒーを買ってやる。
「ほらよ」
半ば投げやりに缶を差し出す。
「あざっす! 先輩ってやっさしー」
「おお有り難く思えよ」
「むーぅ、なにその言い方ムカつくぅ。前言撤回、やっぱり優しくなーい」
「じゃあやっぱ、やんねー」
ついカチンときてしまい、彼女が取ろうとした缶コーヒーをひょいっと遠ざけた。
「ああんっ! 先輩の意地悪ぅ! ごめんなさい、嘘です嘘ですすいませんっ!」
涙目になりながら椎名が謝罪する。
「お願いします! もうしませんから許してくださいっ!」
「二度と調子に乗るんじゃないぞ」
我ながら大人げないことをしたと思うが、黙っていると舐められるので致し方ない。
缶コーヒーを渡してやると、椎名はパッと泣き止み「ヤッター!」と無邪気に笑って受け取った。
「えへへー、ありがたやありがたやー」
そう言って嬉しそうにコーヒーを飲む椎名。
表情がコロコロと変わる奴だ。
「それ飲んだらさっさと帰れよ」
「はーい。でもなんだかんだで優しいですよねー八神先輩って。そういうところが彼女さんに好かれるんだと思いますよ」
「あっそ、お世辞はいいって」
「まあ彼女さんの前ではいつも本性を隠しているんでしょうけど」
「う……」
図星だった。
まだ付き合って半年ということもあり、和美の前ではひたすらよく出来た彼氏を演じていた。ましてやぞんざいな態度を取ったことは一度たりともない。
「もし先輩が女の子を寄生虫呼ばわりする人だって知ったら、彼女さんどう思うでしょうねえ?」
「そんなことバラしてみろ。どうなるかわかってんだろうな?」
「やだなぁ冗談ですよ。こーんな天使みたいな私がそんなことするわけないじゃないですかぁ」
「ペテン師の間違いだろ」
「それに先輩のことだから、どうせ私がバラさなくたってその内ボロを出すと思いますしぃー」
「……お前、本当にいい性格してるな」
などと他愛のない会話をしていると、ふいにショートメールが届いたことを知らせるスマホの着信音が鳴り響く。
「噂をすれば彼女さんですか?」
「いや、中学時代のクラスメイト。今度の日曜にWデートすることになってるんだが、多分その打ち合わせのメール」
実際メールを開いてみると、大体そのような内容だった。が、文章を読んでいく内に、段々とげんなりした気分になってきた。
「……なんかあんまり嬉しくなさそうな顔ですね。どうかしたんですか?」
「ああ、元々そんなに仲の良い友達ってわけじゃなかったからな」
というかぶっちゃけ嫌いな部類に入る。
よく表向きは仲良くしているけど、本人のいない所で悪口言いまくる学校の友達が一人か二人くらいるものだけど、この男――原田はまさにそんなタイプの男だった。
他人にマウントを取るのが大好きな性格で、常に自分が一番じゃないと気が済まない。俺に対しても、まるで自分の子分のように理不尽な態度をとっていた。
卒業後は別の高校に進学したのだが、つい先日偶然にも街中で再会し、その時にWデートの約束をしたのだ。
「なんでそんな嫌な人とデートの約束なんかしたんですか?」
椎名が当然の質問をする。
「まあそう思うだろうな普通。でもこれにはちょっと複雑な事情あってだな」
再会した時、原田は彼女連れだった。
彼女との自慢話を長々と語った後、勝手に俺には恋人がいないと決めつけて、「いやー独り身の奴は可哀想だな」と馬鹿にしたように嘲笑った。
腹が立った俺は、自分にも彼女がいることを伝えたのだが、原田は全く信用しようとせず、「妄想の中の彼女だろ」とか「二次元の存在」とか「彼女ってのはゴム人形――つまりダッチ○イフ――で出来ているのかな?」とさらなる嘲笑を浴びせてきた。
それでもしつこく食い下がっていると、ならWデートして証明してみろよ、と言われ、売り言葉に買い言葉でオーケーしてしまったというわけだ。
「……ふーん。八神先輩って案外見栄っ張りなんですねぇ」
話を聞き終えた椎名が呆れた表情で言う。
「彼女のことをダッチ○イフだの妄想だの、散々侮辱されて黙っていられるか。お前もアイツの話を聞いてみればわかるよ。一分もしないうちにブチ切れるから」
「私はそれくらいのことじゃ怒りませんよ。インド式の瞑想で忍耐力を鍛えてますからね。私が現代のガンジーと呼ばれる日も近いですよー!」
「一体どこの世界に他人にコーヒーを奢らせようとする女子高校をガンジーと呼ぶ奴がいるんだよ」
もちろん俺も最初は絶対に楽しくなさそうなWデートに和美を誘うのはどうかと思ったが、本人に訳を話したら割と乗り気になっていた。
もし当日に原田がなにか変なことを言えば、速攻で帰るつもりだが。
椎名と別れて教室に戻った後、俺は授業の合間に原田への返信で、当日の予定や待ち合わせ場所などを取り決めて時間を潰した。
放課後、帰り支度を始めていると、和美から「話があるから屋上に来て」というLINEが届いた。
メールではなく直接話すということは重要な話なのだろう。
和美は陸上部に所属しているので、別々に帰宅するのが習慣となっている。
果たしてどんな話なのか、思い当たる可能性を想像しながら屋上に赴いた。
到着すると、和美が神妙な面持ちで待っており、その表情から、あまり良くない知らせなんだと察せられた。
「よう和美。待ったか?」
「ううん。今来たところ」
カップル同士にはお決まりのやり取りを早々に終わらせ、いきなり本題に入る。
「で、話ってなんなんだ?」
「うん、それなんだけどね……」
和美は少し言い淀んで、なにやら躊躇う素振りを見せる。
かなり話しにくい話題のようだ。
急用が出来てWデートに行けなくなってしまったのか、あるいは数日前に貸したスティックのりを紛失してしまったのか。
後者だったらいいな。
「あのね侑士……凄く言いづらいんだけどね……」
「なんだよ水臭いな。付き合ってるんだからなんでも気軽に話せばいいじゃないか」
俺がそう催促すると、和美は「そう、じゃあ言うけど……」と前置きをして重々しく口を開いた。
「……ごめん、やっぱり私達別れよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます