物書き女がイチャイチャする話

夜摘

恋のディティール

「やっぱりディティールが違うんだよね…。自分が経験したことと、そうじゃないことを書いた時に感じる明確な違いというか…」


 いわゆる売れない作家である高尾美和は難しい顔をしながらそう唸った。

 対面の椅子に座っているのは彼女のルームメイト。美和よりは随分と垢抜けた雰囲気の…いや、雰囲気どころではなく、実際に髪色や化粧、服装とあらゆる意味で明確に垢抜けている女・北条夏帆は、そんな美和を少しばかり面白いものを見るような目で見ている。


「ふんふん。それで…?」


「やっぱり自分が経験したことのないことを書くのは難しいと言うか…そこに私自身の限界を感じてしまって辛いというか…」


「……つまり、スランプってこと?」


「…ハイ」


「まぁ、作家が体験したことしか書けないなら、殺人事件を扱ってる作家は皆殺人犯だし、不倫物書いてる作家は不倫経験者だし、死にもの書いてたら死んだことあることになるし、SF作家なんて未来人になっちゃうもんね」


「…そうそう…。邪馬台国の時代からの生き残りとか…」


「そう言うディティールを上げるには、とにかく数多くの資料やら作品をインプットしていくしかない気がするけどなぁ」


「そうだよねぇ…」


 アドバイスと言うには良く言えば無難な、悪く言えばありきたりなものであったが、美和本人もその辺りは重々感じていることなのだろう。沈痛な面持ちで頷きながら夏帆の言葉に耳を傾けている。


「勿論インプットするだけじゃなくて、表出する為の技術とかセンスとかもあるんだろうけど―…」


「うう…、センスは… センスに言及されると辛い…」


 何かトラウマでもあるのか?と言う様子で、美和は部屋に転がっているクッション

を両手で抱え込みながら、情けない声を漏らした。


「それで、今は何を書いてるわけ?」


「……」


 夏帆の言葉に美和は決まり悪そうに視線を逸らす。


「何、如何わしいものでも書いてるの?」


「いや、別にそういう訳じゃ…」


「…じゃあ、教えてよ」


「……べ、別に今回のジャンルがどうのって訳じゃなくってぇ」


「何言い訳してんの。なに、官能小説か?????」


「ち、違うってば…!」


 煮え切らない様子でずぐずぐずと言葉を濁す美和に、じりじりとにじり寄り、問い詰めようとする夏穂。

 美和は、あれよあれよと壁際に追い詰められてしまった。

 顔と顔がぶつかってしまうんじゃないかというくらい近くまで追い詰められて、美和の方が先にギブアップの声を上げた。


「あーーーー、もう!分かった!分かったから~~~~!」


「よろしい」


 その声に、満足したようにいったん顔を離す夏帆。


「……GL…」


「え?」


「ガールズラブ!百合ものなの!」


 恥ずかしいのか、ちょっとムキになった様子できゃんきゃんと吼える美和。

 一瞬だけきょとんとした夏帆だったが、赤くなってムキになる美和を確認すると、にんまりと意地悪く、実に楽しそうに表情を緩ませた。


「へぇ~~~~。美和がね…女の子同士の恋愛ものをか~~~」


「な、何よ。別にいいでしょうが」


「そう言うの好きだったっけ?」


「…別にそういう訳じゃないけど…」


「じゃあ、なんで?」


「……いや、BL小説の息抜きで書いたやつが意外と評判が良くて…何か一本書いて見ろって言われてて…」


「ディティール云々言ってたのに本分はBL小説なのかよ…」


「いや、BLは私にとっては完全ファンタジーだから違うの、ディティールとかじゃなくて、夢と言うか希望と言うか情熱と言うか…」


「別にBLもGLも同性同士の恋愛と言う意味ではそう変わらなくない?」


「全然違うの!」


 不思議そうに首を傾ける夏帆に、美和は先ほどまでのオドオドしていた自信のなさそうな態度は何処へやら、お前は何もわかってないな!!!!みたいな面倒くさい強火オタクのソレを見せ始める。


「あ~、わかったわかった…。その分野に興味ないあたしにそんなこと説明しなくていいから、落ち着け落ち着け…」


 どーどーと両手を前にして宥める夏帆。

 美和は自分の好きな物に対する不理解に怒りを覚えているのか、がるると唸っている。


「それで、女同士の恋愛ものに対して何を悩んでるわけ?」


「…そう具体的に言われるとなんか恥ずかしいんですけど…」


「まぁまぁ、スランプだって相談してきたのはそっちでしょ?」


「…まぁ、そうなんだけど……」


「どうせ一人でグズグズしてたって何も解決しないんだからさ、話してみなって」


「…うーん……。いや、BL…つまり男同士の恋愛だともう、どっちの感情も完全に妄想というか、私の中の男性イメージで書いちゃえるし、それが誰かにリアルじゃないって言われたって、うるせー!!!これが私の●●くんなんだ~~~~~!!!って言えちゃうんだけど…」


「そういう時だけ強気になるよね…」


「GLってなると、私自身も女じゃん?だから、キャラクターの思考とかを考えた時に、もし自分だったら…と言うか、女としてどんな風に思考が動くだろうとか考えるとなんだか色々悩んじゃって…」


「美和は真面目だなぁ…。別に男とか女とか関係なく、BLを書くときと同じようにこいつはこう言うやつだ~って書いちゃえばいいのに」


「それはそうなんだけど……」


「?」


「そうやって書いてみてもやっぱり、『こんなの偽物だ~』とか『嘘っぽいな…』って、自分自身が納得いかない感じになっちゃって」


 悩ましげにため息をつく。

 夏帆は最近の彼女の様子を思い出し、なるほど彼女はここ暫くウーンウーン…と良く唸っていたけれど、別にただ唸っているだけではなく、彼女なりに試行錯誤を繰り返し、形にして、その度に何かが違うと振り出しに戻される思いを繰り返してきたのだろう。

 そんな風に悩み苦しんで、自分の作品を生み出そうとしている彼女の姿は、夏帆には少しばかり眩しく思えた。苦しんでいる本人にソレを伝えたところで、悩まないで済むなら本当は悩まないで作品を生み出したいよ!!!というのだろうが。


「そもそもリアリティとかディティールって言い出したら、美和これまでに彼氏居たことなくない?」


 はっと重大な事実に気がついてしまった様子で夏帆が口にした。


「!!!?」


 美和の顔に戦慄が走る。


「……それを言わないでよおおおお!!?うああああああん!!!」


「…ちょ、泣かないでよ。悪かったってば。…いや、ほら…試しに描いた百合小説は評判良かったんでしょ?もしかしたらセンスあるってことかもよ???」


 ぎゃんぎゃん喚く美和の頭を、犬か猫にそうするみたいな手付きでヨシヨシと撫でながら、自分で泣かせたのにそんな風に慰めの言葉をかける夏帆。

 適当な言葉を言っているのか、彼女なりに本気で言っているのかは彼女にしかわからないが、"センスがある"の言葉に、美和の瞳に少しだけ希望の光が宿る。


「ほんと?本当にそう思う?」


「思う。思う。読んでくれた人が何か良いと思う部分があったってことなんだからさ、自信持って良いと思うよ」


「…そ、そっかな?」


「…でも…そうだな…」


「なに?どうしたの?」


「そんなにディティールやリアリティって言うのを美和が重視したいって言うならさ、そういうの、あたしたちでやってみる?」


 そう言って夏帆は、美和の手を取ると微笑んで見せた。


「え?え?」


 そうして、既に壁際に背を持たれている美和に再びジリジリとにじりよってくる。


「…ちょ、夏帆、冗談でしょ?」


「冗談じゃないけど?」


「…え、ちょっ…なっ…」


 いつの間にか反対の手も手首を掴まれて、両手を壁際に押し付けられてしまう。


「大丈夫、大丈夫。怖くない、怖くない」


「いや、滅茶苦茶怖いですけどぉ!?」


「え~?そんな風に言われたら傷ついちゃうな~」


 そんな風に言いながらも、くすくすと笑って、楽しそうな様子で夏帆は美和に顔を寄せ、額に、頬に、耳に、首筋に、ちゅっちゅっとわざと音を立てるようにして唇を押し付けてくる。

 彼女の唇に塗られたリップが自分の肌に着くぬるりとした感触と、夏帆が言葉を発する度に肌の上をゆるりとくすぐるようにしみこんで行く吐息が、美和の羞恥心と背徳感をゾワゾワと刺激して、美和は酷く混乱した。


「…んっ、や、ま…っ、て」


「…ダメ」


 少しだけ夏帆が顔を離して、二人の視線が絡まり合う。

 戸惑いと怯え、羞恥に瞳を潤ませる美和に対して、夏帆の瞳は何処か熱を帯びていて、先ほどまでの悪戯めいた表情とは違い、切羽詰っているような、真剣なものに見えた。


「な、夏帆…」


「……………」


 壁に押し付けられた姿勢のまま、

 美和よりも少し背の高い夏帆が、そっとその端正な顔を近づけてきて、美和は思わずぎゅっと目を瞑った。


「………」


「………」


「………?」


 数秒。

 数分?

 いくら経っても、覚悟した事態が起こっていないことを不思議に思った美和が恐る恐る目を開けると、なんとも言えない複雑そうな表情で目を閉じて、ぷるぷると震えている夏帆の姿が目に入ってきた。


「……夏帆?…夏帆さん?」


「……………」


「あのぅ…?」


「…あー…もう…アンタって本当に…」


「え、なに…なに怒ってるの…」


「いや、良いのよ?あたしは別に?でも、アンタはその気がないならちゃんと拒まないとダメでしょうが!!!」


「えぇ…?????なんで夏帆が自分で勝手にやったのに私を責めるかな????」


「最初は冗談だったけど、アンタが満更でもない顔するからでしょ!!」


「満更でもない顔なんてしてないよ!」


「してたよ!!!!」


「してたかなぁ!?」


「してた!!!!!」


「……………」


「……………」


 お互い、何だこれ…という気分になってきたのか、お互い決まり悪そうにそっぽを向いて黙り込んでしまうが、その顔は赤い。

 互いに相手の顔が赤らんでいることに気がついていないなんてことは当然いのだが、相手のそれを指摘してしまえば、自分の顔にも熱が篭っていることを指摘されてしまうから何も言えない。そんな微妙な沈黙だ。


「……まぁまぁまぁ…、ちょっとは参考になったんじゃない?作品作りの」


 余裕がありますよ~って顔をしたいのか、綺麗に巻いた髪をぱさぁとかきあげながら夏帆が立ち上がって、自室に戻るのだろうくるりと踵を返して部屋から出て行こうとする。


「…え、えぇえ………」


 その背中を見やりつつ、美和は立ち上がることも出来ないまま、ただ戸惑いの声だけが口からは溢れてきた。


 本当に自分の作品作りの為にこんなことしたの?だとか

 誰にでもこんなことするの?だとか

 どうしてキスしなかったの?だとか

 色んな言葉が頭の中をぐるぐると巡ったけれど、

 そのどれも口にするのは憚られてしまって喉の真ん中辺りで止まってしまう。


「………~~~~~~~~~っ…夏帆!」


 かろうじて搾り出せたのは相手の名前。

 夏帆は背中を向けたままビクリと立ち止まる。


「…な、なによ」


「えっと、その」


「………………」


「…………また、詰まったらお願いしても良い?」


「………………え!?」


「………………え?!」


 夏帆が凄い勢いで振り返る。

 美和もその様子を見て、自分が何を口にしたのか、口から言葉が出てきてから気がついたみたいな間抜けな声を上げた。


「それって」


「あーーーーーー!!!やっぱりナシ!!!ナシ!!!今のはナシです!!!」


「ナシにはならないでしょうが!!!!!!!!」



 そんなこんなで、売れない作家・高尾美和と、ルームメイトのキラキラOL・北条夏帆の賑やかな二人暮らしにこれまでにはなかった"作品作りの為"という名目がぶら下がり、二人の関係に明確な変化を齎すことになったりならなかったりするのだが、それはまた別のお話。














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