扁桃体の死臭

破滅

第1話 水槽の中の

僕の名前は田中間宵たなかまよい。平凡すぎる苗字と無駄にカッコイイ名前のアンバランスさに悩む、至って普通の男子中学生だ。

今日も鞄の底から愛読書を取り出す。中世の拷問や処刑の方法が事細かに書かれている単行本を、わざと表紙が見えるように立てて読む。

勘違いしないで頂きたいのだが、これは一般的なサイコパスアピールとは少し違う。言うならばそう、威嚇だ。この淀んだ閉鎖空間教室の中で、所謂“薄っぺらい”奴等が軽々しく絡んでこないよう、敢えて『自分とは関わらない方がいい』と注意喚起しているのだ。僕なりの配慮なのである。

「みんなおはよー!」

突如として教室の扉が騒々しく開け放たれ、キンキンのアニメ声が響き渡る。

クラスは一瞬だけ静まり返り、それからぎこちなくさっきまでの会話に戻っていく。誰も声の主と目を合わせようとしない。平凡な教室は、彼女の登場によって一気に「ヤバそうな酔っ払いが騒ぎ出した時の電車内」そのものへと変貌する。不憫だ。

それを知ってか知らずか、彼女は1人の女子生徒の前に立ち「おはよ、○○ちゃん!」と朗らかに挨拶する。

「あっ、おはよ…鳩代くしろさ…あっ、りんねちゃん…おはよう…!」

…不憫だ。

鳩代りんね。藤色の髪を短いツインテールにした女児のような見た目の彼女は、長めの前髪からでもはっきりと分かるくらいに整った容姿をしている。

これだけ容姿に恵まれていれば恋人はもちろんのこと友達の一人や二人できそうなものだが、彼女はそんな長所を完璧に打ち消すくらい頭がおかしかった。


今年の春…彼女が転校してきて2週間経つか経たないかの頃、クラスで金魚を飼うことになった。休み時間に水槽の前で騒いでいた奴らが段々とその金魚を話題にも出さなくなった頃、鳩代りんねは人の少ない朝の教室で金魚を殺した。

彼女は汚れた水槽の水から金魚を掬いあげて、手の中で金魚が息絶える様を無表情で見つめ続けた。その奇行はあまりにも静かで唐突で狂気的で、僕を含めた数人は何もできずにその光景を唖然と眺めていた。

鳩代りんねの小さな手に包まれた金魚は最初こそびちびちと体をくねらせて抵抗していたが、次第にその力は弱くなり、終いにはぴくりとも動かなくなる。

その光景は、僕の心に奇妙な高揚感と不快感を植え付けた。

完全な静寂が教室を包んだ時、その場で立ち尽くしていた委員長が夢から覚めたみたいな顔をして震える声で彼女を責め立てたのを覚えている。

「な、…何っ…何やってるの、何やって…殺したの?それ…なんでっ…頭おかしいんじゃないの…!?」

鳩代りんねは一瞬狼狽えるような仕草をしたあと、悲しそうな顔で「でも、だって…いもうとが元気ないから。なにか食べたら元気になるかなって、思って」と呟いた。

後で確認したら「いもうと」とは野良猫のことだったし、その野良猫は結局鳩代りんねが金魚を与えるより先に衰弱死していた。僕は、亡骸を抱きしめて子供みたいに泣きじゃくる鳩代りんねと、墓を作ってやった。猫と金魚、2匹分。

「…寿命で死んだんだろ、そいつ。ならまだいいじゃないか」

「全然よくないよ!」

「君が殺した金魚よりかはいい死に方だと思う」

「……だってあの金魚、もう誰も興味なくしてたから。誰にも望まれてないなら、好きにしてもいいかなって…」

僕は閉口した。気味の悪いことに、目の前にいる頭のおかしい女子生徒は、まともな頭の奴らよりよっぽどクラスのことを見ていたのだ。あいつらは自分たちが餌やりを忘れていることにすら気付いていなかったのに。

隣に座り込む彼女の、赤く泣き腫らした目を見る。

自分が埋めた金魚の生臭さと、手の熱でぬるくなった死体の温度を思い出す。

「…君が殺した金魚は、案外悪くない気分で息絶えたのかもしれないな」

薄汚れて濁った水槽からすくいあげられ、誰かの体温の中で息絶える。そう考えると、あの金魚が少し羨ましかった。


僕は鳩代りんねに殺されたい。


そんな馬鹿馬鹿しい思考が浮かんだのは疲れているせいだと思いたいが、その日から鳩代りんねはやたらと僕に絡んでくるようになった。

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