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 智夏の手が直に腹を撫でた。ひんやりとした指先が、焦らすように這う。いつの間にか体勢も逆転し、智夏が覆いかぶさってきている。

「……エエんか? 怖かったら、今日やなくてもエエんやで」

 優しく、問われた。これ以上が何を意味するかなんて、流石に碧だってわかっていて、それでも抵抗なんてしていないのに。智夏は碧を本当に心配し、大切にしてくれている。

「……うん、大丈――」

 ピロピロピロピロ――!!

 頷く拍子に涙が滲んだ碧の頭上で、けたたましい電子音が響いた。

 愛しい人の視線がベッドの上に放り出されていたスマートフォンに向けられる。赤いカバーがついたそのスマホは智夏のもので、まだ鳴っているところを見るに着信のようだ。智夏がスマホを手に取りながら「このクソ野郎、エエとこやのに」と呟いた。

 下側から覗く碧からは着信の画面は見えなかったが、その視線に気付いた智夏はにっと笑って通話を開始しながらスピーカーモードをオンにしてくれる。ついでに頭も優しく撫でてくれた。

『姐さん! 遅くなってすみません。仕事今終わったんで、健斗(ケント)と一緒に向かいますけど、今家ですか?』

 スマホからは男の声が流れてきた。少し音割れをしていて、どうやら走っている車の中からの着信だと思われる。そしてその声には、碧も聞き覚えがあった。確か集まりで会ったことがある男の子だったような。

「悪いな昌也(マサヤ)。後ろの音楽うるさいけど、健斗の車で来てるんか?」

『はい、そうっす。オレのエイトちゃんは仕事場置いて来てるんで、健斗の運転で二人で向かってます』

「りょーかい。うち来てくれたら鍵渡すから、そのまま病院行って私の車持って来て欲しいねん。さすがに日ぃ跨いで置いとくんはマズいし」

『防犯的に良くないっすよねー。大丈夫っすよ。了解です』

「助かるわ。せや! 車持って来てくれたらうちで鍋でもせんか? ちょっと季節的にももう暑いし酒もナシやけど」

『良いっすね。愉しみっす。んじゃ、多分あと二十分もせんうちに着くんで。お願いします』

「はいよー」

 通話を終えた智夏が「騒がしくて悪いな」と申し訳なさそうに薄く笑った。彼女にそんな顔はして欲しくないし、会話内容を聞いていた限り、どうやらあの病院に置き去りにされている智夏の車をこれから来る二人が取りに行ってくれるようなので、むしろ感謝しなければならないだろう。

「ううん、智夏の車取りに行ってくれるってことやんな? なら仕方ないし、鍋とかするなら私は――」

「――良かったら一緒に食べへん? それか、あの子らと一緒やと嫌?」

「っ……嬉しい! 一緒に食べたい!」

 地味で大人しい自分なんかがいたら、きっとこれから来る男の子達は嫌がるだろうと考えていたので、智夏のその申し出が碧にとっては嬉しくて仕方がなかった。きっとこの関係は秘密だろうが、それでもまるで認められた仲のようになれた気がした。

 碧の返事に智夏も満足そうに笑うと、スマホを少し操作してからキスをもう一度くれた。

 今度のキスは少し長めに、そして少しだけ唇を舌でなぞられた。それだけで碧がびくりと震えてしまったので、彼女は笑って離れてしまったのが、申し訳なかった。

「あいつら来たら近くのスーパーに具材買いに行こか。男の子二人やけど、あいつら馬鹿みたいに食う奴らちゃうから、ちゃんと碧が食いたいモンも食えると思うで」

「えっと、昌也、くんって、確か白いかっこいい車乗ってる人やっけ?」

 自分の中の記憶が合っているかどうか本人達が来る前に確認しておきたくて、碧は智夏にこれから来る二人について質問する。

「せやでー。ロータリー乗っとる子やな。気配りも出来るエエ子やけど、いくら男前やからって浮気したらあかんで!?」

「せんし! 智夏の意地悪! えっと、それより……健斗、くんって?」

「多分碧は見たことなかったんちゃうかなぁ? たまに来とる若い子で、あいつはどっちかっていうと見た目以上に中身がチャラいから、あんま関わらんようになー。エエ子なんはエエ子やねんけどー」

 先程の昌也とは大違いの説明に、碧も注意しておこうと心に留める。さすがはヤンチャな趣味な集まりだ。車だけでなく異性関係も派手な人間は、学内なんかよりもよっぽど多い。

「うん、気を付ける」

「多分連絡先は聞かれるやろうから、躱しきれんかったら交換だけして無視しとき。あんましつこかったら私に言ってくれたらエエし」

 こちらを安心させるためだろう。頭をまた撫でられた。碧は確かに不安を感じている。その不安を敏感に智夏は感じ取ってくれている。しかし、彼女はその不安の“中身”までは感じ取ってくれていない。

「う、うん……智夏は、さ……」

「なんや?」

「私が他の異性ってか、その……『一般的には恋愛対象になる相手』と連絡先交換するんって、どう思ってるん? 良いと思ってる?」

 聞く前から、なんとなくだが、彼女の答えはわかるような気はしている。それでも碧は聞かずにいられなかった。

――だって私は、この人に恋してるんやから! 独占欲があるのなんて、恋人なんやから当たり前やし!

「あー、やっぱ碧ってそういうん嫌? 私はべつに、友達関係とかは気にしてないし、連絡先消せとか言われるやり取りって、けっこう苦手なんやけど……」

「消せまでは、さすがに言わんけど……」

――だってそこまで言い出したら、同性も含める私達の関係やときりがないし……

 まだ学生の碧ならともかく、社会人である智夏にそんな束縛は現実問題無理であろう。取引先とのプライベートの連絡先でのやり取りもあるだろうし、これまでの友人関係だってある。そしてその友人関係から派生するこれからの友人達の輪だって、碧が閉ざしてしまうのは違うと思えた。

「これからは連絡先、増やさんとこか?」

「ううん、私は智夏を信頼してる! やから、大丈夫」

 自身に出来る最大限の譲歩であろう条件を優しい笑みで提案する智夏に、碧は首を横に振ってそれを断った。

 愛する人を信じない関係なんて、それはきっと恋“愛”ではないと思うから。束縛はきっと、相手への愛ではないのだろうということは、碧にもなんとなくわかってしまった。だって――

――目の前の愛する人が、私のことを束縛なんてするはずないから。

「ありがとう。碧も気にせんと友人関係は広げていけよ。絶対自分のためになるから」

「うん!」

「じゃ……中途半端になってもたし、今日は“ここまで”か?」

 そう言って笑った智夏の顔は、最高に悪い笑みだ。その発言に顔に熱が集まるのを自覚しながら、碧は彼女の身体を抱き締める。

「……ほんまは、ちょっと怖かった。私、初めてやし……」

「……無理させて悪いな。私は碧とキス出来ただけでも、充分幸せやったで」

 またお互いに甘えるようにしてキスを繰り返す。

 そうやってベッドの上でじゃれ合ううちに二十分なんてすぐに経ってしまうもので、相変わらずけたたましい電子音とインターホンの音が同時に鳴り響いてから漸く、二人はお互いの服装の乱れを直してから客人を迎え入れた。

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