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 玄関の扉を開ける智夏の後ろ姿の先から、二人の男の子が入って来た。

 碧はこれまで、男友達がいたことがないわけではない。それでもこうやって自分の部屋に入れるような関係の相手はいなかったし、そもそも密に連絡を取り合うような相手もいなかった。あくまで大人数で遊ぶ時の友人であって、グループの一員としての関係だった。

「お邪魔っす! うはー、相変わらずえっろい香水っすね! 男惑わすフェロモンムンムン!」

「おー健斗、お前は相変わらずやなぁ。がっついてる男はモテへんで」 

 先に入って来た短い金髪の男が、どうやら要注意人物の健斗だろう。智夏とはそれなりに仲が良いのか、かなり下品なことを言っている。チャラ男らしい派手な身形だが、学内で見る悪ぶっている人達とは違って、立っているだけでも迫力がある。肩幅? 目つき? とにかく佇まいに迫力があるのだ。

 開いた扉から吹き込んだ風は、春といっても時刻はもうすぐ夜を迎えるだけあり冷たい。しかし目の前の健斗は半袖だ。鍛えられた腕からは、ついつい目を逸らしてしまう。

「お邪魔しまーす。健斗のアホがすんません。それにしても姐さんの部屋、久しぶりっすね。あ、“ゴミ”あったらついでに持っていきましょか?」

 がたいの良い健斗の後ろから、同じく短髪の男が顔を出す。こちらは黒髪でしっかりセットされている髪型と合わさり、落ち着いた印象だ。しかし、それもあくまで二人を比べた場合だ。碧からすれば充分チャラそうには感じるが、智夏に対する態度はかなりしっかりしている。細身の身体をしているせいか、健斗とは違い黒の長袖のシャツを着ていた。

「昌也、久しぶりやな。“ゴミ”なぁ、またまとめとくけど、“今”はエエわ。とりあえずこれ、鍵やから、あんたが運転して持って帰って来てや」

 智夏が用意していた自身の車の鍵を投げて渡す。それを男にしては細い腕がしっかりとキャッチ。昌也はにっと笑って「了解」と答える。褐色の肌に笑顔が映える。これは世間一般的に男前と言って良い顔だろう。

「えー! なんで俺やなくて昌也なん!? 俺だって先輩の愛車の具合試したーい!」

「お前は自分のモンで満足しとき。私の愛車、汚い手で触られたないし」

「ひどー!!」

 碧からすれば酷い罵倒に聞こえたが、どうやらいつものじゃれ合いの範疇のようだ。そのまま二人は智夏と――その後ろで固まってしまっていた碧にもぺこりと頭を下げてから、さっさと外に出て行ってしまった。智夏がその後ろ姿に「西口から出ろよー。東口からやと亀なるからな」と言っている。

 二人を送り出してから、智夏が溜め息をつきながら碧に振り返った。

「はぁー、ほんま騒がしい奴等やで。ごめんな、碧」

「う、ううん。いきなりでびっくりしたけど……見た目はちょっと怖いけど、エエ人達、やんね」

 最後に下げられた頭を思い出しながら、碧は笑った。少しぎこちないのは、自分でもわかった。

――あんなヤンキーみたいな子ら、集まりでも近寄らんようにしてたし、しっかり目ぇ合わせたん初めてやもん!

 とにかくいかつい見た目の健斗は、まるで不良漫画の世界から飛び出してきたような金髪――ボサボサだったけど――だったし、昌也は昌也で変に小綺麗な見た目をしていることが、余計にアウトローな空気に拍車をかけている。

――タトゥーとか入ってても、多分驚かんかな……

 ぎこちなく笑ったままそこから何も言わない碧に、智夏は笑いを噛み殺している。

「碧の言いたいことはわかるでー。でもな――」

 そしてそのまま白い細腕が伸びてきて、碧はぐっと智夏の腕の中に捕まった。

「――今からは二人っきりやねんから、他の男のこと考えんなや」

 嫉妬と捉えてしまいそうな言葉をすらりと吐いて、彼女はそのまま碧の手を取りながら続ける。

「さ、近所のスーパーでお買い物デートしよか。碧の好きなもん買おなー」





 智夏の言う近所のスーパーとは、本当にアパートから見える範囲にあるスーパーだった。

 そこまで歩いて向かう間、繋がれた手がとても暖かくて。部屋で見た腕だけでなく、智夏は指先までも“薄い”。細い、ではなく手が薄いのだ。すぐ骨に当たりつくその手を握って、碧は彼女への愛情を更に強く感じていた。

 女二人で手を繋いで歩くことは、そんなに世間的にはおかしなことではないようだ。部屋を出る時から繋がれたその手に、碧は不安を彼女に伝えたのだが、「若い女が手ぇ繋ぐくらい、思春期の延長みたいにしか見られんから大丈夫やって。少なくとも私は、碧と付き合うまではそう思ってたんやし」と笑い飛ばされた。

 確かに彼女の言う通り、全然周囲の目は気にならない。時刻はとっくに夕飯時で、このスーパーにもたくさんの買い物客が訪れている。そんな中ですら二人は、手を繋いだまま仲良く食材を選んでいった。

 会計は何も言わずとも智夏が全額払ってしまったので、碧は申し訳なくてそれでもそれから財布を出したのだが、「年下の女に金なんて出させれへんわー」と笑われた。

 男性陣の分まで買ったので、かなりの額にはなったのだが、智夏はどうとも思ってなさそうな顔をしていた。前に本人が言っていたが、『給料良くても使う暇ないから貯まる一方や』という言葉を思い出した。使うタイミングでは豪快に使っているところを見るに節約家という感じもしないので、本当に使う暇がないのだろう。

「ありがとう。ご馳走様、です」

 家への帰り道に碧がそう伝えると、智夏はまた笑って「なら、部屋では碧の包丁さばきを見せてもらおっかなぁ」と茶化した。

 しかしその言葉に、碧は二つ返事で引き受けることが出来なかった。

「……私、料理とか、出来なくて……」

「へー? お母さんのお手伝いとかでも、せん? ほら、簡単にカレーとか、チャーハンとかでも」

「小さい頃のお手伝いくらいで、包丁って握ったことなくて……」

「……なるほどなー」

 強さの変わらない繋がれた手。隣を歩く彼女の瞳は、ずっと前を向いたまま。

 どこか、痛いところを突かれた気分だった。『料理は女の仕事』、『女のくせに料理も出来ない』なんて今時言う男なんて、碧だってどうかと思う。だが、碧の恋人は男ではない。同じ土俵の、同じ女なのだ。

 ついさっきだって『男並の稼ぎ』で食費を賄われて――碧自身、無意識のうちに『男の役割』と刷り込まれていた行為を受けて、『女の役割』だと信じてやまなかった行為を返せないことが悔しかった。

 どこかで女は男に奢られるのが普通と考えていたのに、女の彼女にその役割だけを押し付けて、自分はその優しさに包まれているだけで良いのだろうか。良いわけがない。だって――

――恋人なんだから。

 女同士だ。恋人だ。だから、年齢の差があろうが、対等になりたい。きっとかっこいい彼女は、碧がそう言えばその気持ちを尊重してくれる。だって、彼女は――優しい恋人だから。

「私、料理練習したい……」

「エエんちゃう? “今”出来ないことは嘆いたって仕方ないから、“これから”出来るようになればエエだけやし。『料理でけへん』って若い子が言うんはまだ可愛げがあるけど、オバハンが言ったら笑えへんからな。お料理教室通うような凝ったん作れんでエエねん。ただ簡単な家庭料理を作れたらそれでエエんやって」

 気が付いたら彼女の瞳は碧を向いていた。その強い瞳には、いつも吸い込まれそうな魅力が宿っている。そうだ。自分は、この瞳がかっこよくって、恋をしたのだ。

「智夏は、何の料理が好きなん? それ練習する」

「……なら、応用利く肉じゃがって言っとこかな」

「もう! 真剣に答えて」

「あんま好き嫌いってないからなぁ。碧が作るもんならなんでも食べるでー。ま、今日は私が用意することになりそうやけどなー」

「ごめん……」

「碧はこれから、な。めんどくなったら昌也にやらせよー」

「えっ? 昌也くん、料理出来るん?」

「あいつんとこは兄貴も料理それなりに出来るからなー。見栄えとかまで考えたら、私より上手いで」

 意外だった。あんなアウトロー全開な人でも料理が出来るなんて、と若干失礼なことを考えながら、碧はここに決意する。

――絶対、料理出来るようになる! 人並くらいには……

 最後には少し弱気になってしまった碧の心の内を見抜くように、智夏が笑いながら「何事も、焦らずに、やで」と言ってくれた。

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