第31話 決戦! ヨハネスVSアビル 下

「あれ、何が起こったんです……? 突然アビルが消えたと思ったら、下で大爆発が起きたですよ?」

『ま、今のは天使ちゃんの動体視力じゃ見えなかったとしても仕方ないわね』


 そこでユイシスは、今しがた起きた出来事を手短に解説する。


 アビルが得物を振りかぶり突っ込んできた瞬間、剣の腹で、ハエ叩きの要領で、侵食する右腕ソード・イーターによってヨハネスの右腕を動かすフラムが、アビルの脳天に強烈な一撃を振り下ろしたのだ。


 直後、中央広場には雷の迅槍サンダー・ランスが放たれたような爆撃音が轟き、町には巨大な墓穴が出来上がったというわけだ。


「あれ……生きているんですか?」


 相変わらず恐ろしい程の威力を放つ右腕だと思いながらも、ヨハネスは口にする。


『うーん……悪魔と融合してるみたいだし大丈夫だとは思うけど、間違いなく重症ね』

『軽く小突いただけではないかッ、情けないッ!』

『あんたの軽くは洒落になってないのよ!』

「おーい、アビル! 生きてたらちゃんと返事するですよー!」


 地上に降り立ち、ヨハネスは大きな穴を覗き込み律儀に声をかけた。 


 その近くで同じように穴の中を覗き見るモルガンは、焦った様子で穴の中へ滑り下りていく。


「ちょっとアビルッ、しっかりしなさい! あなたまだ全然贖罪の剣を振るってないのよ? これでは実験にならないじゃない! 偉そうにしていたんならそれなりに役に立ちなさい!」


 アビルを掴み起こすモルガンは、揺すって往復ビンタを繰り返す。次第に穴の周辺には角砂糖に群がる蟻のように人々が集まり、怖いもの見たさに覗き込んでいる。


「恐ろしいほどの一撃じゃったの。あれで木っ端微塵に吹き飛んどらん彼奴も驚異じゃわ」

「天使さま、本気出したら山を斬る」

「さすがは我が主にござるよ」


 崇める者や感服する者、様々な反応を示す人々が驚いたように一斉に息を呑む。


「……うぅっ、ぐぅッ」

「あらあら。まぁまぁまぁ。よく戻ってきたわね。って、ちょっと!?」

「認めッ、ん……認めてなるものかッ!」


 意識を取り戻したアビルが満身創痍の体で立ち上がると、そのまま雑にモルガンの手を払いのけた。彼の右手には、今も張りついたように贖罪の剣が握られている。


「――――っ」


 そして彼の視線は、今も寸分の狂もいなくヨハネスに向けられていた。


「俺はエンヴリオン帝国次期皇帝なのだぞォッ! 貴様なんぞにッ、貴様なんぞに負けるはずがない! あってなるものかァッ! そんなバカな話があるかぁぁああああッ!!」


 アビルは血と共に執念の雄叫びを吐き出した。


「はぁ……はぁ……」


 ぜぇぜぇと肩で息をするアビル。


「――――!?」


 そんな兄を見つめるヨハネスの美しい碧眼が、驚愕に大きく見開かれた。


「…………?」


 カランッと音を立てて転がった贖罪の剣に視線を落としたアビルは、自身の指先が灰となっていることに気がついた。


「なんだ……これはッ!? ……モルガン! どうなっている! 説明しろモルガンッ!?」


 指先から手首、肘と徐々に進行していく灰化現象。それを確認したモルガンは、ベールの奥で深く嘆息した。


「……あらあら。まぁまぁまぁ。やはり不完全。思った以上に発動時間が短かったのは、著しく体力を失ったからなのかしら? それとも素材が悪かったのかしら? いずれにせよ、駄作ね」


 冷静に分析しては肩をすくめる女に、アビルは声を荒げながら詰め寄る。


「どういうことだモルガンッ!」


 彼女へと伸ばした左手を、今度はモルガンが不潔なモノを見るような目で一瞥し、振り払った。


「!?」

「あらあら。穢らわしい死体が気安くわたくしに触れないでもらえるかしら?」

「貴様ッ、何のつもりだ……!?」

「使えない人族に興味はないの。それよりも……」


 ベールの奥の瞳には、第5皇子ではなく第7皇子が興味津々と映り込んでいた。

 それを見たアビルは、憂鬱そうに顔を歪める。


「貴様もかッ……。貴様も俺ではなく奴を選ぶというのかッ!」


 贖罪の剣を手放したことにより、アビルは歪な悪魔の姿から本来の人の姿へと戻っていた。空を覆っていた闇もすっかり消え失せ、頭上には蒼窮が広がっている。


 しかし、アビルの中の闇は広がり、濃くなる一方。


 肉体が消滅する恐怖よりも、怒り・憎しみといった黒い感情がそれを上回り、身体中から殺意が噴き上がる。


「あらあら。まぁまぁまぁ。辺り構わず吠えては噛みつく、皇子というよりも、みっともない野良犬――狂犬の方があなたには相応しいわね。さすが娼婦の息子ね」

「黙れぇッ――!!」


 湧き上がる怒りのままに得物を拾い上げたアビルが、自分を苔にした女に襲いかかる。


「あらあら」


 呆れたようすのモルガンは、軽い身のこなしでそれを躱すと、大きく後方に跳んで穴の外側まで退避する。


「皆殺しだッ! 貴様ら全員皆殺しにしてくれるわァッ!!」

「まぁまぁまぁ。死ぬのはあなた一人よ……アビル」


 悪魔化が解けても、アビルの灰化現象は止まることはない。

 右側はすでに二の腕辺りまで消えていた。


「あれ……止まらないんですか!?」

『ああなってしまっては最早手遅れだッ』

『身の丈に合わない力はいずれその身を滅ぼすの。あれが限界を迎えた者の末路よ』


 消えゆく体に視線を落としたアビルが、狂ったように笑う。


「ククッ――俺が死ぬ? 違うな。俺は17年前にとっくに死んでいる。あの日、母が、端女が粛清された日、俺も消えるはずだった。これは夢なんだよ。マリーヌあの女が俺に見せたどうしようもなく残酷な夢。王に、皇帝になるまで覚めることのない悪夢」


 アビルの言葉を受け、ヨハネスの脳裏にはあの日の母、マリーヌの姿が過った。



「その場限りの施しや優しさでは、決して誰も救えないのです――」



 今に思うと、母のこの言葉は自分自身への戒めだったのかもしれない。


 救うのならば子だけではなく、母子共に救わなければ、永遠の悲しみを生むだけなのだと。


 それができないのであれば、はじめから手を差し伸べるべきではないと。

 泣くことも甘えることもない幼いアビルを見て、マリーヌも思い悩んでいたのかもしれない。


 救った気になって満足しているのは、いつだって救った本人だけだ。

 中途半端に救われた者の気持ちなど、英雄は考えもしないだろう。


 だから皇帝になる必要がある。


 最後まで責任をもって救う。

 状況を変えることのできる者は、この世界の王だけなのだから。


「俺の悪夢は直に覚める。何者にもなれなかった俺は世界の片隅で灰となる。だけどッ、一人では逝かんッ! せめて貴様も道連れだァッ、ヨハネスッ!」


 悪夢みたいに消えゆく男が、凄まじい雄叫びを上げながら突っ込んでくる。

 砂塵を巻き上げ、殺意を剥き出しにした鬼のような形相で迫りくる。それを正面から迎え撃つように見据えたヨハネスが、小さく囁いた。



「精霊さん、お願いがあるです。侵食する右腕ソード・イーターを解いてほしいです」



 突然のヨハネスの申し出に、フラムは激昂した。


『何を言っておるのだッ! まだ10秒あるのだぞッ! それだけあれば――』


 小さく首を横に振ったヨハネスの決意は変わらない。


「僕が、僕の手で決着をつけなきゃいけないんです。これだけは、誰かに代わってもらう訳にはいきません。世界皇帝になるため、僕が背負うと決めたんです。僕が背負わなければいけないんですッ!」

『………』


 フラムの言葉を遮ったヨハネスの声には強い信念が込められていた。誰にも曲げることなどできない揺るぎない信念に、大柄の男は腕を組む。


『勝手にしろッ!』


 フラムは奥歯を噛んで不機嫌に吠えた。

 それと同時に、ヨハネスの右腕には感覚が戻る。


「ごめんなさい。……ありがとうです」


 得物を振りかざし、駆け上ってくる兄を見据える弟。


 ヨハネスは様々な思いを剣身に乗せ、小さく腰を落とす。


 頭の中には母マリーヌのこと、ヴァイオレットのこと、そしてあの誕生際のことが次々と、移り変わる景色のように過ぎっていく。


 不意に壁にもたれ掛かり、目を逸らした兄が呟いた言葉を思い出す。



「おめで、とう……」



 兄が弟にかけた最初で最後の優しい言葉、その一言を胸に抱きしめて、今ッ!

 ヨハネスはすべての想いをその黒き刃に込める。



「ヨハネェェエエエエエエエエエエエエエスッ!!」



「アビルゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!」




 紫電一閃。

 振り抜いた刃は嘘みたいに軽く、血などという人間らしいものが飛び散ることはない。

 斬った先からボロボロと灰に変わり、風に流される。


 その中で、


「ククッ――」


 あの悪魔みたいな笑い声が不意に耳をなぜた。


 それが彼の、ヨハネスが聞いた最後の兄の声だった。


「………っ」



 エンヴリオン帝国皇位継承順位第5位、アビル・ランペルージュ――死去。

 享年17歳であった。

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