第32話 ベールの下の素顔

「逝ったんですね」


 千の風に乗って舞い上がる灰を目で追ったヨハネスは、何とも云えない表情で空を仰ぎ見る。


『安心するのはちょっち早いんじゃないかしら、天使ちゃん』


 かつて兄と慕った者の死を悲しむ暇も、その罪を噛みしめる一時さえ、ヨハネスには与えられなかった。


「天使さま、あいつ危険」

「あの者からは嫌な臭いがプンプンするでござるよ」


 ユイシスのいう通り、まだ黒ずくめの女――モルガン・ル・フェが残っているのだ。


 ヨハネスを守る形で、ロザミアとフェンリルが透かさず無防備な彼の前に飛び出した。

 威嚇する二人にモルガンは小首をかしげる。


「あらあら、まぁまぁまぁ。わたくしには殿下と争う気はありませんのよ。それに、ほら! 殿下もわたくしとは争いたくないはずですわ」


 地面に転がる忌々しい剣を睨みつけ、ヨハネスは拳を固く握りしめて指の肉に爪を立てた。


「あの歪な剣をアビルに授けたのはあなたですね。ならばあなたを許す訳にはいきません!」

「では、殿下はわたくしを殺すと? そう仰るのかしら? うふふ。殿下にできるかしら?」

「何が言いたいんですかッ!」

「あらあら。これを見てもまだ、そのような態度が取れるかしら?」


 不敵に笑った女が緩慢とした動作で素顔を覆ったベールに手を伸ばす。


「――――!?」


 途端に蒼ざめた顔に血管が膨れ上がり、ヨハネスは血の気の引いた唇をわなわなと震えさせる。


「あぁ……そんな、なんでぇッ!?」


 心臓を槍で貫かれたように、全身の力が抜け落ちていく。手のひらからは聖魔剣がこぼれ落ち、耳をつんざく悲鳴がカオストロス中に響き渡る。



「うそだぁぁあああああぁぁぁあああああぁぁああああぁぁぁああああああッ!?!?」



「「「!?」」」


 ヨハネスの絶叫に一同驚愕。


「どうしたでござるかヨハネス殿!?」

「天使さま!?」


 モルガンの素顔をみたヨハネスが、取り乱して錯乱してしまった。


「なんでッ、どうしてぇッ!?」

「うふふ。だから言ったではありませんか、わたくし……殺していないと」


「どうしてなんだヴァイオレット!!」



 朦朧とする意識、霞む視界。その中でヨハネスはたしかに銀色の髪に金の瞳をした女――ヴァイオレットをその碧眼に映していた。


「ヴァイオレットじゃと? ……まさか!? 貴様モルガンッ! 選りに選って殿下の知り合いをッ、許さんぞッ!」

「あらあら、マルコス。あなたもすっかり殿下にご執心ね。ええ。ええ。分かるわよ。あれだけの力を秘めた人族。わたくしの知る限りそんな人族はこの1000年で一人だけ、あの忌まわしき女の飼い犬くらいだもの」

「あの女……? 飼い犬……? 一体何のことじゃ!」

「うふふ。あなたには知る必要がないことよ。でもそうね。アビルは使い物にならなかったけれど、一つだけ褒めてあげたいの。だって、ヨハネス殿下がこんなにもご執心な彼女を、わたくしの器として差し出したんですもの」 



(器、彼女……? 一体ヴァイオレットは何を言ってるんです!?)



 全身の力が抜け落ちてしまったヨハネスは、ただ茫然とヴァイオレットを目で追うことしかできなかった。


「貴様ッ、このようなことをしてただで済むと思うでないぞッ!」

「ええ。ええ。だけど今日はこの辺にしておきますわ。いずれ魔女の茶会にてお会い致しましょう、殿下。それでは、また」

「待たんかモルガンッ!!」


 左手薬指に嵌められた指輪が燐光を放つと、モルガンの体はあっという間に霧となって雲散霧消。姿をくらました。



 ヨハネスはただ、茫然とそれを見ていることしか出来なかった。

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