第26話 帝国の花と碧眼
「ご、ごゆるりとお寛ぎください」
明日のマルコス公開処刑の見届け人として屋敷に招待されていたヨハネスは、現在食堂にて侍女たちからもてなしを受けている。
アビルたちはあれ以来、一度も姿を見せていない。
「う、美味いでござるよヨハネス殿ッ! 食べないなら、その肉拙者が貰うでござるよ?」
勢いよく料理を口に運ぶフェンリルとは対照的に、ヨハネスは一切料理に手をつけていない。
とても食事をする気分にはなれなかった。
「お、お口にお合いになりませんでしょうか?」
恐る恐る声をかけてきたのは十代後半ほどの侍女。肌は不健康なほど青白く、存在感が希薄でどこか幽霊っぽい。風呂も入らず伸び放題の前髪で、目元が半分隠れていた。
(片目……?)
少女の不自然な髪型は隻眼を気にしてのことだろう。よく見れば凄まじい美人である。さらに侍女にしては肌荒れ一つない綺麗な手をしていた。
「いえ、それよりこの屋敷の主は不在なのでしょうか?」
「あっ、いえ、その……あの」
侍女は目に涙を溜め込みガタガタと震えるだけで、何も答えなかった。
部屋の隅に待機していた侍女たちも同様だ。
ヨハネスは侍女の顔をよく見ようと手を伸ばし、前髪を手で持ち上げた。
「ひぃっ!?」
少女は殴られると思ったのだろう、瞼を瞑り、くちびるの端を神経質にピクピクさせていた。
「失礼ですが、貴方はロール子爵の娘では?」
随分と雰囲気が変わっていたが、ヨハネスは過去に舞踏会で彼女を見かけたことがあった。
「私を……覚えておられるのですか?」
「もちろんです。お父上はとても明哲な御方だとお聞きしております」
「……」
二人の皇子。
その異なる対応に驚く少女は、皇子が父に敬意を払ってくれたことが嬉しくて、思わず手で口元を押さえて泣き崩れてしまった。
そんな少女に優しく微笑んだヨハネスは、膝をついて手拭を差し出した。
「帝国男子たるもの常に紳士に、帝国淑女たるもの常に花のように、です」
「……このような醜き姿では、もう花にはなれません」
手拭を受け取り顔を隠してしまった少女に、ヨハネスはそんなことはないと告げる。
そして、そっと立ち上がる。
それから部屋の隅に待機していた侍女たちに微笑みかけた。
「お、お許しをっ!?」
サッと腰から剣を抜いたヨハネスに、侍女たちは短い悲鳴を上げながら腰を抜かしていく。
『この者たちに光の加護を――アーメン』
ヨハネスの意思を汲んだユイシスが聖光魔法で少女たちの傷を癒していくと、体中の痣が、失った右目が元通り再生される。少女は驚愕に言葉を失っていた。
「そんな……」
失ったはずの目が、少女の両目が捉えたものは、天使のように微笑む少年の姿だった。
「やはり、とても美しい花です」
涙が止まらない少女のもとに、傷が癒えたことに歓喜する侍女たちが駆け寄ってくる。
「パンネロお嬢さま!」
ヨハネスは彼女たちが泣き止むのを待ってから、なぜ子爵の娘がこのようなひどい仕打ちを受けているのかと尋ねた。
侍女たちからパンネロと呼ばれた少女は、ゆっくりとではあったが、ここに至るまでの経緯を話し始めた。
それは今から4ヶ月ほど前のことだという。
突然町へやって来たアビルに屋敷を乗っ取られたパンネロの両親は、これはいくら何でも横暴だと抗議した。
その翌日――二人の首は町の中央広場に晒されていたという。
以来、町はアビルによって支配されてしまったのだと、パンネロは涙ながらに語ってくれた。
「悪魔みたいな人間でござるな」
もう肉の付いていない骨をいつまでも名残惜しそうに咥えるフェンリルを一瞥したヨハネスは、
「神さまお行儀が悪いですよ!」
ようやくいつもの調子が戻ってきたようだ。
「ヨハネス殿下! どうか今すぐお逃げください! あれは悪魔にございます!」
パンネロは涙ながらに訴えた。
「私たちは聞いたのです!」
「何を聞いたんです?」
「明日の処刑の際に殿下を異端に仕立てあげ、あの悪魔は大勢が見ている前で大義名分を掲げて殿下を亡き者にするのだと。ですからどうかお逃げください! この腐った国をお救いできるのは殿下のような聡明なお方だけなのです! どうか生きてこの国を――」
「それ、本心ですか?」
「へっ………!?」
調子外れな声と質問が言葉を遮れば、パンネロはびくりと肩を震わせる。
ヨハネスはとても真剣な表情でパンネロへと向かい合う。
そして、自分の気持ちを吐露する。
「僕も、母上と友人――ヴァイオレットを殺されたです。それも兄上と慕っていた人にです。昔からどれだけ冷たく突き放されても、僕は兄を嫌いになれなかったです。だって母は違えど兄弟なんです。簡単には嫌えません。ですが、今は違います。正直、僕はアビルが憎いです。心の中で生まれたこの黒い感情が、情けないことに、自分ではどうすることもできないくらい醜く膨れ上がっていくのが分かるんです。僕はきっと、貴方が思うような聡明な人ではありません。だって、こんなにも、僕は憎しみに囚われてしまっているんですから」
年端もいかない男の子が、皇子という立場にある少年が、体裁を気にすることなく真実を口にする。とても醜い本音を。
それなのに自分はこの期に及んでまだ、体裁を気にしている。
誰かを怨むことなど淑女としてあってはならないと、そのようなことを軽はずみに口にする人間は恥じるべきなのだと。
何より、更なる報復を恐れて立ち上がれずにいる。父を母を殺されても尚、自分可愛さに嘘をついてしまった。それが恥ずかしくて、弱い自分が情けなくて、パンネロは涙が止まらなかった。
「でもッ! それでもきっと、前を見る努力をしなくちゃいけないと思うんです。失ったものは数えきれなし、憎しみは消えないかもしれないけど、心までも奪われてしまってはダメなんです! 失ったものではなく、この手の中に残ったものを守ることこそが、今を生きるということなんだと、僕は思います」
「今を……生きる?」
「はい! そのために僕は戦うです! 大切な人がお腹いっぱい食べて笑える世界にするため、この不条理な世界と戦うと決めたんです! 心を失った者たちに、僕は反逆の狼煙を上げると誓ったんです!」
一度は失い、消えたはずのパンネロの瞳が再び捉えたものは、蒼天のように穢れ一つない信念を灯した碧眼である。
「私も……殿下のように戦えるでしょうか? こんな私にもまだッ、できることがあるのでしょうか!」
「もちろんですよ! 貴方には優しい心があるじゃないですか」
「……ヨハネス殿下」
これが後に、ヨハネス・ランペルージュが灯した反逆者の灯火、その最初の火であるとされる。小さな港町から上がった炎は、やがて帝国全土を巻き込み、世界を巻き込んだ波乱の時代の幕開けとなる。
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