第25話 兄弟
指揮官の男に案内されるがままにヨハネス一行がやって来たのは、町の高台に位置する大きなお屋敷。
「………」
門前で出迎えてくれた侍女たちに視線を走らせたヨハネスは、眉の辺りに嫌な線を刻んでいる。
(ひどい怪我です)
侍女たちの体に刻まれた夥しい数の痣を見て、ヨハネスは思わず下唇を噛んだ。
「私はここで失礼致します、殿下」
ほくそ笑みながら頭を下げる男に目礼、ヨハネスはそのまま屋敷に足を踏み入れた。
「――――!?」
長い廊下を歩くヨハネスの表情が見る見る険しいものに変わり始めたのは、視線の先にとある人物を発見してしまったからだ。
不敵に笑みを浮かべる兄――アビル・ランペルージュを。
「兄上っ……マルコスさんとヴァイオレットを返すです!」
冷静に話をしようと決めていたヨハネスだったが、いざアビルを目の前にすると頭の中が真っ白になる。人を食ったような態度のアビルに反射的に声を荒げてしまう。
「……マルコス? ああ、あのジジイか。あれは神に仇なす異端者と聖光教会によって正式に認定された。異端は例外なく死罪だ。そうだろ、大司祭よ?」
冷ややかな、意地の悪い微笑みを口元に浮かべたアビルが視線を隣の部屋に向けると、そこから目付きの悪い老人が骨付き肉を咥えながら出てきた。
「ああ、はいはい。その通りですわ」
白と黒の神父服に身を包んだ老人は、一目で聖光教会に属する人間だということがわかる。
「ちょっと待って下さい! マルコスさんが異端とはどういうことですか!? 変な言いがかりはやめるですよ!」
マルコスの潔白を訴えるヨハネスの声を遮るように、大司祭は大きな咳払いを一つした。
「お初にお目にかかりますわ。ヨハネス第7皇子でよろしかったですな。わすは聖光教会より派遣された大司祭のベン・アフレと申しますわ。この度、アビル殿下から元断罪のメンバーを捕らえたとの知らせを受けて馳せ参じた次第ですわ。知っておりまっしゃろか? 奴らは
「……っ」
聖職者とは思えぬ鋭い眼光が突き刺されば、ヨハネスはたまらず息を呑んだ。
再びアビルに視線を戻したヨハネスは、愉快そうに肩を揺らす兄を視界に収める。そのうす笑いはまるで世間知らずの弟を小馬鹿にしているようだった。
「!?」
その顔を見てようやく、ヨハネスは兄――アビルにハメられたのだと知った。
『やられたわね』
一連のやり取りを見ていたユイシスは、相手はかなりの策略家だと爪を噛んだ。
もっと自分が助言すべきだったと、密かに後悔していたのだ。
『やられた……? 一体何のことだァッ!』
人族の事情に疎いフラムは会話の内容が理解できず、この状況を説明しろとユイシスに詰め寄った。
『聖光教会は元々あたしがいた教会なのよ』
『それがなんだというのだァッ!』
『人間ってのは神に祈りを捧げるものなのよ。神の声を唯一聞くことができ、神に愛された存在が勇者と呼ばれるの。世界人口の約80%が女神信仰者であるならば、ここで聖光教会と揉める訳にはいかないでしょ?』
『なぜだッ、なぜ揉めてはならんッ! まったく意味がわからん!』
『聖光教会と揉めるってことは、神に敵対する行為とされるからよ。それは即ち邪教。例えこの先天使ちゃんが世界皇帝になったとしても、人々は邪教疑惑のある皇帝には絶対に従わない。人間の王とは人に認められてはじめて王になれるの。ましてや世界革命を望む者ならば、人々からの支持は絶対条件となるはず。恐怖による支配は天使ちゃんの目指すものとは違うってこと。それだと今と何も変わらないでしょ?』
『だがッ! 此奴は世界と戦うと誓ったのだぞォッ!』
フラムにもユイシスの言っている言葉の意味は理解できる――が、やはり人族と魔族では根本的に考え方が違う。
ヨハネスが恐怖統治を望まないことはこれまでの言動から察していた。
しかし、理想を築くためにはいかなる手段を用いたとしても目的を達成することが第一だと考えるのが魔族。
一方人族にとっても目的達成は重要だが、人族はそこにたどり着くまでのプロセスを大切にする種族である。
目的を達成した後、これからは心を入れ替えると宣言したところで、人々がこれまでの行いを赦し、受け入れることは考え難い。
一度でも恐怖を植えつけられた者の心から、恐怖対象となった者を取り除くことは至難の技である。ましてそれが世界中の人々となれば尚更だ。
『だ・か・ら・あんたと天使ちゃんの世界と戦うには解釈の齟齬があんのよ』
『解釈の齟齬だとッ!? そんなものあるかァッ!』
『天使ちゃんの言った世界と戦うってのは、世界の理不尽と戦うってことなのよ。それに対して、あんたの戦うは文字通り世界を破壊するってこと。わかる? 全然違うのよ』
『喧しいわァッ! 貴様の意見など聞いておらんッ!』
不貞腐れてそっぽを向いてしまったフラムに、やれやれと頭を振るユイシス。彼女はひとます外に目を向け、ヨハネスがこの状況をどう乗り切るかを見守ることにした。
「なら……ヴァイオレットはどこに居るのです。彼女をすぐに解放するですよ!」
「あの強情な女か」
わざとらしく顎先に手を当てたアビルは、考える素振りでヨハネスを一瞥。
不安気な彼を確認してから、嫌味っぽく口端を持ち上げた。
「死んだ」
そして、吐き捨てるように言った。
「………は?」
一瞬、世界の時間が停止したかのように止まるヨハネス。
「しん……だ?」
頭の中が真っ白になり、やがてヴァイオレットとの思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
それが少しずつ元に戻ると、ほくそ笑む男が視界に映る。
刹那、ヨハネスは無意識のうちに右手人差し指をアビルへと突きだし、体中の魔力を
「殺して……やるですッ!!」
涙を浮かべたヨハネスの瞳の奥には、強い憎悪が燃えている。
憎しみの感情に駆られたその顔は、鬼か悪魔が乗り移ったのかと思わせるほどである。
しかし次の瞬間、
「あらあら。まぁまぁまぁ。兄弟喧嘩はいけませんよ」
音もなく忍び寄った黒ずくめの女が、ヨハネスの突きだした右腕にそっと触れた。途端に魔力はかき乱れ、指先に集約した光は霧状となって弾け消えた。
(――誰です!? 一体いつの間に……)
「余計な真似をするなッ!」
困惑するヨハネスに睨むような流し目みたいな目つきのアビルが、決定的な行為を止めたモルガンに怒鳴り声を上げた。その手には短剣を隠し持っていた。
「あらあら。楽しみは明日まで取って置かなくては、つまらないですわよね?」
「……まぁよい。精々明日を楽しみにしておくのだな」
身を翻して嘲笑うアビルが、屋敷の奥に消えていく。
「――待つです!」
ヨハネスは大声でアビルを呼び止めた。
少年にはどうしても確かめておかねばならない事があった。
「母上を毒殺したというのは事実ですか!」
「くどい。殺したと言ったはずだッ!」
去りゆく背中を睨みつけては奥歯を噛み、ヨハネスは震える全身に力を込めた。
無意識に腰の長剣に手を伸ばしたヨハネスだったが、わずかに残った理性が少年を押し留める。
「あらあら。我慢強いのですわね。うふふ」
嫌な声が耳に張りつく。
どこか懐かしさすら感じさせるその声に嫌悪感を覚えるヨハネスは、警戒するように女から一歩身を引いた。
本能でこの女は危険だと感じ取っていたのだ。
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