第16話 魔石の中の怪物

「あ、もう大丈夫ですよ」

「ひぃぇっ!?」


 声をかけられた村人たちは、怯えた様子で羊の群れのように大移動。ヨハネスから一斉に距離をとる。


(余程恐ろしかったのですね)


 ヨハネスはすっかり荒れてしまった村を見渡し、無理もないと眉をしかめた。


「お師匠」


 感情の起伏が乏しい少女は老人に駆け寄り、捨てられた仔犬のような哀しげな目をしている。


 少女の小さな白い手に触れた老人の口元が、わずかに動く。


「ロザミアよ……わしは、わしは……もう、ゲホッゲホッ――」

「嫌っ、お師匠……死んじゃダメ」


 蓄えられた髭を血に染めた老人が儚げに微笑むと、『この者に光の加護を――アーメン』天から一条の光明が老人に降り注ぐ。

 光は瞬く間に老人の傷をあれよあれよと癒してしまう。


「あれ……?」


 目をぱちくりさせた老人がバネのように起き上がると、体の調子をたしかめるようにその場で屈伸運動を繰り返す。


 今の今まで死にかけていた老人がとる行動とは思えぬ動きに、



「「「えええええええええええっ!?」」」



 村人一同、目を白黒させていた。


「わし……なんか治っちゃったみたい」


 照れ臭そうに笑った老人が弟子にピースサインを掲げると、「奇跡……」唖然とする少女が呟く。


「あ、消えちゃいました」


 エンジェルモードが解除されてちょっぴり残念そうなヨハネスは、気を取り直して少女へと歩み寄り、その肩にそっとコートをかけた。


 少年に畏敬の念を抱く少女は、すっかり彼を尊崇の眼差しで見つめていた。


「……天使さま」


 老人はうっとりした相好で少年を見つめる孫のような弟子に、複雑な表情を浮かべている。


 それからマルコスは伸びた長身痩躯の男を小枝で突つく少年へと向かい合う。


「失礼ですが、貴方さまは?」

「僕はヨハネス・ランペルージュといいます」

「ランペルージュじゃと!?」


 皇族の姓を口にしたヨハネスに驚きを隠せない老人だったが、すぐにわからないといった様子で髭をなでた。


 そして懐疑的な目をヨハネスに向ける。


(なぜ皇族がわしを助けるんじゃ? そもそもなぜこんな辺鄙な村に皇子がおる? それに先ほどの尋常ならざるあの力、あれは一体……)


「失礼ですが、見たところ近くに従者のお姿が見受けられませんが、殿下お一人でこのような辺鄙な村に来られたのですか? でしたら、何用で?」

「ここへ出たのはたまたまです」

「出た……? はて、変わった表現ですな」

「いえ、その、うーん……と、ちょっとこっちに来てください」


 アブレットを縄で縛ってから、ヨハネスは例の厩舎まで村人たちを先導した。

 口で説明するより実際に見せた方が早いと判断したのだ。


「なんと!?」


 ヨハネスは穴を指差し、自分は地下迷宮からやって来たのだと説明する。


「村の下にこのようなダンジョンがあったとは」

「この村に魔具職人エンジニアなんて……いませんよね?」



 驚く村人たちに、ヨハネスはあるいはと思い尋ねてみる。


「お師匠、世界一の魔具職人エンジニア


 するとまさかの返答が少女より返ってくる。


「本当ですか!?」


 しかし、皇子が魔具職人エンジニアを探していると聞いたマルコスの表情は優れない。


 先日の第5皇子同様、道理に反した魔具の製作を命じられると警戒していたのだ。


「すまんが、わしは――」

「これを見てほしいです!」


 無理難題を言われる前に断ろうと口を開いたマルコスだったが、それを遮るようにヨハネスは鞘に収まった剣を老人へと差し出した。


「……はて、この剣を見ろと?」

「はいです! ここの魔石をちょっと覗いてみてください」

「ここを、ですかな? ……なっ、なんじゃこりゃ!?」


 魔石を覗き込んだマルコスは仰天する。

 魔石のなかには禍々しい悪魔のような男が邪悪な笑みを浮かべていたのだ。


 男と目があったマルコスは、体中の血液が逆流するほどの恐怖に襲われてしまう。恐ろしさのあまり無意識に歯はガチガチと音を鳴らした。


 一瞬で息もできぬほどの恐怖に支配されたマルコスだったが、


『やめなさいっ!』


 魔石の中にはもう一人、ゾッとするほどの麗人がソファで寛いでいた。


 絶世の美女と呼ぶにふさわしいそのヒトは、またたく間に世界を黒く塗りつぶしてしまいそうな邪気を一声で振り払うと、覗き込んだマルコスに女神然とした笑みを浮かべる。


「なっ、なんという強大な魔力……それに美しい!」


 長年魔具職人エンジニアをしてきたマルコスだからこそ分かってしまう、その人物は賢者と呼ばれる者でも到底足下に及ばぬほどの力を秘めているということが。彼女がその気になれば、世の理でさえも簡単にひっくり返してしまえるのではないかと思える程だった。


(まるで神話の神々じゃな……)


「おっちょこちょいな精霊さんが魔石の中に入ってしまって、出られなくなったですよ」

「えっ……精霊じゃと? これ……」


 明らかに精霊などではないじゃろといいかけたマルコスだが、途中で口を紡いでしまう。

 なぜなら、長年魔具職人エンジニアとして様々な魔具を見てきたマルコスだったが、魔族と人族を魔石に封じ込めるなど聞いたことがなかったからだ。


「……これは、どういう仕組みなんじゃ」


 魔具職人エンジニアとしての本能に火が付いたマルコスは、興味津々と魔石の鑑定を開始する。



(精神体である精霊や悪魔、その類いの定着術式とは違うのか? 原理は同じか……? しかし魔族や人族となれば無論、精神体ではなく肉体そのものを封じ込める必要がある。果たしてそのようなことが可能なのか? そもそも憑依定着術式自体、現代では失われた技術ロストプレシャスとされておる)



 摩訶不思議な現象に見入るマルコスに、


『おいそこの人族ミムルよ! 貴様はここから俺を出せるのだろうなァッ!』


 不機嫌さを凝縮して、すごみさえ感じる低音が魔石から響いてくる。


「こちらを認識しておるじゃと!?」


 予期せぬまさかのできごとに、マルコスは驚きのあまり転倒してしまった。


『なにをまぬけなことを吐かしておるのだッ! そんなことより、貴様は魔具職人エンジニアなるもので間違いないのだな? ならば俺を一刻も早くここから出すのだァッ!』


 一分一秒でも早く外に出たいフラムは、はやる気持ちを抑えきれずにいた。


『あんたバカね。一度に捲し立てたらせっかく治したのにまたひっくり返るじゃない』

『ゼハハハ、貴様こそ俺を誰だと思っておるッ! その時は此奴が二度と倒れぬよう、俺が不死身のアンデッド軍団――ゾンビに変えてくれるわァッ!』

『いやいやそれもう死んでるから! 間違ってるから! てかやるんじゃないわよ!』


 古の神々のような存在が魔石の中から話しかけてきたかと思えば、なに食わぬ顔で漫才を披露する。そんな二人にマルコスは驚きのあまり目ん玉をひん剥いていた。


「こここここれっ!?」


 マルコスは説明してくれと言わんばかりに、魔石とヨハネスを交互に見ていた。


「出せそうですか?」


 無垢な笑顔で問いかけてくる少年に対し、マルコスは無理だとは言えなかった。


 何より魔具職人エンジニアとしての探究心がそれを拒んだ。


「時間を……一月、いや一週間でもよいっ! これを調べる時間をわしにもらえんかっ!?」

「いいですよ。二人もいいですよね?」


 懇願する老人に、ヨハネスはあっさりと承諾する。


『たかが一月程度、1000年待ったのだ。どうということはない』

『そうね。可能性があるならいいんじゃないかしら?』


 こうしてヨハネスはシルナ村に逗留することとなった。


 マルコスが聖魔剣の解析を進めている間、ヨハネスは少しでもお世話になる村の力になるため、犠牲者となった者たちを埋める墓穴を掘ったり、住居の修復を率先して行っていた。


 その度、


「「「お止めください殿下っ!?」」」


 村の至るところから悲鳴に似た声が響き渡り、村人たちが青ざめていたという。

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