第15話 魔王の一振り

「これは一体どういうことですか……? あなたは帝国軍人なのですよね」


 長身痩躯の男が袖を通す軍服には、ライオンの胴体と鷲の頭と翼を持つ生き物――グリフィンをあしらったシンボルがある。


 神の力や神の加護の象徴とされるグリフィンは、男がエンヴリオン帝国軍人であることを物語っていた。


 怯えた表情で蹲る村人、服を切り裂かれた少女、瀕死の重症を負わされた老人と、次々に視線を走らせていくヨハネスは、分からないという風に首を振る。


「民を守る立場にいるはずの貴方が、なぜ民に刃を向けているのです」

「……と仰いますと?」


 惚けた表情と調子はずれな口調であっけらかんといい放つ男に、


「誇り高き帝国軍人がどうして野盗を率いて村を襲っているのかと聞いているのです!」


 ヨハネスは非難の声を上げた。


 すると男は「いえいえ」と笑ってみせた。


「ヨハネス殿下は何かひどい勘違いをされているようで」

「勘違い……?」

「ええ、村を襲ったのは我々ではなく、殿下の足下に転がっている其奴でございます。我々はエンヴリオン帝国に楯突く反逆者を戒めていたに過ぎません」

「何を言ってるですかっ!? そんなバカな話はないですよ! 誰がどう見ても貴方たちの方が悪者じゃないですか!」

「いえいえ、村人も、証人もこれほどおります。ねぇ皆さん?」


 あの威圧感あふれる眼が村人たちの心を射殺せば、蹲る村人たちの瞳からは生気の色が消えていく。死んだ魚のような目で項垂れて、ただ小さく頷き返すだけの人形へと成り果てる。


「おわかり頂けましたかな……殿下? では、そこ退いてもらえます?」

「退くわけないじゃないですかっ! なにを言ってるんですか!」

「はぁ………ったく。面倒臭せぇな」


 ため息混じりに悪態をついた男は忌々しそうにヨハネスを睨めつけ、事もあろうに開き直った。


「こっちは第5皇子、アビル殿下の命令なんですよ! わかります? 皇位継承順位第7位のあんたより格上のアビル皇子が、そこのクズをぶち殺せって言ってるんですよ!」

「なにを言ってるですか! 皇子だからって人の命を奪う権利なんてありませんよ!」

「……は?」


 なにを言っているんだと目を丸くした男が、数回睫毛を鳴らした。


「なるほど、そういうことですか」


 男は鷹揚に頷いていた。


「どうやらこれは人違いのようですね。貴方は亡きヨハネス殿下を装った偽物。つまりは帝国民を惑わせて国家転覆を計る大罪人」

「……? さっきから何を意味不明なこと言っているんですか」

「いえいえ、だって、ほら、力こそがすべての帝国において、ましてや神にも等しい皇族であられる御方が、生殺与奪の権利すらないなどと、口が裂けても言いますまい。それでは帝国を、偉大なる皇帝を否定していることになるのですから」


 不気味に微笑んだ男が薙刀を構える。

 鋭い刃がヨハネスへと突きつけられた。


「亡きヨハネス殿下を愚弄する愚か者よ、神に代わりこのアブレット・ブルータスが葬ってくれるッ!」


 長身から繰り出された薙刀が、首筋に向かって稲妻のように閃く。


 あっ! と短い叫び声を響かせた少女は、次の瞬間には驚愕に目を見開いていた。


「なっ、バカなッ!?」

「すごい……」


 倍以上の身長差から放たれた強烈な一撃を、少年は片手で易々と受け止めていたのだ。


「あっ、また勝手にっ! これくらい僕でもなんとかなるですよ?」

『バカか貴様はッ! 貴様のような雑魚では万が一があるやも知れぬだろッ。よってここは俺に身を委ねるのだァッ!』

『あんた本当は自分が暴れたいだけじゃないの?』

『ゼハハハ――1000年溜まりに溜まったストレスを此奴で発散してくれるわァッ!』


 フラムが「フンッ」と魔力を解放すれば、樋が赤く輝きを放つ。

 やがて握りしめた柄を伝い、ヨハネスの右腕が浅黒く変色していく。


『感覚は正常ッ! 臨界点まで180秒といったところかッ。余裕だな』


 迷宮をさ迷っていた三ヶ月の間、フラムとユイシスは聖魔剣を媒介にヨハネスに自身の魔力を流し続けた。


 その結果、当初はまったくと言っていいほどフラムの魔力に対する抵抗力がなかったヨハネスだが、現在は三分間という制限付きではあるものの、精神を崩壊させることなく意識を保てるほどにまでなっていた。


 さらに、そこからフラムが意識を集中させることで、聖魔剣を通してヨハネスの右腕を操作可能となっていたのだ。


 侵食する剣ソード・イーター――今のヨハネスの右腕は神話の時代に猛威を振るった魔王フラム・ジェノバ、そのものであった。


「その手……まさか呪いの魔具デス・スペルかッ!?」


 変わり果てたヨハネスの右手に着目したアブレットは、苦々しく唇を噛んでは足下に転がる老人を睨みつけた。


「アビルさまの魔具デス・スペル製作を断っておきながら……許せんッ!」


 アブレットはヨハネスの聖魔剣を見て、老人の作品だと勘違いしてしまっていた。


「取り囲めッ! 八つ裂きにしてくれる!」


 悪意に満ちた笑みを浮かべたならず者たちが、一斉に得物を掲げて散開。ヨハネスを取り囲んでいく。


「はじめに言っておきますが、この右腕、手加減してくれないですよ?」

「なにを訳のわからねぇことを言ってやがるッ!」


 それは瞬くほど一瞬の出来事だった。

 ならず者が得物を振りかぶり突っ込んできたと思った次の瞬間には、跡形なく消えていた。


「えっ!?」

「あれ? あいつどこに消えたんだ?」

「ん……なんだこれ、血?」


 実際には消えたのではなく、木っ端微塵に弾け飛んでいたのだ。


 しかし、そのことに男たちは気付けずにいる。


 異変に気がついたのは、疑問符を頭に浮かべながら頬に飛び散った血液を指先で拭った1秒後、世界の終わりを彷彿とさせる突風が吹き荒れてからだった。



「「「いぎゃぁあああああああああああああああああああああああ!?!?」」」



 凄まじい突風に阿鼻叫喚の嵐が巻き起こる。


 圧倒的速度で振り抜かれた一太刀は、音を、風を、すべてを置き去りにしたのち、思い出したかのように遅れてやってくる。


 かつて魔王フラムがその剛腕を以て剣を振り抜けば、伝説の黒龍が咆哮を放ったと畏れられたほどである。


 その威力は凄まじく、大地は二つに割け、巨人が刃を振り抜いたような爪痕があとに残るだけ。


 村から程近い山は気がつくと二つに分かれており、見事な双子山へと変貌を遂げていた。

 村を包囲していた炎も、突風によって消えている。


「がぁっ……あっああ、ああぁっ……ぶっ」


 一瞬にして消えたならず者たちと、泡を吹いて倒れてしまったアブレット・ブルータス。

 彼の目には天使のような少年が怪物に見えたことだろう。


 一方村人たちはというと、人智を越えた出来事に理解が追いつかずにあんぐりとしている。


 立ったまま失神してしまった男の腕からスルリと抜け出した少女は、思わず眼前の天使に祈りを捧げていた。


「天使さま……」


 意識を取り戻していた老人は、(わ、わし、死んだフリしよ)息を潜めていた。


『なッ、なんという軟弱者だァッ! これでは全然ストレス発散にならんではないかッ!』

『この程度で腰抜かしてどうすんのよ? 軽く振っただけじゃない』

『まったくだ! 神話の時代なら10歳まで生きられぬほどの弱さだァッ! 恥を知れッ!』

「こんなの世界が幾つあっても足りませんよっ!!」

「「「えっ!?!?」」」



 自らの右腕に説教をはじめた少年の狂気じみた言動に、村人たちは底知れぬ恐怖を覚え、血の気が引いていた。

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