第14話 エンジェルモード

 時はヨハネスが地下迷宮からの脱出を試みて、天井に穴を開けていた場面まで遡る。


「一体なんなんです?」


 耳をつんざく悲鳴に顔を曇らせるのはヨハネスだけではない。優雅にソファで寛ぐユイシスもまた、何事かと怪訝な顔をしていた。


『あんたちゃんと安全な出口まで案内したんでしょうね?』

『当然だァッ!』


 怒鳴り散らすように声を発するのは、巨大な角が特徴的な大男フラム。


『ここは何の変哲もない山の麓だッ。これといって危険はない……はずだ』

『なんで最後だけちょっと自信なさそうに言ってんのよ。あんた元魔王なんでしょ』

『いちいち元を付けるでないわッ! ただの人族ミムルがァッ!』

『あんたこそいちいちただの人族って言うんじゃないわよ! それじゃまるであたしが凡人みたいじゃない!』

『ふんッ、なにを偉そうに。ただの人族ミムルに毛が生えた程度の凡人だったではないかッ!』

『なんですって!?』

『なんだァッ!!』


 睨み合い火花を散らす二人をよそ目に、ヨハネスは空いた穴からもぞもぞと這い出ていく。


『ちょっと天使ちゃん!? 安全も確認せずに飛び出すのは危険よ!』

『勇猛果敢なのは大いに結構だが、それは強者にこそ許された特権だと知ることだァッ!』


 慌てて止まるように指示を出す二人に、「大丈夫ですよ」と口にしたヨハネスが穴から抜け出す。


 すると、四方から馬の嘶きが耳に刺し込んでくる。


「熱っ!? って、燃えてるじゃないですか!?」


 やっと蒸し暑い迷宮から脱出できたと思った矢先、ヨハネスを待ち受けていたものはこれまでとは比べ物にならないほどの暑さだった。


 燃えさかる厩舎を目にしたヨハネスは事の重大さに気が付き、弾かれたように声を出す。


「かかかかかか火事ですよっ!? このままじゃ焼け死んじゃいますよ!?」


 パニックを起こして右往左往するヨハネスに、


『この程度で情けない』


 やれやれと見かねたフラムが『抜くのだッ』自分を使えと暗に言う。



「なんとか出来るですか!? それなら精霊さんの力で馬もっ!」

『馬なんぞ知るかッ! 貧弱な部下に焼け死なれてはめんどうなだけだッ』


 あくまで弱い部下が厩舎から出られるように手を貸すだけであり、馬を助けるつもりなんて微塵もないと言い張るフラム。そんな彼を生暖かい目で見つめるユイシスは、『あんたって本当に素直じゃないわね』と呆れていた。


『喧しいわッ!』

「抜いたですよ! 次はどうすればいいです?」

『どうもせんッ、ただ……渇ッ―――!!』


 宇宙のように広大な異空間で腕を組んだまま瞑想するフラムが、鋭く短い声で叫んだ。


 したらば構えるように握りしめていた聖魔剣が、その柄頭に嵌め込まれた赤黒い魔石が、一瞬ピカッとまばゆい閃光を発した。


 それに併せて黒刃の剣身が超振動を引き起こす。


 それは魔王覇気となって大気を揺るがし、やがて炎が戦慄して萎縮する。

 やがて炎は逃げるように消失した。


「あっ!?」


 魔王覇気に当てられた馬たちが次々と失神、ヨハネスにとって不本意な二次被害をもたらす結果となった。


「すごい、ってやり過ぎですよ!? 馬がびっくりして死んじゃったらどうする気ですか!」

『ゼハハハ、なぜこの俺が馬なんぞに斟酌せねばならんのだァッ! 馬鹿馬鹿しいッ』

「相変わらず傲慢な精霊さんですね」


 指先で魔石を突いたヨハネスは、鞘に剣を収める。


「それにしても、なんで気合いで火が消えちゃうんですか? もう無茶苦茶じゃないですか」

『火とはそもそもサラマンダーの庇護下にあるのだから、大元である彼奴を脅せば消えるのは当然の結果ではないかッ』

「それって、精霊界にいるサラマンダーさんを脅したってことですか!?」

『だからそう言っておるだろッ』


 果たしてそのようなことが可能なのだろうかと思案するヨハネスは、腰の剣に視線を落とし、キラリ光る魔石をまじまじと見つめる。


(魔石に入って出られなくなってしまったおっちょこちょいな精霊さんは、本当に伝説の精霊さんだったりして……)


『うむッ! ここを出たら絶対食べるリストに馬肉ステーキも加えておくとするかッ』

『相変わらずせこいやつね。元魔王がこまめに食べたいものをメモに取ってるだなんて、神話の時代を生きた人々が聞いたら腹抱えて笑うレベルよ』

『なんだとッ!? このボンクラ人間ッ! そういう貴様のこれは一体なんなのだァッ!』


 フラムは腰巻から隠し持っていたメモ帳を取り出すと、徐にそれを読みあげた。


『メアリー・平凡すぎる65点。アンジェリカ・団子っ鼻が致命的42点。キャサリン・エッチな脚が◎77点。ジェシカ・笑顔がキュート72点。キャメロン・体重の増加が気になる55点。ジュリア・歯並びがいまいち69点。ローズ・笑窪が愛らしい73点。ミランダ・スタイル抜群そそります88点。ヴィクトリア・お椀型のおっぱい最高74点。ミーガン・若干無愛想69点。テイラー・筋肉不足59点。アマンダ・抜群の色気に大興奮81点。アストリッド・魅惑の歌声75点。ミラ・ヒップラインが天下一品80点――』

『ちょっ、すとぉおおおおおおおおおおおおおおおぷっ!?!?』


 慌ててフラムに詰め寄ったユイシスは、『失くしたと思っていたのに!?』と興奮した様子でメモをひったくる。


『なんであんたがあたしの極秘採点リストを持ってんのよ! つーか読むんじゃないわよ』

『なにが極秘採点リストだァッ! 悪趣味にも限度があるッ!!』


 ビー玉のような魔石を覗き込むと、バチバチと火花を散らし合う二人が見えた。


「……やっぱりそれはあり得ないですね」


 二人の力はたしかにすごいが、人格的に見ても伝説の精霊ではないという結論に達した。


「それよりも、これは一体……?」


 厩舎から外に出たヨハネスは、火の海と化した村に困惑の表情を浮かべていた。


『ひどいわね。野盗にでも襲われたのかしら?』


 悲惨な村の現状に心を痛めるユイシスと、本当にここがかつて自分が支配していた魔大陸かと戸惑いを隠せないフラム。


「とにかく何があったか調べるです」

『ちょっと待って天使ちゃん! 無闇矢鱈と歩き回るのは危険じゃないかしら?』

「そんなこと言ったって、歩かないと村の状況は確認できないです。悲鳴も聞こえていましたし、悠長に事を構えている場合ではありませんよ」

『ええ、そうね。だから空から村全体を見渡すってのはどうかしら?』

「空……ですか?」


 子鹿のバンビのように小首を傾げる仕草が乙女心をくすぐり、『あぁもーっ、いちいち仕草が可愛いのよっ!』ユイシスは興奮して何度もソファにヘッドバットを繰り返している。


『おい貴様ッ、鼻血が飛び散っているぞッ!?』


 晴れ渡る空を見上げて目を細めるヨハネスは、「どうやって空から村を見渡すです?」言葉の意味が掴めずにいた。


『当然、飛ぶのよ!』

「飛ぶ……? 飛ぶって空をですか!?」

『そうよ! 天使ちゃんは真の天使ちゃんになって大空を羽ばたくの! 素敵でしょ』

「ちょっと意味がわからないですよ」

『意味なんてわからなくていいの、ただ感じればいいのよ! さぁ剣を抜いて』


 半信半疑、言われるがまま剣を手にすると、ソファから立ち上がったユイシスが両手を広げて声高らかに唱える。


『この者に自由の翼を――アイキャンフライ!』


 ユイシスの呪文に反応するように目が眩むほどの閃光が剣身から放たれると、光の繭がヨハネスの体を包み込んでいく。


 やがて光が消えるとヨハネスの背中には、白鳥のような翼が生えていた。

 その姿は空から舞い降りた天使そのものだった。


「す、すごいです!」

『これが聖光魔法――アイキャンフライよ! 天使ちゃんだから……そうね、エンジェルモードってのはどうかしら?』

「エンジェルモード、すごく気に入ったです!」


 首を左右に振り、無邪気な笑顔で背中に生えた翼を確認するヨハネスに対し、『くだらんッ!』不機嫌を絵に描いたようなフラムが叱責。


『あら、めちゃくちゃ似合ってて可愛さ倍増じゃない』

『そんなことはどうでもよいッ! この俺の部下に気色の悪い翼なんぞ生やしおって! これならば俺のデビルモードの方が一億万倍カッコいいッ! 代われェッ!』

『は?』

『魔法を解除しろと言ってるのだァッ! 俺が此奴に相応しい漆黒の翼を与えてくれる!』

『嫌よ。そんな可愛くなさそうなの』

『なにッ!?』

『いちいちあんたの嫉妬に付き合ってる時間はないの。このトンチキ魔族のことは放っておいて、実際に飛んでみたらどうかしら?』

「どうやって飛ぶですか?」

『魔法は想いと想像力が源よ。心で念じれば飛べるわ』

『おい、こらァッ! ちょっと待てッ! この俺を無視して話を進めるでないッ!!』


 蚊帳の外で地団駄を踏むフラムを置き去りに、ヨハネスはゆっくりと瞼を閉じて強く願う。鳥のように自由に空を飛びたいと。


「うわぁー!?」


 されば、体は重さを手放したかのようにふわりと宙に舞い上がる。


「飛んだ……!? 飛んだです!」


 視界の先に広がるのは少年の瞳と同じ蒼。

 果てなき地平線のただ中に浮遊する少年は、地盤が隆起したかのように壮麗にそびえる山々を俯瞰して息を飲んだ。


「とても……美しいです」


 地表に集まった水が、くぼんだ部分を高い所から低い所へ流れていく河川も、緑したたる大地も、なにもかもがお伽噺のワンシーンのごとく瞳に映り込む。


 しかし、同時に目を覆いたくなる現状が、黒煙がもくもくと下方から迫りくる。


「許せないですっ」


 この美しい景観を一体誰が炎で黒く塗り潰してしまったのだろう。ヨハネスは手の甲に筋が浮き出るほど強くそれを握りしめた。


「やめてぇ……おねがい、やめてぇ」

「んんっ!?」


 業火に包まれる村の一角で、野蛮な男が少女を羽交い締めにしている。

 少女の視線の先には老人が倒れており、まさに今、軍服を着た男が老人に向かって薙刀を振りかぶっていた。


「危ないですっ!?」


 ヨハネスは考えるよりも先に体が動いた。

 老人を助けたいと願った一途な想いが原動力となり、魔法の翼はヨハネスを老人の元まであっという間に連れて行く。


「……大天使さま?」


 間一髪、老人に刀身が振り下ろされる寸前で、ヨハネスは刀身を打ち払うことに成功していた。そのまま非道な男に咎めるような視線を向ける。


「あ、あなたさまはッ!?」

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