第13話 燃ゆるシルナ村

 村は死によって包囲されている。


「お願いだぁ、もうやめてくれぇッ――!」


 山の麓に位置する長閑な村は、普段ならば自然あふれる麦穂と土の匂いに包まれているのだが、現在は麦穂の上を炎が生き物のように蠢いて凄まじい唸りを立てており、地獄絵図が広がっている。


 村のあちこちで泣き声や悲鳴が次々とあがり、至るところで血飛沫が舞い上がっていく。


 勢いよく血溜まりをはねつけ村を蹂躙する悪漢たちは、狩りを楽しむように狂喜乱舞を繰り返す。


 目を覆いたくなるほど凄絶な光景が瞬く間に小さな村に広がっていく。


「ぐははは、俺を恨むんじゃねぇぞ。恨むなら鬼畜なこの国の皇子を恨むんだなッ!」

「この子だけは……どうかお慈悲を!?」


 幼き我が子を守るため、身を呈して小さな体に覆いかぶさった母親の頭上から、悪漢がシャムシールを振り下ろした。


「神さまッ………!?」


 剛腕から振り下ろされた刃物が凄まじい衝撃波を放ちながら、母親の頭上でけたたましい爆音を響かせる。


「へ……?」


 一瞬なにが起きたのか理解できないでいる母親を、「もう大丈夫じゃよ」荘厳な老人の声音が包み込んだ。


「マルコスさん!?」


 三角帽子を深々とかぶった白髪の老人が片手剣でシャムシールを防いでいた。

 突如現れた老人に自慢の一太刀を防がれた男は、一瞬驚いたように瞠目した。


「なんだ、このジジィ!?」


 けれど、すぐに何かに気付いたように老人の全身に視線を走らせた男は、悪鬼のように顔を歪ませた。


「ヒヒッ、そうかそうか。てめぇが諸悪の根源か、皇子に喧嘩を売ったまぬけな大罪者がァッ!」

「やはり狙いはわしじゃったかッ」


 眼前で競り合う刃を、ぎりぎりと押し返しながらマルコスが悔しそうに囁く。

 その瞳に宿るものは純然たる怒りの色。


「ロザミア、二人を頼むぞ!」


 互いに仕切り直すように後方へ跳躍した二人が、剣を構えたまま睨み合う。その間を躊躇なく横切って親子を救出する栗毛の少女。


「もう大丈夫。お師匠がきっと何とかしてくれる」


 老人に絶対的な信頼を寄せる栗毛の少女は、振り返ることなく親子を連れて走り出す。


「それでええ。さすがわしの弟子じゃ」

「他人の心配してる場合かよ、ジジィッ!」


 湾曲した刃を大きく振りかぶり突っ込んできた男を、正面から迎え撃つマルコス。


「――――ッ!」


 衝撃波によって三角帽子は上空に舞い上がり、地表がわずかに陥没する。


「ほぉ~、今のを防ぐかッ。ジジィの割にはやるじゃねぇか」

「なめるでないわ、若造がァッ!」

「なっ!?」


 凄まじい魔力がマルコスの体内から放出されると、熱せられた大気がうねりを上げる。

 それが次第に一点に向かって集約していくと、マルコスが構える白銀の刃が豪ッ! と、紅蓮の炎を噴き出した。


 炎を纏った剣身は瞬間で倍程にまで伸び、噛み合うシャムシールの刀身を溶かしていく。


「あっ、あちぃっ……!? あっちいっ!?」


 瞬時に柄部分まで熱せられてしまっては、とてもシャムシールを握ってはいられない。

 投げ捨てるようにシャムシールを捨てた男が、勢いあまって臀部を地面に叩きつける。


「まっ、待ってくれぇっ!? 俺はただ雇われただけなんだ! なっ……? わかるだろ? 逆らえなかったんだよ」


 燃えさかる剣先を突きつけられた男が、臀部を地面にこすり付けながら後ずさる。


「くっ……」


 情けなくも命乞いする男に、マルコスは奥歯がへし折れてしまうのではないかと思うほど噛みしめている。


 周囲に目を向ければ凄絶な光景が広がっており、男に対する怒りと憎しみが込み上げてくる。それでも、無益な殺生を好まない心優しい老人は、戦意を失った相手を斬り捨てることができなかった。


「わしの気が変わらんうちに、とっとと失せるんじゃな」


 剣を鞘に収めたマルコスが背を向けた刹那、男の顔が再び悪鬼にゆがむ。


「バカがァッ――――!!」


 男は隠し持っていた短剣を素早く腰から抜き放ち、殺意を爆発させたようにマルコスに飛びかかった。


「ぐっ……うぅっ!?」


 マルコスの背中に深々と突き刺さった短剣が、鮮やかな染みを作り上げていく。


「だからてめぇはまぬけななんだよ、クソジジィ」


 背中越に伝わる老人の生暖かい体温が徐々に熱を増していくと、


「ん……?」


 そこでようやく男は違和感に気が付いた。


「あっ、熱いッ!?」


 慌てて老人の背中を突き飛ばして身を離そうとす試みるが、燃え移った炎を腕力で振り払うことなどできはしない。


 そう、男が刺した老人は、気が付くとメラメラと燃えさかる炎になっていたのだ。


「なんでぇ……どうなってんだよっ!?」


 パニックを起こす男が燃えさかる家屋に突っ込めば、さらに悲惨な悲鳴を轟かせる。


「ふぉっふぉっふぉ。自ら火だるまになるとは、随分と潔いの」

「て、てめぇ……なんでぇ!? どうしてぇっ!?」


 燃えさかる男は幽霊でも見たかのように、声高らかに笑う老人に驚愕している。


「だから言うたじゃろ? なめるなとッ……!!」


 豪胆に吠えた老人の右手人差し指には、幻覚魔法術式を定着させた魔具が装備されている。


 体内の魔力を放出したあの瞬間、マルコスは男に幻覚を魅せていたのだ。

 その証拠に、地面には全長95メクトのシャムシールが溶けることなく転がっている。


 元来、魔法使いとは化かし合いを得意とするものなのだ。


「ぐそっだれぇぇええええええええッ!!」


 火だるまになった男が捨て鉢になって突っ込んでくるも、「悪党ならば気兼ねなく屠ってくれるわッ!」マルコスは易々と男の首をはねてしまった。



 ――きゃぁぁあああぁぁぁあああああぁああああぁぁあああああぁぁッ。



「んっ……ロザミア!?」


 一息つく暇もなく、村の中央広場から少女の悲鳴が響き渡ってくる。


 焦りを顔に滲ませたマルコスは、老体に鞭打ち走った。


 その頃、村の中央広場では、火の手から逃れるために避難していた村人たちが、ならず者たちによって包囲されていた。


「終わりだ、もう終わりだッ」

「全部マルコスのじいさんのせいだ!」

「あいつが第5皇子を怒らせなければこんなことにはならなかった!」

「みんなマルコスに殺されたんだ!」


(違う! お師匠はみんなを守るために……悪いのはお師匠じゃない)


 尊敬すべき師の汚名を晴らすため、少女は腰に提げた刺突用の片手剣――レイピアを引き抜いた。


「ここに居る人たちには指一本触れさせない。ローザは偉大なる魔具職人エンジニア――マルコス・クレイジーが一番弟子、ロザミア・アルフォート。悪党ども、いざ尋常に勝負っ!」


 気勢よくならず者たちに剣先を突きつけた少女を目で追った男たちが、一斉に静まり返る。


「ぷっ、ぎゃはははは」


 やがて一刻の時を経て、広場は大爆笑に包み込まれていく。


「威勢がいいのは結構だが、おじさんたちは女に突っつかれる趣味はねぇんだ。逆に、突っ込む趣味はあるんだがな……ぷっ、ぎゃはははは――!」


 ならず者のブラックジョークに、広場には一層皮肉を込めた笑いが湧き起こる。


 村人たちは暗澹たる思いに心を閉ざし、せめてとばっちりを食わぬようにと目を背けた。


「にしても、まだガキだがよく見りゃいい女じゃねぇか。おじさんのバスターソードを突っ込みたくなってきたぜぇ」


 下卑た笑みを浮かべる男たちの異様な圧力に押され、ロザミアが一歩足を引いたそのわずかな隙に、「捕まえたぁっ!」後ろに回り込んでいた大柄の男が少女に抱きついた。

 男はロザミアを羽交い締めにしていく。


「嫌っ、放して!」


 振りほどこうと身をねじるロザミアの乳房に、乱暴に触れる男。


「嫌っ、やめて……」


 必死に抵抗する少女だが、か細い体では男の膂力を振りほどけない。ならばと、右手に携えたレイピアに魔力を込めようと試みるも、「痛ッ!?」あっけなく別の男に手首を掴まれてしまう。


「させねぇよ! 曲がりなりにもマルコス・クレイジーの弟子なんだろ? そうと知っておとなしく魔具を使わせるほど、俺たちゃ優しくねぇぜぇ」


 手元から滑り落ちたレイピアが、甲高い音を立てて転がった。


「ぐひひっ、たっぷり楽しませてもらうとするか」


 ならず者たちはロザミアだけに留まらず、恐怖に蹲る村の女たちにも魔の手を伸ばそうとしていた。


 そして――ロザミアの衣服が乱暴に引き裂かれる。



「いやぁあああああああああああああああああああああっ」



 嘘みたいに晴れ渡った蒼窮に少女の絶叫が吸い込まれると、


「わしの弟子をっ、離さんかァッ――!!」


 雷のような怒鳴り声を上げ、凄まじい速度で広場に突っ込んでくる一つの影。

 その影にロザミアは瞳を輝かせた。


「お師匠!」


 ロザミアは目尻に涙を溜め込みながら歓喜していた。


 マルコスは広場に駆け込むと同時に立ちはだかる男たちを斬りつけては、弟子を羽交い締めにする大男に切っ先を突きつけた。

 そして抑えきれぬ怒りを爆発させる。


「貴様、ぶち殺すぞッ!!」

「ひぃっ!?」

「お、お師匠……」


 阿遮一睨、目だけで相手を射殺してしまえるのではないかと錯覚するほどの凄烈な形相に、ロザミアは声を失うほど驚いていた。


 このような感情的な師匠を見たことがなかったのだ。

 だがそれも当然である。

 自分を慕い、孫のように可愛がっていた娘が辱しめを受けていたのだ。

 ここで憤怒に沸かぬマルコス・クレイジーではない。


 稲光のごとく全身から迸る異常な魔力に、大気が揺れ動く。

 ならず者たちは眠っていた獅子を、とんでもない怪物を揺り起こしてしまったことにようやく気が付いた。


「覚悟はできておるんじゃろうな?」

「それはこちらの科白です。マルコス・クレイジー」


 圧倒的強者の佇まいに怖気づくならず者たちを押し退け、薙刀を携えた長身痩躯の軍服男が飄々と姿を現した。


 長身痩躯の男は落ち着き払った声で宣言する。


「貴殿を国家反逆の罪で連行する」

「国家……反逆じゃと? 80年生きておるが、わしはそのような大それたことをした覚えは一度もないがの」

「周りをよく見なさい」

「ん……なんじゃ?」


 言われて周囲を見渡すマルコスだが、視界に映るのは燃ゆる家屋と畑のみ。


「ひどい有様じゃ」

「まったくです。このようなことをしておいて、貴殿はまだ言い逃れをするつもりか?」

「なっ!? これは貴様らの仕業じゃろうがッ!」

「いや、これは貴殿の仕業だ。村を焼き払い。罪なき帝国の宝と呼ぶべき民を斬った大罪人。これを国家反逆と言わずして何と言うのです?」

「それはお師匠じゃない」

「果たして、年寄りと小娘の戯れ言を誰が信じると? ここには証人もいるのですよ? ねぇ、皆さん?」


 悪魔のように鋭い眼光が、村人たちに呪いをかけていく。恐怖という名の呪いを……。


「……ひどい」

「ひどい……? おかしなことを言いますね。いいですか? この世は血と権力がすべてなのです。それが皇族であるなら尚更です。殿下が黒といえば黒。白といえば白となるのです。それが、それこそが神に選ばれし帝国皇子たる者の力なのですよ。おわかり……頂けましたかな?」


 マルコスは項垂れるように嘆息し、「腐っておる」と吐き捨てた。


「これはエンヴリオン帝国皇位継承順位第5位に居られる、アビル・ランペルージュ殿下の命なのです。今の発言もしっかり記録させて頂きます」


 はめられたのだと気が付いた時には、マルコスにはどうすることもできなかった。

 自分をはめた相手は帝国の皇子なのだと。逆らったところで勝目などない。


(ならば、せめて……)


「その娘を離してやってくれんか?」


 せめて弟子だけでも無事にここから、この腐った国から出られるようにと彼は懇願した。


 しかし、にこり微笑む長身痩躯の男がマルコスに歩み寄ると、有無も言わさず強烈なボディを叩き込む。


「ぐはぁぅっ……!?」

「お師匠!?」


 息もできぬほどの強烈な一撃に、膝をついたマルコスの表情が苦痛にゆがむ。


「なにを勘違いしてるのです? 彼女はマルコス・クレイジーの弟子なのでしょ? では国家反逆を企てた男の弟子ということではありませんか?」

「あの娘は……関係ないじゃろっ」

「甘い、甘いですね。まるでシフォンケーキのように甘い。わたし、嫌いなんですよね、シフォンケーキ」


 マルコスの視界一面を覆った悪魔の笑みが、嬉々として答える。


「それに、彼らにも報酬は弾むと言っているのですよ? おわかり……頂けますか?」


 悪鬼の笑みを浮かべるならず者たちが、悦楽に胸を躍らせ歓喜の声を上げる。


 刹那――



「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」



 マルコスが雄叫びを上げた。


 死を覚悟した老人の、最後の勇姿をその瞳に焼きつけるロザミアが、泣き叫び手を伸ばす。


「お師匠ッ――――!!」

「ロ、ロザミ……アッ、わしが、ぜっだぁいに……」


 孤軍奮闘、一人戦い続けた老人であったが、多勢に無勢の戦場では分が悪く、あえなく地に倒れる。


 それを村人たちは見て見ぬ振りをする。

 恐怖社会が生み出した世界がこれである。


 長身痩躯の男はもう動けない老人の頭上に薙刀を突きつけ、愉快そうに肩を揺らした。


「連れ帰るのも面倒です。ここで処刑してしまいましょう」

「やめてぇ……おねがい、やめてぇ」


 高く掲げられた薙刀が一筋の線を描き、縦一文字に振り下ろされたその時――


 カキィ――――ン!


 けたたましい金属音が鳴り響いた。


「……だれ?」


 どこからともなく突如現れた金髪碧眼の少年が、老人を庇うように刀身を防いでいたのだ。


「……大天使さま?」


 比喩などではない。

 少女の視界にはたしかに、巨大な白い翼を背中から生やした天使が、剣を構え立っていた。まるで老人を守護する大天使の如く。


「あ、あなたさまはッ!?」


 長身痩躯の男は驚愕に開いた口が塞がらなかった。


 なぜならば、彼の前に立ちはだかったのは、三ヶ月ほど前に死んだと聞かされていたエンヴリオン帝国皇位継承順位第7位――ヨハネス・ランペルージュ皇子、その人だったのだから。


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