第12話 地下迷宮からの脱出

「ふぅー」


 時と場所が移り変わった地下迷宮には、少したくましくなった少年の姿があった。


 ヨハネスの周囲――足下には夥しい数の魔物の残骸が散らばっており、その手には魔物の体液が付着した聖魔剣が握られている。


「一体いつになったら外に出られるんです?」

『ゼハハハ、もう少しだッ』

「……あのですね、もう少しもう少しって言いますけど、三ヶ月前も同じことを言ってたじゃないですかっ!」


 フラムの案内で迷宮内を歩き回ること早三ヶ月、一向に出口にたどり着かないことに、ヨハネスはフラムに対して不信感を抱きはじめていた。


『尤も安全なルートを選択しておるのだ、その分時間もかかると説明したであろうッ』

「それにしても長すぎるですよ!」

『同感だわ。客観的に見てもわざと遠回りしてるとしか思えないもの』


 ユイシスの鋭い指摘を受け、ギクッとわずかにフラムの肩が跳ねた。それを見逃すほど、彼女の洞察力は衰えていない。


『あんたわざと天使ちゃんに遠回りさせているでしょ? しかもあえて魔物と戦わせている、違う?』

『………ッ』

『図星ね』

『仕方あるまいッ! 此奴は恐ろしく弱いのだァッ! ならば少しでも迷宮ここで俺たちの魔力に慣れさせておかねば、外に出たら即死もあり得るではないかッ!』


 フラムにとってヨハネスは1000年待ってようやく現れた希望である。何があっても失うわけにはいかない。そう思案すればするほど、かつてのフラム・ジェノバからは想像も付かぬほどの慎重さで行動してしまっていた。


 けれどフラムの言い分を聞いたヨハネスは、「何度も言いますけど、迷宮の方がずっと危険なんですよ!」尤もなことを口にするのだが、


『バカなことを言うでないッ!』


 フラムは一切聞く耳を持たなかった。


 二人の間には1000年にも及ぶ時間の齟齬が存在するのだ。


 ゆえに、外の世界に対する認識がフラムとヨハネスではまったく異なっている。


 かつて魔王城の地下深くに巨大な迷宮ダンジョンを造るよう部下に命じたのは、何を隠そうフラム自身である。


 一度地上に出てしまえば、魔物や魔族犇めく魔の領土だということをフラムはよく知っている。


 そんなところに貧弱な人間の子供が一人飛び出せば、あっという間に骨も残らず朽ちてしまうだろう。


 しかし、1000年経った現在、巨大な地下迷宮の上に存在するのは魔物や魔族犇めく魔の大陸ではなく、多くの人族が暮らすマーディアル大陸なのである。


 かつて魔王城があった場所には、今では立派な皇城がそびえ立っている。

 1000年もの長きにわたり無限牢獄に閉じ込められていた二人が、そのことを知ることはない。


 ヨハネスからしたら地下迷宮の外は安全なマーディアル大陸なのだが、フラムとユイシスの二人からすれば、迷宮の外はずっと変わらず魔大陸なのだ。


 二人はまだ、この世界で起きているとある事象に気がついていなかった。


『たしかにあんたが警戒する気持ちもわからなくはないけど、魔大陸からマーディアル大陸に向かうためには、どの道危険はついてくるでょ?』


 諭すようにフラムの背中に声をかけたユイシスの言葉に、ヨハネスは腰に提げた剣の柄頭に視線を落とすと、不思議そうに小首をかしげる。


「魔大陸から……? どうして一度魔大陸に行く必要があるんです?」

『何を言っておるのだ。貴様が申したのであろう? 人族ミムル魔具職人エンジニアなる者に会って……ん? でも待てよ、そもそも貴様のような雑魚がどうやってここへ来たのだ?』

『たしかに言われてみれば不思議よね。魔大陸に人間の子供がいるなんて、それも皇女が』

「さっきから何を言ってるんです? ここが魔大陸なわけないじゃないですか。ここは人間が暮らす大陸、マーディアル大陸ですよ。それと皇女ではなく皇子です!」

『なにッ、マーディアル大陸だとッ!?』

『なにっ、皇女ではないですって!?』


 異なる意見に流れる沈黙と不穏な空気。

 錆びた機械のように振り返ったフラムが恨めしそうにユイシスを睨めつけると、彼女はクマのぬいぐるみでさっと顔を隠してしまう。忍法身代わりの術である。


『このボンクラ人間ッ! 貴様ことの重大さがわかっておるのかァッ!!』

『1000年前は魔大陸だったはずなのに、現在はすっかりマーディアル大陸に変わっているってことでしょ?』


 怒鳴るフラムに開き直るユイシスが淡々と答える。


『でもそれってそんなに驚くべきことかしら?』

『なんだとォッ!? 大問題ではないかッ!』

『魔大陸を支配してたあんたが消えたんだから、そこを乗っ取ることはそう難しくないはずよ?』

『では魔族は地上から消えたとでも言うのかァッ!』

『そんなのあたしに聞かれても知らないわよ。ずっとあんたと一緒に居たんだから。でもまっ、天使ちゃんなら何か知ってるんじゃない?』


 話を振られたヨハネスは、大きく一つ頷いてから口を開く。


「魔大陸は1000年前も今も変わらず、魔王セレストが支配する魔大陸にありますよ? もちろんそこで魔族も暮らしているです」

『ん……ちょっと待って! それってここは歴史的にずっとマーディアル大陸だったってこと!? なら本来のマーディアル大陸は、あたしの故郷はどこにあるのよ!?』

「本来の……マーディアル大陸? マーディアル大陸はここだけですよ? 同じ大陸が何個もあるわけないじゃないですか」

『どういう……こと? 意味がわからないわよ』


 ユイシスは頭の中身が、すとん、と音を立てて、ごっそりと抜け落ちたような感覚になる。


『何かよからぬ力が働いているとしか思えんッ』

『よからぬってなによ!?』

『考えてもみろッ! そもそもかつてあれほど恐怖と名声を轟かせたこの俺の存在そのものが歴史から消え失せること自体、絶対にあり得んッ! しかし、実際に俺という最強の存在は消えてしまった。いや、この場合消されたと言った方が正しいのだろうな』

『消されたって、誰によ?』

『そんなもの貴様と一緒に閉じ込められていた俺が知るわけなかろうッ!』


 ただ、と訝しむように天を仰いだフラムは、


『何者かによってハメられ、存在を抹消されたのだろうなッ』


 悔しさに奥歯を鳴らさずにはいられなかった。


『なら尚更、さっさと迷宮ここから出て外の、世界の状況を把握すべきじゃないの?』


 ユイシスは艶やかで真っ直ぐな髪を小指でかき上げ、首を傾げるようにフラムの顔を見た。


『ふん、ボンクラのくせに生意気なッ。しかしまぁ、よかろう。ヨハネスよ、先程の十字路まで引き返すのだ』

「えっ!?」


 まさかの来た道を戻れというフラムの指示に、ヨハネスは弾かれたように叫んだ。


「こっちだって言ってたじゃないですか! 嘘付いたんですか!」

『嘘ではない。地下迷宮は様々な場所に出口が設けられておるのだ。従ってルートを変更するだけだッ』


 どこか釈然としないヨハネスだったが、自分で道がわからない以上、従うしかなかった。


 腰に提げた剣に向かってぶつぶつ文句を唱え歩くヨハネスの前方に、錆びた片開きの扉が見えてきた。


『そこから地上に出られるはずだッ』


 フラムの指示に従い、ゆっくり鉄扉を開けるヨハネス。


 ギィィッと耳障りな金属のこすれあう規則正しい音が響く。開かれた扉の向こう側には果てしなく伸びた階段が続いており、ひんやりとした空気がヨハネスの前髪を揺らした。


「真っ暗ですね」


 岩壁には輝石の類いが埋まっていないようで、見上げる先は数メクト先が暗闇でなにも見えなかった。


「これじゃあ足下も見えないですよ」


 果たしてどこまで続いているのか見当もつかない石造りの階段を、暗闇のなか手すりも無しに突き進めるほど、ヨハネスは無鉄砲な愚か者ではない。


『大丈夫よ天使ちゃん。ユイシスお姉ちゃんがついているから、闇を恐れず剣を取りなさい』


 動けず足踏みするヨハネスに、慈愛に満ちた微笑みを浮かべたユイシスが語りかけた。


「あっ、またあれをやるですか!」


 すると、ヨハネスの表情がパッと明るくなる。


 この三ヶ月、ヨハネスは聖魔剣のすごさを実際にその身で何度も体験した。


 ある時は蜘蛛型魔物100匹に襲われ、絶体絶命のピンチに死を覚悟することもあったが、『剣を抜けッ!』というフラムの声に従い剣を抜いたヨハネスは、はじめて聖魔剣を抜いた時と同じように、強大で禍々しい魔力を全身で感じ取っていた。


 しかしすぐにあの時ほど不快な感じではないと気がつく。


 フラムが絶妙に魔力を抑え、今のヨハネスでも耐えられるだけの力を考慮した上で魔力を流し、ヨハネスに貸し与えていたのだ。


『慣らし運転か、中々面倒臭いものだな』


 その結果、ヨハネスは自我を失うことなく、肉体が暴走することもなく、聖魔剣を振るうことが可能となっていた。


 そして現在、嬉々とした表情で剣を抜いたヨハネスを確認したユイシスは、深く腰かけたソファの上でやおら魔力を解放していく。


 剣の中央にある樋が血を流したような赤い光に染まると、フラムの冷々たる魔力とは違う暖かな魔力が、ヨハネスの内側にそっと流れ込んでくる。それが自身の魔力と溶け合って清冽なものになる。


『闇を照らす光よ、この者の行く先を照らしたまえ! フラッシュ!』


 柄頭に嵌め込まれた魔石が呼応するように輝きを放てば、黒刃の剣身が目を見張るほどの眩い輝きを放ち、あっという間に暗闇に閉ざされた階段を照らし始める。


 ユイシスの闇照らす聖光魔法である。


「やっぱり伝説の精霊さんが宿った聖魔剣はすごいです!」

『当然よ! さぁ、恐れずに進みなさい』


 聖なる光をまとった剣身を松明代わりに掲げ、ヨハネスが階段を上ること数時間。

 ついに天井、行き止まりにたどり着いた。


「って行き止まりじゃないですかっ!?」

『慌てるでないッ。石畳によって出口が塞がれているだけだ。この程度、破壊すれば何の問題もあるまいッ!』

「それもそうですね」


 軽く承諾して剣を構えるヨハネス。

 三ヶ月さ迷い続けた末にたどり着いた出口に期待を膨らませている。


「よいしょっと」


 聖魔剣で石畳の天井を小突けば、面白いほど簡単に天井がボロボロと剥がれ落ちてくる。

 まるで長年掃除していなかった箇所を叩きで叩いた途端、とんでもない量の煤が降ってくるような感覚だ。


「あっ、光です!」


 やがて小さな穴があくと、一筋の光が木漏れ日のごとく辺りを照らしはじめる。


「もっと大きくしないと通れないですね」


 拳一つ分ほどの小さな穴を広げるため、ヨハネスは剣の切っ先を突っ込んではかき回し、穴を広げようと試みる。


 したらば、不意に耳を疑うほどの悲鳴が光の中から聞こえてきた。


「えっ!?」


 一つ二つと次第に重なり合う断末魔の悲鳴に、ヨハネスの心の内側には小さな波が立つ。


「一体、この先に何があるというんです」

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